堀内誠一のポケット 第10回

アート|2021.12.28
林綾野 写真=小暮徹

伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?

第10回 瀬田貞二さんとの思い出

談=堀内花子
 父が生涯尊敬し慕っていたのは瀬田貞二さんです。瀬田さんを「浦和の師匠」「浦和天神」と敬い、絵画、児童文学、絵本の世界のことはもとより、日本の伝統文化についても啓蒙してくださいました。おなじ「弟子」仲間だった瀬川康男さんと3人で連れ立って、よく旅行にも出かけていました。旅の目的はお祭りのことが多く、紀伊のおとう祭りを見に行ったときは、母とまだ3歳だった私も同行しました。
 瀬田さんが集めていらしたこけしや日本の伝統的なおもちゃにも父は大いに惹かれていて、凧やコマなどを旅先から持ち帰ってきていました。コマで遊んだ覚えはありませんが、このだるま落としはパリにも持っていったほど私たちの身近にあったものです。妹は父に勝つために練習を怠らなかったとか。

左:堀内家の棚に長年置かれていただるま落とし。当初は黄色や赤など色鮮やかだったそうだが、家族で度々遊んでいるうちにだんだんと色褪せてきたそう。右:瀬田貞二さんと出かけた旅先で購入したコマ。堀内家で実際にまわして遊ぶことはなかったが、瀬田さんとの思い出の品として大切に保管されてきた。
左:《いりふねでふね》1975年1月、第6号、表紙と「おもちゃ絵」特集の中ページ。堀内渾身の特集ということで2色刷り、サイズを倍にして発行された。中ページでは瀬田のおもちゃ絵コレクションが解説入りで紹介された。右:《いりふねでふね》1977年1月、第14号。エピナールで開催された「おもちゃ絵展」について展覧会レポートを堀内が編集、執筆した。

児童文学の研究家で、作家であり、翻訳家でもあった瀬田貞二さん。瀬田さんは、堀内さんが手がけたグリム童話の名作のひとつ『七わのからす』(1959年)の訳者であり、1959年1月、2人はこの絵本の編集を担当した堀内さんの妻、路子さんを介して初めて対面しました。以来、堀内さんは瀬田さんを慕い、浦和の家を訪ねては絵本談義をするなど楽しいときをたびたび過ごしました。堀内さんが宮沢賢治作の絵本、『雪わたり』を描く際、「堀内さんには雪景色にあまり馴染みがないだろうから」と言って瀬田さんは、ご自身の奥様の故郷、信州飯山にあった「兎人(ホビット)荘」に誘ってくれたそうです。大量の雪が降り、それが堅く凍って畑の上でもどこでも雪の上を歩くことができる「雪わたり」を、堀内さんははじめてここで体験することができたといいます。瀬田さんは、そんなふうに堀内さんが絵本の仕事をする上でさまざまな形で力になってくれる方だったのです。
 1974年、堀内家がパリに移り暮らしてからもその交友は続きました。瀬田さんは、浮世絵、とりわけおもちゃ絵を中心としたコレクションをお持ちだったそうです。堀内さんはその見事なコレクションをフランスで紹介したいと思い、編集・企画を手がけていたミニコミ誌《いりふねでふね》で特集を組みました。この特集は「おもちゃ絵展」という形で、シャルトルの美術館をはじめ、エピナールなどを巡回します。(フランスでエピナールといえばアルザスの小都市エピナールで生まれた「おもちゃ絵」に通ずる版画の呼称だそうです)

児童文学を中心に研究する瀬田さんは、童話や絵本、おもちゃなど、子どもの文化全般に広い見識を持ち、新しく登場する作品にも好奇心を持って評されたといいます。「瀬田さんはほんとうに、幼いもの、ひそやかなつつましいもの、優しい喜ばしさが好きでした」。1979年に急逝した瀬田さんへの追悼文に堀内さんは綴っています。瀬田さんの児童文化への深い愛情とその優しさに堀内さんは敬愛の念を抱いていました。盛んに遊んだだるま落としと、まわすことのなかったコマ。堀内家で大事にされてきた懐かしい日本の郷土玩具には、堀内さんと瀬田さんの友情が詰まっているのです。
(文=林綾野)

次回配信日は、1月17日(月)です。

・関連書籍

『七わのからす』グリム 作 / 瀬田 貞二 案 / 堀内 誠一 画1959年(福音館書店)
『雪わたり』宮沢賢治作 / 堀内 誠一 画 1969年(福音館書店)
『お父さんのラッパばなし』瀬田 貞二 作 / 堀内 誠一 画 1977年(福音館書店)

「堀内誠一  絵の世界」
大丸ミュージアム〈京都〉(大丸京都店6階)
2022年1月4日(火)―1月24日 (月)会期中無休

入場は午前10時から午後7時30分(午後8時閉場)
※最終日は午後4時30分まで(午後5時閉場)

https://dmdepart.jp/museum/kyoto/horiuchiseiichi/?_ga=2.256641355.1707316986.1638842509-307900705.1638842509

<巡回会期情報>
「堀内誠一  絵の世界」
2022年1月4日(火)~1月24日(月) 大丸ミュージアム京都 (大丸京都店6階)
2022年3月19日(土)~7月25日(月) ベルナール・ビュフェ美術館 (静岡・長泉)
2022年7月30日(土)~9月25日(日) 県立神奈川近代文学館 (神奈川・横浜)
その後も巡回する予定です。
 

堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。

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