堀内誠一のポケット 第1回

アート|2021.7.27
文=林 綾野|写真=小暮 徹

伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?

第1回 若き日のパスポート 

談=堀内花子
父の最初のパスポートです。フランスやドイツ、イタリア、フィンランド、エジプトなどいろんな国のスタンプが押されています。日記がわりだった手帖には、晩年まで変わらなかった父ならではの小さな文字で、旅程や宿の住所、初めてのヨーロッパでの日々の体験や思いがスケッチとともに記されています。

1960年に取得した最初のパスポートと手帖、旅先で手に入れたベルリンやローマなど各地の地図、観光案内のパンフレットなど。

妻の路子に送った葉書の数々。「このクラナッハの絵はとてもきれい」、「早く帰って話したい」「近頃になって本当に日本の悪いとこやなんかが良く解ってきたような気がします。もちろん自分の勉強不足や精神も含めて」など、旅先での想いが綴られている。

堀内誠一さんは1960年8月、ヨーロッパへ向かって旅立ちます。当時、27歳だった堀内さんは「アド・センター」でチーフデザイナーとして活躍していました。一般に海外渡航が可能となったのは1963年から。「海外繊維デザイン事情視察」という名目で特別にビザを申請してのぞんだ旅でした。
8月2日にフランスのオルリー空港に到着。パリでしばらく過ごしてから、ヨーロッパ各国を見て歩きます。
今のように情報もない中、苦労もあったようですが、美術館を巡り、町歩きをするうちに緊張もほぐれ、旅を満喫したようです。最初は2ヶ月のつもりだった旅は半年に及びました。その間、各地で絵葉書を買って、前年に結婚した妻に1日とあかず手紙を書いています。パリを拠点にイタリアやスペイン、オランダやベルギー、ドイツやオーストリアなどを巡り、1961年1月22日に帰国。その後、高度成長期真っ只中の日本で、デザイナー、アートディレクターとして、堀内さんは忙殺の日々に飲み込まれていくことになります。視察と銘打ったこの旅には、実は別の思惑もありました。「何としても外国を見たくなりました。以前からの夢もありましたが、若いくせに妙に一人前に忙しくなって、息をはくだけで吸うことの少ない状態に不安を感じたからです」*。この旅での経験は、その後さまざまな形でデザインや雑誌作り、絵本作家としての堀内さんの仕事にいかされていきます。
(文=林綾野)

*堀内誠一「父の時代・私の時代」(1979年 日本エディタースクール出版部/2007年 マガジンハウス)

堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。

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