堀内誠一のポケット 第2回

アート|2021.8.18
文=林 綾野|写真=小暮 徹

伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?

第2回 初任給で買った画集

談=堀内花子
14歳で伊勢丹で働きはじめた父は、余力がある限り、海外の画集、写真集、絵本を取り寄せていたようです。絵本に興味があった母ともそんなわけで気があったのでしょう。父の仕事机のまわりには、いつでもその時々の気になるアーティストの作品集が広げられていました。

堀内が自分で稼いだお金で初めて購入した画集。ゴッホとセザンヌ、それぞれ2冊ずつ。絵を描くことも見ることも好きだった堀内は若い頃から画集を買い集めて手元に置いていた。

1888年、アルルに暮らすゴッホが自らを描いた《タラスコンへの道を行く画家》。1942年、アトリエ社よりゴッホの画集が出版された当時、この絵はドイツ、マグデブルクの美術館に所蔵されていたが、第2次世界大戦中に消失。堀内は後年このゴッホの姿を写し描いている。

堀内誠一さんは、1932年東京に生まれました。戦中は母方の親戚が暮らす石川県に疎開し、終戦後、長男だった堀内さんは父親の治雄さんと二人で東京に戻り、家族の暮らしを立てるために早速仕事に就くことになります。いくつかの職場を経て、1947年より伊勢丹宣伝係に就職。ウィンドウディスプレイや看板のレタリング書き、季節刊行誌「Bouquet」のデザインや 挿絵描きなど様々な仕事を経験します。初任給をもらってまず購入したのがこのゴッホとセザンヌの画集でした。1942年にアトリエ社から刊行されたものでカラー図版が貼り付けられています。子どもの頃から絵を描くことが何よりも好きだったという堀内さん。ゴッホ、セザンヌ、そしてピカソやクレー、ボナールなどの画集を熱心に見ながら、描くことに対する気持ちを募らせていたのでしょう。伊勢丹での仕事に真剣に取り組みながらも、時間を見つけて現代美術研究所や自由美術家協会に通い、熱心に絵を描きました。「絵」の存在は、社会に出ながらもまだ少年だった堀内さんの心の中を大きく占めていたに違いありません。
(文=林綾野)

次回配信日は、8月31日です。

堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。

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