堀内誠一のポケット 第25回

アート|2023.2.15
林綾野 写真=小暮徹

伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?

第25回 お気に入りの帽子

談=堀内紅子

教会に入ったら、男の人は帽子を脱がないとならないけれど、女の人は脱がなくてもいい…と教わったのは父からでした。帽子がトレードマークの父でしたが、教会ではそれを仕方なしに取るのです。髪が薄いのをわりに気にしていて、それも帽子を愛用した一因です。慰めになるのか、男性ホルモンが多いと薄くなるんだなんてことも言ってましたが、髭も薄く、男性ホルモンが濃いようには見えないのでした。何かの拍子に引っ張ってしまったりすると「貴重なんだから気をつけて」と苦笑いしていました。何か被っていないと寒いとも言っていました。
一番愛用の帽子はブルターニュの漁師が被るという濃紺のキャスケットで、同じく漁師風のしっかりしたフェルト地のショートコートも気に入って何年も同じのを着ていました。あまり目にしないセーラーカラーのシンプルなデザインで、フェルトのコートにしては軽く、見つけたときはうれしかったんじゃないかな。
とても細くて柔らかな白髪のない髪を、東京にいた頃から肩より長く伸ばし、そのまま垂らしたり、くるっと丸めて帽子の中にしまったりでしたが、わたしが中学生のころ、どんな心境の変化なのか、櫛タイプの髪すきカッターを使って自分で切り、さっぱりした頭になりました。

堀内さんが愛用した帽子たち。堀内家には、この他にも夏用のコットンの帽子なども残されている。一番上が、中でもお気に入りだったというブルターニュ風のキャスケット。
堀内家の本棚の前に掛けられた堀内さんのフェルトコート。冬、長女の花子さんは、父のこのコートを着ることもあるという。
1974年5月頃、パリのカフェで。 ロングヘアに帽子を被る堀内さんと9歳の紅子さん。1974年より堀内家はパリ郊外で暮らし始める。 5月、路子夫人、花子さんに先駆けて、堀内さんと紅子さんはまずは2人でパリに渡る。その時の1枚。
渋谷にあった童話屋で、フェルトコートを着て、キャスケットを被る堀内さん。 右手に『こすずめのぼうけん』、左手に持っているのは『たろうのともだち』。 1978年3月16日(撮影:秋山亮二)

ツバのある帽子を被る堀内さんの姿。写真や堀内さんがご自分を描いたイラストなどで見覚えのある人も少なくないでしょう。紅子さんが、帽子がトレードマークだったと回想されるように、写真の中でもイラストでも堀内さんはたいてい帽子を被っています。そのために堀内さんがどんな髪型をしていたのか、私たち後世の人間にはなかなか想像がつきませんが、帽子の中に長い髪が隠されていたこともあったというのは驚きです。
14歳から勤めた伊勢丹ではPR誌「BOUQUET」で着こなしの特集を担当し、織物出版社刊行の「装いの泉」(2号)ではアートディレションを手がけるなど、堀内さんは早くからファッションに関わる仕事と縁がありました。1957年、25歳の時に創立から関わったアド・センターでは「週刊平凡」で「ウィークリー・ファッション」という特集ページを手がけたり、「パンチ・メンズモード」でもファッションページをディレクション。これまでにないファッション情報を新しい形で紹介していきます。さらにパリのオートクチュールのように日本でもラインを発表しようと「アド・センター・ファッション・グループ」を結成し、デザイナーたちを巻き込みながら今までにない、ファッションの可能性を広げていく。そして1969年にアド・センターを離れ、その翌年、1970年には「anan」が創刊。堀内さんはコンセプト作り、ロゴのデザイン、アートディレクションを一手に手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いていくのでした。
そんなふうに広告、エディトリアル、ショーの企画に至るまで、長年に渡り堀内さんはファッションに携わり、いわば流行の要にいました。周りには服装にこだわる人も当然多くいたことでしょう。しかし堀内さん自身はブランドものを身につけることはほとんどなく、気軽な服装を好みました。それでも決して何でも良いといことではなく、セーターなどは好きなものを繰り返し着ていたそうで、このブルターニュ風のキャスケットとフェルトコートも大のお気に入りだったというわけです。帽子を被るということにおいては、紅子さんがおっしゃるよう髪の問題もあったのかもしれませんが、堀内家に残されたその数からすると、堀内さんは本当に帽子が好きだったのではないかと思います。
「流行は追うより、作るのが面白いのよ」と娘たちに話していたという堀内さん。最先端のファッションを発信しながらも、自らは傍観し、気軽な格好にお気に入りの帽子を被る。さりげなく自分流をまとうのが堀内さんのセンスだったのでしょう。残された帽子たちは、堀内さんの身軽で粋なお洒落への感覚を私たちに伝えてくれます。

次回配信日は、3月10日です。


第1回 若き日のパスポート、第2回 初任給で買った画集、第3回 石元さんからの結婚祝い、第4回 パリ、堀内家の玄関 、第5回 トランプ遊びと安野光雅さんとの友情、第6回 ムッシュー・バルマンの瓶と香り 、第7回 ダッチ・ドールと古い絵本、第8回 パペットと人形劇 、第9回 お気に入りのサントン人形、第10回 瀬田貞二さんとの思い出、第11回 愛用の灰皿、第12回 お気に入りのバター型 、第13回 ルイ・ヴィトンのトランク、第14回 梶山俊夫さんの徳利とぐい呑み、第15回 ミッキーマウスの懐中時計、第16回 少年崇拝、第17回 スズキコージさんのスケッチブック(前編)、第18回 スズキコージさんのスケッチブック(後編)、第19回 コリントゲーム 、第20回 谷川俊太郎さんからの手土産 、第21回 2冊のまめ本、第22回 騎士のマリオネット、第23回 クリスマスのカード、第24回 お面に惹かれて はこちら

・堀内誠一さんの展覧会のお知らせです。

「堀内誠一 絵の世界」
2023年4月21日(金)~6月25日(日)
大分市美術館

休館日:4/2(月)5/8(月)5/15(月)5/22(月)5/29(月)6/12(月)6/19(月)
開館時間:午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)

その後も巡回する予定です。

・新刊のお知らせです。

『ぼくにはひみつがあります』 主婦の友社
羽仁進/作 堀内誠一/絵 
1973年に好学社から刊行された映画監督の羽仁進との共作が、増補改訂版として50年ぶりに復刻されました。

『オズの魔法使い』 偕成社 
L.F.ボーム/原作 岸田衿子/文 堀内誠一/絵 
1969年に世界文化社から刊行されたものが、デザイン、装丁もあらたに復刊。堀内誠一のオリジナル原画を最新の技術で新たに取り込み、その美しさを再現しました。

堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。

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