堀内誠一のポケット 第31回

アート|2023.10.12
林綾野 写真=小暮徹

伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?

第31回 エピナールの紙人形とおもちゃ絵

談=堀内花子

フランス語でエピナールというと「おもちゃ絵」のことです。ヴォージュ地方のエピナールの町でつくられ始めた木版画から、着せ替え人形やお芝居の舞台や乗り物、建物の立体を紙一枚から工作する世界が通称エピナールになったみたいです。父はフランスに住み始めると、さっそくこの町を訪ねています。というのも、瀬田貞二さんの見事なおもちゃ絵コレクションをフランスに紹介したいど考えていたからです。まず手始めにフランスのおもちゃ絵事情を調べたかったのでしょうね。小さな町でしたが、このとき訪ねたナンシーやストラスブールのことはいろいろ覚えているのですが、エピナールの町の印象はほとんどありません。この紙人形がエピナール製だということも忘れていました。パリ郊外の我が家にはずっとぶら下がっていました。
瀬田貞二コレクションはまず最初にシャルトルの美術館で披露され、そのあとエピナールを含めて少なくとも三か所に巡回しました。「いりふね・でふね」では、サイズを倍にしておもちゃ絵特集が組まれ図録の役目も果たしました。
ちなみに父がパリで一番好きだといっていたのはマレ地区にあるヴォージュ広場でした。

堀内家に眠っていたエピナール版画と道化師の紙人形。紙人形は堀内家がパリ郊外に暮らしていたころ、リビングの壁にいつも飾られていた。
ミニコミ誌「いりふね・でふね」1977年1月、第14号。中面で「おもちゃ絵展」のことと、エピナール版画の歴史を詳しく紹介している。堀内は「エピナール版画の行商人」というイラストを自ら描き、「19世紀終わりごろの様子です。これを看板にしてまだエピナールでペルラン堂が刷って売っています」と説明を添えている。エピナール版画は18世紀後半、エピナールでジャン・シャルル・ベルランが木版画から始め、1882年から機械石版の技術を取り入れ大量生産が可能になり、大衆版画として発展した。
月刊絵本「ひらけ!ポンキッキ」1975年5月号・第26号。工作コーナー「つくろう!つくろうポンキッキ」で「ピノキオにんぎょう」として、絵本を切り抜いて手足をとめがねで留めて動くピエロ人形の作り方を紹介している。

格子模様の服に帽子を被った「Paillasse」は道化師で、厚手の紙を切り出して作られた紙人形です。紐を引っ張ると手足が動く仕組みになっていて、壁にかけて遊べるようになっています。少女時代、花子さんはこの人形が好きになれなかったとか。髭を生やし、にやりと笑うその顔が苦手だったそうです。
1975年の秋から、堀内さんが企画の仕立てを手がけた、瀬田貞二さん所蔵の「おもちゃ絵展」がシャルトルの美術館を筆頭に、ショレー、ナント、レンヌとフランス国内を巡回する形で開催されました。さらに1976年の10月にエピナール市の国際イマジュリー美術館でも展示されることになり、堀内さんもエピナールを訪れました。その時の様子がパリのミニコミ誌「いりふね・でふね」1977年1月の14号に詳しく記されています。
花子さんのお話によれば、堀内さんはそれまでも「おもちゃ絵展」の準備のためにエピナールに度々足を運んでいますので、道化師の紙人形はそのいずれかの時に購入したと思われます。エピナールで買い求めたものが他にもあるかもしれないということで、花子さんに引き出しの中をあれこれと探してもらったところ古いリトグラフ(石版画)のおもちゃ絵がどっさり出てきました。どれもA3ほどのサイズで、切り抜いて遊ぶ紙の着せ替え人形のような絵柄が刷られています。教会や山の上の街や飛行機などの絵柄もあり、やはり切り抜いてから、折りたたみながら組み立てていく「組立絵」もあります。こうしたリトグラフが花子さんがお話ししてくださった「エピナール」です。
「いりふね・でふね」の14号で堀内さんはエピナールの成り立ちをフランスの民衆版画「イマジュリー・ポピュレール」の歴史から遡って紹介しています。イマジュリー・ポピュレールは15世紀頃から、主に宗教的な目的で木版画として作られるようになり、18世頃になるとシャルトルやパリ、エピナールなどフランスの街でも盛んに作られるようになります。19世紀になると、宗教画だけでなく、世俗的な事件や物語、風刺画などその題材も広がりを見せはじめ、こうした子どもたちのためのものも多く作られるようになりました。
堀内さんは、手元にある身近なもので、おもちゃを作る世界が好きだったといいます。瀬田さんが集めていた「おもちゃ絵」やこうしたエピナールの人形や版画との出会いにさぞや胸が踊ったのではないでしょうか。そして堀内さんの興味はどうしてこういうものが存在しているのかというところまで広がっていきます。「いりふね・でふね」に綴られたエピナールをめぐる詳細な記述には、その成り立ちについても知らずにはいられないという堀内さんの見果てぬ好奇心と強い探究心の現れとも言えるでしょう。
1975年の月刊絵本「ひらけ!ポンキッキ」の工作コーナー「つくろう!つくろうポンキッキ」では、この道化師の紙人形をモデルに「ピノキオにんぎょう」の作り方を自ら絵を描いて紹介しています。堀内さんの中で芽生えた興味は、ときにその創作にも結びついていきました。堀内家の壁に何気なく吊られた紙人形も、丹念にその在りどころをたどっていけば、底知れぬクリエイティブな輪廻が渦巻いているのです。
(文=林綾野)

・堀内誠一さんの展覧会と関連イベントのお知らせです。

「堀内誠一 絵の世界」
2023年10月7日(土)~12月17日(日)
群馬県立館林美術館
休館日:月曜(ただし10月9日は開館)・10月10日(火)
開館時間: 9:30~17:00(入館は16:30まで)

詳しくは「館林美術館サイト」でご確認ください。
https://gmat.pref.gunma.jp

その後も巡回する予定です。

・トークイベントのお知らせです。

堀内誠一 絵の世界展 記念講演会「絵を愛した父」

トーク:堀内花子
聞き手:林綾野
2023年11月19日(日)14:00~15:30
館林美術館 講堂
先着130名(10月25日午前11時より受付開始)

詳しくは「館林美術館サイト」でご確認ください。
https://gmat.pref.gunma.jp/event/

・新刊のお知らせです。

『父の時代・私の時代』 ちくま文庫
1979年に日本エディターズスクール出版部から刊行された堀内誠一の自伝『父の時代・私の時代』が、このたび増補・文庫化され5月12日に刊行されました。

堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。

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