伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?
レコードプレーヤー
談=堀内花子
このレコードプレーヤーは、父が1981年に帰国して、しばらくして登場しました。父は、毎日のように映画館通いをしていた少年時代から敬愛していた野口久光さんと知遇を得てよろこんでいたのですが、その野口さんからビデオプレーヤーを買うならβ(ベータ)をとすすめられ、HiFiセットをそろえるならばと、ある日、学生風の長髪青年がセッティングしにきました。音響機器に詳しいアルバイトだったのでしょう。当時はこのプレーヤーの左隣にはソニーのテレビがあり、その下には野口さん推薦のβビデオプレーヤーもありました。レコードはまだたくさん残っていますが、半分くらい処分したと思います。
フランスで暮らしていた頃は毎日、仕事中以外はレコードをかけていました。仕事中はラジオです。帰国してからもそれは変わりませんでしたが、落語も聴くようになりました。音楽は食事やトランプをしながら聴いていましたが、落語はベッドに横になって聴いていました。アームは自動的に上がらないので、A面が終わると、むっくりと起き上がってB面にひっくり返します。眠っているわけではないのだと感心しました。その後、わたしがカセットプレーヤー、CDプレーヤーを買い足しましたが、いまはひっそりとアンプとターンテーブルだけになりました。
父は音楽がほんとうに好きでした。母は、父の耳が聞こえなくなったらどうしようと、本気で心配していたくらいです。特によく聴いていたのはクラシック音楽。好きな演奏者のものを集めるというより、好きな曲をアーティストごとに聴き比べて、ご贔屓を選んで楽しんでいたようでした。


堀内家の寝室の片隅に置いてあるレコードプレーヤーとLPレコードのコレクション。「頻繁に使うわけではないけれど、いい音が出るから」と言って花子さんは、何枚かのレコードをかけながら、「父は音楽が単に好きということに留まらず、深い思い入れを持って聴き込んでいたと思います」と話してくれました。
自伝「父の時代・私の時代」の中で堀内さんは14歳で勤め始めた伊勢丹での仕事について綴っています。その最後に「この時期の回想にもう少し完璧性を期するなら、寄席通いと、レコード喫茶通いをつけ加えなければならないでしょう。レコード売り場にあるものは全て耳を通し、仕入れに注文をつけていた位ですが、なおかつ各地の名曲喫茶に通って、カペエ盤のラズモフスキーなどあると驚喜していました」と音楽への想いを吐露しています。
「カペエ」とはフランスのヴァイオリニスト、リュシアン・カぺーで、堀内さんがここで触れているのは、彼が結成したカペー弦楽四重奏団演奏によるベートーヴェンの四重奏曲第7番の1曲目、通称「ラズモフスキー第1番」を収録した1920年代のレコードのことと思われます。どこにでもあるわけではないそうしたレコードや音源にどうやって出会い、愛着を深めていったのか。それを考えるだけでも、堀内さんが若い頃よりどれほど音楽に熱い想いを注いでいたのかが分かります。
堀内さんは音楽に関わる仕事も手がけました。1979年から亡くなる1987年まで、ヤマハ・ピアノのPR誌「ピアノの本」の表紙絵を毎号手がけ、音楽にまつわるヨーロッパの風景や音楽家の肖像を描き、エッセイの執筆もしています。この連載は、2020年、谷川俊太郎さんが書き下ろした音楽家にちなんだ詩とともに、『音楽の肖像』としてまとめられ出版されました。また福音館書店の「たくさんのふしぎ」シリーズでは、1987年に『音楽だいすき』を企画し、楽器のなりたちと世界のさまざまな楽器を紹介し、オーケストラの編成を描いています。
『配色の手帖』は、堀内さんが病床で校正をチェックし、その刊行は見とどけることなく、1987年10月に出版されました。この本のために書かれた未完の草稿「音を色に、絵画を音楽に」の一部が「音楽の肖像」に収められています。そこで堀内さんはフランスの画家、ラウル・デュフィや、スペインのチェリスト、パブロ・カザルスの言葉を引きながら音楽と絵の関係についてご自分の解釈を語っています。「素早い線に現れるヴァイオリンの赤、チェロのオークル、管の黄がサッと煌めくと、色の純粋な響きが楽器の音のように響く」。堀内さんはデュフィの《オーケストラ》の絵についてこのように綴っています。そしてデュフィのしたことを「絵を描く喜びの上澄み」とも書いています。同じ絵を描く人間として、堀内さんもその「喜び」を時に感じていたのかもしれません。堀内さんにとって音楽は、花子さんがおっしゃるように、好きという次元を超えた大切なものでした。このレコードプレーヤーはそんな堀内さんの傍で回っていたのです。
(文=林綾野)
次回配信日は、2月21日です。
第1回 若き日のパスポート、第2回 初任給で買った画集、第3回 石元さんからの結婚祝い、第4回 パリ、堀内家の玄関 、第5回 トランプ遊びと安野光雅さんとの友情、第6回 ムッシュー・バルマンの瓶と香り 、第7回 ダッチ・ドールと古い絵本、第8回 パペットと人形劇 、第9回 お気に入りのサントン人形、第10回 瀬田貞二さんとの思い出、第11回 愛用の灰皿、第12回 お気に入りのバター型 、第13回 ルイ・ヴィトンのトランク、第14回 梶山俊夫さんの徳利とぐい呑み、第15回 ミッキーマウスの懐中時計、第16回 少年崇拝、第17回 スズキコージさんのスケッチブック(前編)、第18回 スズキコージさんのスケッチブック(後編)、第19回 コリントゲーム 、第20回 谷川俊太郎さんからの手土産 、第21回 2冊のまめ本、第22回 騎士のマリオネット、第23回 クリスマスのカード、第24回 お面に惹かれて、第25回 お気に入りの帽子、第26回 愛用のカメラ、第27回 デンマークのヴァイキング人形、第28回 メキシコのおもちゃ(前編)、第29回 メキシコのおもちゃ(後編)、第30回 最後まで飲んでいたスコッチウイスキー、第31回 エピナールの紙人形とおもちゃ絵、第32回 バルセロナの人形、第33回 パリ自宅の棚、第34回 ドイツのカラス指人形、第35回 コーデュロイのコート、第36回 堀内家のシュークルート、第37回 バルセロナから来た黒板、第38回 地図、第39回 クロード岡本さんのタイル画、第40回 岩波手帖、第41回 デルフト・タイル、第42回 長新太さんの絵 はこちら
・ここで触れた書籍
「ピアノの本」 ヤマハPR誌
1979年7月〜1987年9月 草思社
25号〜74号まで表紙、カットを担当
『音楽の肖像』
堀内誠一・谷川俊太郎 2020年 小学館
『父の時代・私の時代 わがエディトリアル・デザイン史』 堀内誠一
1979年 日本エディタースクール出版部 / 2007年 マガジンハウス / 2023年 ちくま文庫
『音楽だいすき』
文・翠川敬基 絵・堀内誠一 1987年 福音館書店
『配色の手帖』 1987年 草思社
・堀内誠一さんの展覧会のお知らせです。
「堀内誠一展 FASHION・FANTASY・FUTURE」
2025年 1月22日(水)~4月6日(日)
PLAY! MUSEUM〈東京・立川〉
休館日: 2月16日(日)
詳しくは「PLAY! MUSEUMサイト」でご確認ください。
https://play2020.jp/article/seiichi_horiuchi/
・新刊のお知らせです。
『空とぶ絨緞』 堀内誠一 中公文庫
1981年から1983年まで「anan」で連載された「堀内誠一の空とぶ絨緞」は1981年にパリ生活から戻った後の旅行エッセイで、1989年にマガジンハウスで1冊の本にまとめられました。今回未収録の新たなイラスト、文章を満載して初文庫化されました。

堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。