堀内誠一のポケット 第3回

アート|2021.8.31
林 綾野|写真=小暮 徹

伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?

第3回 石元さんからの結婚祝い

談=堀内花子
大昔から我が家にあるこのグラスは、1958年に父と母が結婚した時、披露宴の発起人の一人でもあった写真家の石元泰博さんからいただいたものです。父は石元さんをとても尊敬していました。ほかに赤や緑など、いくつかあったのですが、残っているのはこの青色の1つだけになってしまいました。これも少し欠けてしまっていますが、今でも母は大切にしています。

懐かしいグラスを手にする路子夫人。堀内、石元夫妻の4人で会うこともあったとか。「石元さん、無口だったけど、サバサバしたとても良い人でしたよ。」と路子さん。
堀内と石元、二人が一緒に仕事をした「ロッコール」のうち3冊(左から29号1957年、10号1956年、18号1956年)。1967年にミノルタから出された石元の写真を堀内がレイアウトしたカレンダー(右)。堀内は石元の写真に「強くセンチメントを感じていた」*という。

1955年、カメラメーカーの千代田光学(後のミノルタ)が、PR誌「ロッコール」を創刊します。当時、堀内誠一さんは伊勢丹に勤務していましたが、同誌の編集長、玉田顕一郎さんに声をかけられ、アートディレクターを務めることになります。カメラメーカーのPR誌ということで、いろいろなカメラマンを起用することになり、その中には、数年前にアメリカから帰国した石元泰博さんもいました。写真の扱いに対して非常に厳格だったという石元さんですが、堀内さんとの仕事は特別だったようです。「私が写真をどう扱おうが許してくれた」*と、石元さんとの仕事を堀内さん自身、感慨深く回想しています。写真集やカレンダーなど、その後も二人はたびたび仕事を共にしました。1958年に堀内さんが絵本編集者の内田路子さんと結婚する際に、お祝いとして石元さんより贈られたこのグラスは、カイ・フランクデザインの「Nuutajarvi」のシリーズの1つだと思われます。1955年より発売されたこのカラフルなグラスのシリーズは、当時、抜群にモダンな贈り物だったことでしょう。
(文=林綾野)

次回配信日は、9月15日です。

*堀内誠一「父の時代・私の時代」(1979年 日本エディタースクール出版部/2007年 マガジンハウス)

堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。

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