堀内誠一のポケット 第36回

アート|2024.4.23
林綾野 写真=小暮徹

伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?

第36回 堀内家のシュークルート

談=堀内紅子

私たちがパリ郊外に暮らしていた頃、夏が過ぎて涼しくなってくると、近所のお惣菜屋さんに生のシュークルートを積み上げた円錐形の山が登場しました。それを500グラム計ってもらい、油紙で包んでもらいます。さっと洗って鰹節をふりかけてお漬物がわりにも食べたし、ベーコンやソーセージと一緒に安い白ワインで煮たフランス家庭料理の定番、アルザス風シュークルート・ガルニもよく食卓に上りました。フランスに暮らしていた間、父が自慢げに料理の腕を振るうことがありましたが、そのうちの1つがこのシュークルート・ガルニです。
おもてなしに限らず、気軽に、たとえば母が外出していて夕飯を作れないときに作ってくれることもありました。野菜たっぷりだし、安上がりだし、何より父はベーコンやソーセージが大好きだったのです。お供のワインは、細い瓶のアルザスの白で、それも色々試すうちに、辛口のゲヴュルツトラミネールに落ち着いたというのは、お酒のことをよく覚えている姉の記憶です。
東駅近くにあるアルザス料理を出すブラッスリーにも、イリフネ社のベローさん家族などと大人数で「今日はシュークルート屋さんに行くわよ」と、たびたび食べに行きました。オードブルには 必ず、生牡蠣や生マテ貝、茹でエビが載った大皿を注文します。あれはむしろ、シュークルートよりも同じく大好物の生牡蠣が目当てで出かけていたのかな。
アルザスのストラスブールに旅行した際は、昔の税関の建物を利用したレストランに連れて行かれました。イル川沿いに張り出したテラスで供された本格シュークルート一人前のものすごい肉のボリュームに驚いた覚えがあります。アルザスの隣のロレーヌ地方の料理、具材がベーコンのみのキッシュ・ロレーヌは、外で小腹が空いたときにお惣菜屋さんで買い食いして贅沢気分を味わうものでしたが、やはり父が好きだったもので、東京に戻ってからは、わたしがたまに焼いていました。感想なんて言わない父ですが、何の機会だったか「紅(モミ)、キッシュ焼きなさい」と言われて、ちょっと嬉しかった記憶があります。

堀内家のシュークルート。シュークルートはドイツ語でいうザワークラウトのことで、キャベツを乳酸発酵させた保存食。シュークルートとソーセージやベーコンなど肉類を煮込んだ料理を「シュークルート・ガルニ」と呼ぶが多くの場合「シュークルート」という通称で親しまれる。
型にパイ生地を敷きつめてから、卵、ベーコン、チーズ、ナツメグ、生クリームを混ぜ合わせたものを流し込んで焼いたキッシュ・ロレーヌ。焼いている間、スフレのように膨らみ、冷えてからはしっとりとした食感に。紅子さんは細かな分量にこだわらず、目の前の材料を感覚的に組み合わせながらスピーディーに仕上げていく。出来上がった料理は率直で、スパイスなどパンチが程よく効いていてどれもとても美味しい。

堀内家の食器棚の奥を覗くとオーバル型の深めのお皿がぽんと置かれています。形が合わないので、どのお皿とも重ねることができないので1枚だけで置かれているのです。白地にニンジンや赤カブ、玉ねぎなど野菜の絵がプリントされていて、ナイフの跡もいくつかあって、長い年月をかけて使い込まれたお皿だということがわかります。
堀内家でシュークルートを作ると必ずこのお皿に盛りました。堀内さんの好物であり得意料理でもあったというシュークルート。堀内家では家族の誕生日やクリスマスなど大人数で食卓を囲むとき、今では紅子さんが腕をふるいます。
堀内家のレシピを紅子さんに教わりながら、一緒に作ってみました。まずは市販の瓶詰めのザワークラウトを、水をためたボウルですすぐように洗ってからザルに取り、水を切って大きめの鍋にあけます。そこに千切りにしたキャベツを加え、ローリエ、ホールのままの黒胡椒を入れます。フライパンで焼き色をつけた厚切りベーコンものせて、白ワインをたっぷり回しかけ蒸し煮に。その間にジャガイモを別に茹でておきます。30分ほどたったら、ジャガイモと何種類かのソーセージも加え、さらに15分くらい弱火で煮たら出来上がり。マスタードを添えていただきます。
堀内家らしいアレンジは生のキャベツを加えるところです。このレシピはパリに暮らす堀内家とお付き合いの深い山口智子さんから教えていただいたそうです。堀内さんが絵を描いた『おそうじをおぼえたがらないリスのゲルランゲ』の訳者であり、再話や翻訳を手がける山口さんは大のお料理上手でもありました。生のキャベツを加えることでボリュームも増え、ザワークラウトが持つ酸味も程よくなります。シュークルートには香りづけとして、ジュニパーベリーという実を入れることが多いそうです。日本では「西洋ねずの実」と呼ばれるもので、直径8mmほどの黒っぽい実で独特の強い香りがします。今回、紅子さんにパリの家で堀内さんや路子夫人がどんな風に作っていたかよく思い出していただいたところ、黒胡椒の粒は入れていたそうですが、ジュニパーベリーは入れていなかったとのこと。気軽にシンプルに作るというのが堀内家流なのです。
シュークルートはフランス・アルザス地方の代表的な家庭料理。ドイツとの国境付近に位置するフランス中東部、アルザス地方の町、ストラスブールを堀内さんは度々訪ねています。元々ソーセージやベーコンが好物だった堀内さんはドイツの街を訪れれば、地元ならではのソーセージを必ず食べていたそうですので、ストラスブールでシュークルートを食べ、すぐに気に入ったのでしょう。
ストラスブールについては雑誌「anan」での連載「パリからの旅」でも取り上げています。「夕餉(ゆうげ)どき町を歩くと、決して高貴とは言えないけれど、親しさのあるなまあったかい匂いがしてくる。シュークルートを煮ている匂い。アルザスの人はこれを毎日食べてもあきないのです」。町の紹介はまずは名物料理のシュークルートから。そして「この町に来るたびに寄る、河辺のビアホール「L’Ancienne Douane(旧税関)、落ち着いた大きな建物で、テラスから古い家並みがくれ染まるのを見ながら食べられます」と、この料理を食べることができるお店の様子を描写しています「L’Ancienne Douane」は紅子さんがストラスブール旅行の際に訪れた「昔の税関の建物」と回想しているお店です。
シュークルートと合わせて白ワインを楽しんだ堀内さん。アルザスならではの美食、美酒を堪能しながらも、紀行エッセイには11世紀に建造が始まったという古き大聖堂を中心に町の成り立ちが綴られます。「ここで見る彫刻は名人芸の極」「知られていない画家の作品が面白い」など堀内さんは町、教会、美術館の隅々にまでその眼差しを向けています。長い時間をかけて積み重ねられてきた町の歴史や人々の営みの中に自然に溶け込んだ郷土の料理までその好奇心は等しく向けられていました。
今でも時おり堀内家の食卓に登場するシュークルート。大皿から立ち上る「親しさのあるなまあったかい匂い」はパリで多くの人と囲んだ食卓や家族で旅した思い出を運んできます。キャベツやソーセージ、ベーコン、ジャガイモ。好きなものを好きなだけ食べながら、ワインを飲めばおしゃべりも弾んできます。紅子さんや花子さんと大皿いっぱいに盛られたこの料理を囲んでみて、その味わいだけでなく、堀内さんが愛した時間を少し感じられた気がするのです。
(文=林綾野)

次回配信日は、5月30日です。

第1回 若き日のパスポート、第2回 初任給で買った画集、第3回 石元さんからの結婚祝い、第4回 パリ、堀内家の玄関 、第5回 トランプ遊びと安野光雅さんとの友情、第6回 ムッシュー・バルマンの瓶と香り 、第7回 ダッチ・ドールと古い絵本、第8回 パペットと人形劇 、第9回 お気に入りのサントン人形、第10回 瀬田貞二さんとの思い出、第11回 愛用の灰皿、第12回 お気に入りのバター型 、第13回 ルイ・ヴィトンのトランク、第14回 梶山俊夫さんの徳利とぐい呑み、第15回 ミッキーマウスの懐中時計、第16回 少年崇拝、第17回 スズキコージさんのスケッチブック(前編)、第18回 スズキコージさんのスケッチブック(後編)、第19回 コリントゲーム 、第20回 谷川俊太郎さんからの手土産 、第21回 2冊のまめ本、第22回 騎士のマリオネット、第23回 クリスマスのカード、第24回 お面に惹かれて、第25回 お気に入りの帽子、第26回 愛用のカメラ、第27回 デンマークのヴァイキング人形、第28回 メキシコのおもちゃ(前編)、第29回 メキシコのおもちゃ(後編)、第30回 最後まで飲んでいたスコッチウイスキー、第31回 エピナールの紙人形とおもちゃ絵、第32回 バルセロナの人形、第33回 パリ自宅の棚、第34回 ドイツのカラス指人形、第35回 コーデュロイのコート、 はこちら

・ここで触れた書籍・雑誌

『guide anan パリからの旅』1981年 平凡出版

『おそうじをおぼえたがらない リスのゲルランゲ』
作:ジャンヌ・ロッシュ=マゾン 訳:山口智子 絵:堀内誠一 1973年 福音館書店

・堀内誠一さんの展覧会のお知らせです。

「堀内誠一 絵の世界」
2024年4月13日(土)~6月2日(日)
岩手県立美術館
休館日:月曜日(4月29日、5月6日は開館)/4月30日/5月7日
開館時間: 9:30~18:00(入館は17:30まで)

講演会「『BRUTUS』はこうしてできた。堀内さんとの仕事と思い出」
講師:石川次郎(エディトリアルディレクター/「BRUTUS」元編集長)
聞き手:林綾野
日時:2024年5月11日(土) 14:00~15:30

ワークショップ「飾ってかわいいガーランドとくるくる回るモビール作り」
講師: 堀内紅子
5月18日(土)場所:スタジオ

詳しくは「岩手県立美術館サイト」でご確認ください。
https://www.ima.or.jp/exhibition/temporary/20240413.html

「堀内誠一 絵の世界」
2024年7月6日(土)~9月2日(月)
島根県立石見美術館
休館日:休館日:毎週火曜日(8月13日は開館)
開館時間: 9:30~17:00(入館は17:30まで)

詳しくは「島根県立石見美術館サイト」でご確認ください。
https://www.grandtoit.jp/museum/


「堀内誠一 絵の世界」
2024年9月14日(土)~11月24日(日)
イルフ童画館〈長野県・岡谷〉

・新刊のお知らせです。

『父・堀内誠一が居る家 パリの日々』 堀内花子 カノア
家族と共に暮らしたパリの日々の思い出。長女・堀内花子から見た父・誠一の日常が綴られたエッセイが刊行されました。初公開の貴重な写真や手紙、イラストレーションなども収録しています。

『父・堀内誠一が居る家 パリの日々』刊行記念トーク

堀内花子さんのトークイベントが盛岡で開催されます。
2024年5月12日(日) 10:00〜
会場:羅針盤 (盛岡市中ノ橋通1丁目4-15)
参加費:1500円 + ワンドリンクオーダー
定員:20名
詳しくは「BOOKNERD」のインスタグラムのアカウント、
もしくは booknerdmorioka@gmail.com までお問い合わせください。

堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。

RELATED ARTICLE