堀内誠一のポケット 第33回

アート|2023.12.25
林綾野 写真=小暮徹

伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?

第33回 パリ自宅の棚

談=堀内紅子

蚤の市で買った振り子時計、愛飲していたアルマニャックの空き瓶、どなたからかいただいたクマのぬいぐるみ。どれも馴染みのある物たちです。パリ郊外のアントニーのアパートの部屋の棚、何でもかんでも無造作に置いてある棚に、時計も空き瓶もクマもいました。見ての通り父も母も整理整頓には無頓着で、とくに母は何でも取っておく反面、物が行方不明になることもしょっちゅうで、父は母のことを「かくなし奥さん」(隠して失くすの意味で)と呼んでいたくらいです。
アルマニャックの瓶は形が面白くて捨てがたかったのか、家にどんどん溜まっていっていました。父も気に入っていたのか、1975年に出た絵本『おひさまがいっぱい』にも登場させています。時計は、いつか小田原に家を建てたら壁にかけようと話していました。焦茶のクマのぬいぐるみは、どなたからかいただいたものだと思います。パリでは、胸あて付き赤いズボンを履かせていました。私が何かを継ぎ合わせて縫ったもので、呆れるほど雑な代物だったのですが、そういった子どもの工作を褒めもしないかわりに滅多に捨てない親だったなと今になって思います。

中世ヨーロッパ風の絵で装飾されているクラシックな時計。首の曲がったアルマニャックはサンヴィヴァン VSOP。中世の手吹き瓶のイメージでデザインされているそう。かわいらしいクマのぬいぐるみとともに、パリから日本にやってきてすでに40年が経過する。
1975年4月、客人が集まったリビングでの食事会の様子。左に堀内誠一さん。中央はこの連載の写真を撮影しているカメラマンの小暮徹さん。背後に見える棚の右上段に時計、ドライフラワーが挿してあるアルマニャックの瓶は左右の棚に1つずつ。クマのぬいぐるみは当時紅子さんが作った赤いズボンをはいている。
1976年1月のリビング。時計は同じ場所。下の段にクマのぬいぐるみ。左側の棚の上段左端にアルマニャックの瓶。堀内さんの背後にはご自身がデザインされた坂東玉三郎のポスターが2枚貼られている。
「装苑」1976年3月号『パリの手紙3』より。ここでは、首の曲がったアルマニャックのボトルを紹介している。
1975年の『詩の絵本 おひさまがいっぱい』には、このアルマニャックが登場。

小田原の堀内家の書棚の上に立てかけるように置かれているのは、堀内誠一さんの妻、路子さんの肖像画「風」。洋画家だった路子さんの父、内田巌さんが1946年に描いた油彩画です。その絵の前に古い時計とお酒の瓶、横にはクマのぬいぐるみ。これらはどれも堀内家がパリ郊外に暮らしていた時、リビングの棚にいつも置かれていたものです。堀内家が暮らしたパリの郊外、アントニーのアパートメントのリビングルームは、家族の団欒の場であり、時に日本からの客人が集まる場所でもありました。客人たちと囲む大きめのテーブル、そして木製の棚には、本、お酒のボトル、カレンダー、数々のオブジェが所狭しと並んでいました。
箱型の時計はチェーン巻上げ式で長い鎖が垂れ下がっていて、盤面には子どもの姿が描かれています。1点ずつ手描きで仕上げられていて絵画のような趣もあります。時計自体はもう動いていませんでしたが、パリのアパートメントのリビングでは大きな存在感を放っていたようです。クマのぬいぐるみは小さくて何気ないものですが、手先の器用な紅子さんが赤いズボン作って履かせたことでご家族にとっては愛着のある品になっていたのだと思います。赤いズボンは紅子さんがその後取ってしまったそうです。くねっと曲がったアルマニャックの瓶は本当に形がお好きだったようで「でてきておひさま」(1975年刊)の他にも、堀内さんは「装苑」での連載、『パリの手紙3』(1976年3月号)にもその姿を描いています。「ビンの形で勝負しているようなブランデー。コニャック地方のものばかり有名になっちゃってちょっと可哀そう。けっこう美味しい」と書き添えており、このお酒を愛飲した様子も伝わってきます。
こうしたお気に入りの品々が何気なく置かれた堀内家のリビングは客人たちにとってもくつろげる場所だったことでしょう。堀内家には当時の様子を写した写真も残っていました。時計もクマのぬいぐるみも、アルマニャックの瓶も写っています。紅子さんは掛かっているカレンダーやご自身が林間学校先から送ったハガキなど棚に並ぶいくつかのアイテムをヒントに1枚目は1975年、2枚目は1976年に撮影したものと推測してくださいました。ちょうど『おひさまがいっぱい』や『パリの手紙3』が描かれた時期とも重なっていますので、さらに堀内さんが身近なものを絵の中に描いたことがわかります。約7年半、堀内家はこのアパートメントに暮らしました。そして1981年に帰国し、しばらくしてから堀内さんはパリに移る前に購入していた小田原の土地に家を建てることを構想しますが、早すぎた死のため生前にその計画は実現しませんでした。しかし路子さんはその意志を受け継ぎ、小田原に家を建て、ひとりで暮らします。そして今もパリの時と同じように、箱型の時計、クマのぬいぐるみもアルマニャックの瓶も本棚の上に何気なく置かれているのでした。
(文=林綾野)

次回配信日は、1月 25日です。

第1回 若き日のパスポート、第2回 初任給で買った画集、第3回 石元さんからの結婚祝い、第4回 パリ、堀内家の玄関 、第5回 トランプ遊びと安野光雅さんとの友情、第6回 ムッシュー・バルマンの瓶と香り 、第7回 ダッチ・ドールと古い絵本、第8回 パペットと人形劇 、第9回 お気に入りのサントン人形、第10回 瀬田貞二さんとの思い出、第11回 愛用の灰皿、第12回 お気に入りのバター型 、第13回 ルイ・ヴィトンのトランク、第14回 梶山俊夫さんの徳利とぐい呑み、第15回 ミッキーマウスの懐中時計、第16回 少年崇拝、第17回 スズキコージさんのスケッチブック(前編)、第18回 スズキコージさんのスケッチブック(後編)、第19回 コリントゲーム 、第20回 谷川俊太郎さんからの手土産 、第21回 2冊のまめ本、第22回 騎士のマリオネット、第23回 クリスマスのカード、第24回 お面に惹かれて、第25回 お気に入りの帽子、第26回 愛用のカメラ、第27回 デンマークのヴァイキング人形、第28回 メキシコのおもちゃ(前編)、第29回 メキシコのおもちゃ(後編)、第30回 最後まで飲んでいたスコッチウイスキー、第31回 エピナールの紙人形とおもちゃ絵、第32回 パリ自宅の棚 はこちら

・ここで触れた書籍・雑誌
《堀内誠一発 パリの手紙》堀内誠一 「装苑」1976年1月号-12月号(文化出版局)
『詩の絵本 おひさまがいっぱい』 詩・与田凖一 画・堀内誠一 1975年(童心社)

・堀内誠一さんの展覧会

「堀内誠一 絵の世界」展は、来春4月より岩手で開催予定
その後も巡回します。

・新刊のお知らせです。

『父・堀内誠一が居る家 パリの日々』 堀内花子 カノア
家族と共に暮らしたパリの日々の思い出。堀内花子から見た父・誠一の日常が綴られた貴重なエッセイが近日刊行になります。

『父の時代・私の時代』 ちくま文庫
1979年に日本エディターズスクール出版部から刊行された堀内誠一の自伝『父の時代・私の時代』が、このたび増補・文庫化されました。

堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。

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