堀内誠一のポケット 第4回

アート|2021.9.15
文=林 綾野|写真=小暮 徹

伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?

第4回 パリ、堀内家の玄関

談=堀内花子
私たちが住んだのはパリといっても南の郊外です。当時まだソー線と呼ばれていたB線沿線の団地街でした。住所は地中海通り1番地お天気荘(Résidence Beausoleil)。玄関の扉に表札代わりに吊るしていたのがこの天使です。父が蚤の市で見つけてきたのだと思います。お客さんにとっては可愛い目印でしたが、考えてみれば私たちは信者でもなんでもないのでした。

パリの堀内家の扉に吊られていた天使のマスコット。手のひらにすっぽり収まる ほどのサイズだが、 天使が手にするリボンに「HORIUCHI」と堀内さんの字で書き込まれている。

堀内家が買い物に行っていた隣町MASSYのポストカード。パリの中心部までは電車で30分ほどだった。左下:堀内家の窓からの風景。パリ郊外の住宅地が広がる。右下:アパートの前の次女紅子さん。3階の堀内家の窓辺には人影が。

1974年、堀内誠一さんはパリに移住します。1969年にアド・センターを退職してからフリーとなった堀内さん。1970年にはロゴやデザイン、コンセプト作りまで手がけた「anan」が創刊され、その後3年にわたってアートディレクターを務めました。1973年3月、激務に追われるにつれ、海外に逃げ出したい衝動にかられた堀内さんは一人パリに旅立ちます。この時は、1ヶ月の滞在の間、途中仕事に追われるなど、思うような旅とはならなかったため、改めて2ヶ月くらいゆっくり過ごそうと出直すことにします。日本を離れ、気ままに過ごすことができたこの時期、日本語新聞(いりふね・でふね)を立ち上げたり、児童図書館のために紙芝居を描いたりしています。パリの水が合うことがわかり、1974年夏には家族4人が揃い、堀内さん一家はパリでの生活を始めるのでした。この街でも仕事ができるという実感が、堀内さんをパリにいざなったとも言えますが、友人宛の手紙には、東京での人付き合いに疲れてしまったことなど切迫した心情を吐露しています。そして何より、パリに移って絵本づくりに専念したい、描きたかった絵を描こう、そんな気持ちが強かったようです。堀内さんのパリ郊外での暮らしは1981年11月まで約8年続きました。その間、「マザー・グースのうた」や「こすずめのぼうけん」など、今もなお読み継がれる魅力的な本や絵本が数多く生まれました。
(文=林綾野)

次回配信日は、9月30日です。

堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。

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