堀内誠一のポケット 第35回

アート|2024.3.15

伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?

第35回 コーデュロイのコート

談=堀内花子

このコーデュロイのコートは、物心ついた時から父が着ていたものです。とにかく頑丈で暖かい。でも重たい。いつ頃のVANジャケットの商品なのでしょう。『雪わたり』の取材で瀬田貞二さんの案内で飯山方面に行った時の写真で着ているので、豪雪地帯に行くにあたり買ったのかもしれません。
VANの創業者・石津謙介さんはアド・センターのファッション・グループとも関わりが深かった方です。父が亡くなったあと、どこかでお目にかかったとき、「お父さんにはお世話になったんだよ」と言われました。本人はアイビールックに興味はなかったと思います。このコートはヘヴィーデューティなところが気に入ったのだと思います。
フランスに行ってからもっぱら愛用していたのはブルターニュの紺色のコートです。いずれもボタンではなくジッパーなのも父のこだわりだったかもしれません。
『雪わたり』の取材に父は何度か出かけているようですが、詳しくはわかりません。ただ、私は母と瀬田家のホビット荘に連れて行ってもらったことはよく覚えています。まだ小学校にあがる前で、ちょうど年格好が四郎とかん子に近かったからかもしれません。まだ3歳だった妹は祖母に預けられたのでしょう。何もかも初めて見る世界でしたが、到着すると玄関は雪に埋まっており、2階の窓から家の中に入りました。瀬田さん、瀬川さん、父はさっそく雪かきに取り掛かったのだと思います。そのあとは一階の部屋から出入りしましたから。夜はこたつの中にみんなで足を突っ込んで眠りました。
カンジキも初めて見ました。すると母がカンジキを履いてひとり出かけいつまでも帰ってこないので、心配になって泣きだしてしまい父たちを慌てさせたことを覚えています。

堀内が愛用したVANのコート。タグに「Mr.VAN」と入っている。
絵本が出版された次の年1970年1月に堀内誠一宛に送られた宮沢賢治の弟、宮沢清六からの手紙。雪わたりの絵本に対しての評価とお礼が記されている。
1968年、信州・飯山にて、左から瀬田貞二(児童文学者)、瀬川康男(画家・絵本作家)、堀内誠一。このとき堀内が着ているのがこのコート。ひろがる風景は『雪わたり』で描かれたものと通ずるものがある。
スケッチブックに残された雪山の風景、わら履のデッサン。

大雪が降り、全てが雪のなかに埋もれたある日。積もった雪は少しずつ溶け出し、夜になると何もかもが凍ってカチカチになります。朝、畑の上の雪もまるで大理石のように硬くなり、その上を自由に歩くこともできるそうです。宮沢賢治による童話『雪わたり』はそんなふうに一面が凍り固まった朝、兄の四郎と妹のかん子が、いつもは歩けない畑の上を進み、狐たちと出会って不思議な体験をするという物語です。
1969年12月、堀内さんが絵を描いた『雪わたり』が福音館書店より刊行されました。堀内さんはこの物語を描くにあたり、賢治が暮らした花巻をたずね、花子さんが回想されているように雪景色を見るために長野の飯山を訪れています。日頃より親しくしていた児童文学者の瀬田貞二さんが、大雪に覆われた景色を見た方がいいだろうと自身の別荘「兎人(ホビット)荘」に行こうと誘ってくださったということで、堀内さんと路子さんに花子さん、瀬田さん、瀬川康男さんも加わっての旅になりました。男性3名が一緒に写っている写真がありますが、なるほど背景は見事な雪景色です。堀内さんが着ていたこのコートは堀内家のクローゼットの奥に今も掛かっていました。路子さんが洗濯したのでしょうか。パリッとしていて今でも十分着られそうです。厚手のコーディロイ生地に内側はボアになっていて、フードもついていて首元にボタンが2つ。ジッパーをあげてボタンを締めれば寒さからしっかり身を守ってくれる、そんなコートです。
堀内家にはこの旅の際に堀内さんが描いたスケッチも残っています。雪景色やわら履を鉛筆で描いたものですが、遠く雪山を背景に木々が雪に埋まる様子が巧みに捉えられています。花子さんが「何もかも初めて見る世界」だったとこの時のことを印象深く思い出していらっしゃるように、堀内さんにとっても豪雪地帯の風景はどんなにか新鮮だったことでしょう。
この絵本を描くことが決まってから、堀内さんは賢治の弟、宮沢清六さんともお会いになったそうです。絵本が刊行された際の清六さんからの手紙と翌年の年賀状が堀内家に残っていました。『雪わたり』を家族でご覧になった清六さんは「みんなで美しい絵だとほめています」「長い間の御苦心を心から感謝いたします」と綴っておられ、この絵本が出来るまでの経緯を想像させます。
実は堀内家には「雪わたり 書き損じ」という箱があります。箱を開けると中にはこの絵本のために描かれ、使われなかった絵が何枚か入っていました。堀内さんはこの絵本を描くために花巻を訪れ、賢治が目にしていた風景を実際に見つめ、豪雪地帯で雪景色を前にスケッチをし、描く際には描き直しを何度もしながら模索を重ねたのです。花子さんのお話やこうした手紙を通じて、この絵本を良いものにしようと苦心した堀内さんの心意気のようなものが伝わってくるような気がしました。
透明感あふれる雪景色。狐と共に過ごす幻想世界が美しく描き出されるこの絵本は世に出て今日まで55年間にわたり多くの人に読み継がれています。こうした名作が生まれる背景にはこの重たいコーデュロイのコートのような懐かしい品、私たちが知り得ないさまざまな思い出やエピソードが数多く潜んでいるのです。
(文=林綾野)

次回配信日は、4月 23日です。

・ここで触れた書籍
『雪わたり』 作:宮沢賢治 絵:堀内誠一 1969年(福音館書店)

第1回 若き日のパスポート、第2回 初任給で買った画集、第3回 石元さんからの結婚祝い、第4回 パリ、堀内家の玄関 、第5回 トランプ遊びと安野光雅さんとの友情、第6回 ムッシュー・バルマンの瓶と香り 、第7回 ダッチ・ドールと古い絵本、第8回 パペットと人形劇 、第9回 お気に入りのサントン人形、第10回 瀬田貞二さんとの思い出、第11回 愛用の灰皿、第12回 お気に入りのバター型 、第13回 ルイ・ヴィトンのトランク、第14回 梶山俊夫さんの徳利とぐい呑み、第15回 ミッキーマウスの懐中時計、第16回 少年崇拝、第17回 スズキコージさんのスケッチブック(前編)、第18回 スズキコージさんのスケッチブック(後編)、第19回 コリントゲーム 、第20回 谷川俊太郎さんからの手土産 、第21回 2冊のまめ本、第22回 騎士のマリオネット、第23回 クリスマスのカード、第24回 お面に惹かれて、第25回 お気に入りの帽子、第26回 愛用のカメラ、第27回 デンマークのヴァイキング人形、第28回 メキシコのおもちゃ(前編)、第29回 メキシコのおもちゃ(後編)、第30回 最後まで飲んでいたスコッチウイスキー、第31回 エピナールの紙人形とおもちゃ絵、第32回 バルセロナの人形、第33回 パリ自宅の棚、第34回 ドイツのカラス指人形、 はこちら

・堀内誠一さんの展覧会のお知らせです。

「堀内誠一 絵の世界」
2024年4月13日(土)~6月2日(日)
岩手県立美術館
休館日:月曜日(4月29日、5月6日は開館)、4月30日、5月7日
開館時間: 9:30~18:00(入館は17:30まで)

岩手会場では『雪わたり』の原画を全点展示、また今回紹介した「コーデュロイのコート」や取材時のスケッチブックを展示します。

開幕記念講演会「絵を愛した父」

講師:堀内花子
聞き手:林綾野
日時:2024年4月13日(土) 14:00~16:00

講演会「『BRUTUS』はこうしてできた。堀内さんとの仕事と思い出」

講師:石川次郎(エディトリアルディレクター/「BRUTUS」元編集長)
聞き手:林綾野
日時:2024年5月11日(土) 14:00~15:30

詳しくは「岩手県立美術館サイト」でご確認ください。
https://www.ima.or.jp/exhibition/temporary/20240413.html

「堀内誠一 絵の世界」
2024年7月6日(土)~9月2日(月)
島根県立石見美術館
詳しくは「島根県立石見美術館サイト」でご確認ください。
https://www.grandtoit.jp/museum/

その後も巡回する予定です。

・新刊のお知らせです。

『父・堀内誠一が居る家 パリの日々』 堀内花子 カノア
家族と共に暮らしたパリの日々の思い出。長女・堀内花子から見た父・誠一の日常が綴られたエッセイが刊行されました。初公開の貴重な写真や手紙、イラストレーションなども収録しています。

「父・堀内誠一が居る家 パリの日々」トークイベント

日時:2024年3月30日(土) 19:00〜(18:30開場)
会場:カフェ&ギャラリー・キューブリック
福岡市東区箱崎1-5-14 ブックスキューブリック箱崎店2F
オンライン配信あり

詳しくは「ブックスキューブリックサイト」でご確認ください。
https://bookskubrick.jp/event/3-30-2

堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。

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