堀内誠一のポケット 第34回

アート|2024.1.26
林綾野 写真=小暮徹

伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?

第34回 ドイツのカラス指人形

談=堀内花子

このカラスの指人形は、1975年、ドイツのニュールンベルクに半日立ち寄ったときに購入したものだと思います。この年の9月、父はのべ一週間ほど私たち家族も同行して、当時まだ共産圏だったチェコスロバキアのブラチスラヴァでの絵本原画ビエンナーレの審査員を務めました。帰りはプラハに数泊し、ニュールンベルクに出ますが、父は審査の疲れもあったのでしょう、ドイツに長居する気になれず、その日の夜行列車でパリに帰ってしまいました。短い滞在時間で買い物をする時間などあったのでしょうか。所狭しと木のおもちゃが置かれていた店でしたが、窓際にあったこのカラスが目をひいたことを覚えています。驚いたことにこのカラス、何年も前に手に入れて気に入っていたお姫様と道化師と同じ製造元のものでした。父のことです、通りがかりに入ったおもちゃ屋で、直感でさっと選んだのかもしれません。
ドイツへは家族で数回訪れていますが、イタリアやスペインに比べて物価は高いしレストランの食事は期待薄。昼も夜もビヤホールということも少なくありませんでした。チーズやソーセージが美味しいのはもちろん、私たち姉妹のお気に入りは薄く螺旋状に切られた大根のおつまみでした。街の風情や人柄よりも、南欧とは様式の違う教会や美術館で見た絵を覚えているのが私のドイツ旅行の印象です。

翼を広げた姿はなんとなくユーモラス。「くちばしが重たいから手を入れて人形遊びをするのも難しかった」と花子さん。背景には路子夫人がお気に入りだったメキシコの刺繍の布。
『七わのからす』のカラスの登場シーン。尊敬する児童文学研究家、瀬田貞二の案で1957年に制作がスタートしたが、思い入れが深かったせいか仕上げるのに時間を要し、『くろうまブランキー』が先に出版され『七わのからす』が本になったのは1959年のことだった。ドイツで指人形を見つけたのは15年以上後だが、骨太なカラスのフォルムは堀内が描いたカラスと印象をともにする。

いつもなんとなく堀内家の棚のどこかに置いてあったというカラスの指人形。胴体と顔はフェルト製で頭の一部にはふわふわの羽が付いています。くちばしの部分が木でできているので少し重たくなっていて、飾るにしても胴体の部分に重心を置くよう工夫する必要があります。丸く見開いたような目がどこか愉快で可愛らしい指人形です。
このカラスの指人形が堀内家にやってきたのは1975年の秋。1929年創業のドイツの木彫り玩具メーカー「Lotte Sievers-Hahn社」のもので、花子さんによると堀内さんは旅の帰りに立ち寄ったニュールンベルクのおもちゃ屋さんでこれを見つけたとのこと。「ドイツの指人形。頭部のナタで彫ったような強い造形が好きで、王女さまや道化師は前から持っていたが、これは新顔らしい」と堀内さんは「装苑」での連載『パリの手紙3』でイラストに書き添えています。(堀内誠一のポケット第33回「パリ自宅の棚」をご参照ください)「王女さまや道化師」というのは、堀内誠一のポケット第8回「パペットと人形劇」でご紹介した2体の指人形を指します。カラスの指人形と同じくこの2体も「Lotte Sievers-Hahn社」のもの。1973年に堀内さんはこの2体の指人形をモデルに絵を描いていますので、この時期にすでに手元に持っていたことになります。1975年、ドイツに立ち寄る機会を得たので、「Lotte Sievers-Hahn社」の人形をチェックして「新顔」を発見し購入したのかもしれません。
堀内さんが最初に手がけた絵本『七わのからす』は妹がカラスに変えられてしまった7人の兄さんたちを助けにいく物語です。堀内さんは1970年に学研より出版された『グリム童話集2』においても「七羽のカラス 」と「白いヘビ」の挿絵としてカラスの姿を描いています。そう思って堀内作品を見てみると『マザーグースの歌』の「ポリー やかんをのっけてよ」では「ばけものからす」を、『わらべうた』の「つぶえ つぶえ」では「からすという くろどり」の姿を描いています。堀内さんにとって描くという意味でもカラスは身近な存在だったに違いありません。「七わのからす」のようなファンタジーにおいてはその姿を抽象化し、どちらかといえば可愛らしく描いていますが、『わらべうた』では日本の真っ黒いカラスを簡略的に描いていますので、物語や歌によってどんなカラスの姿がいいのか堀内さんはその都度、考えを重ねたことでしょう。
『パリの手紙3』に「これは珍しく高くって24.90マルクだ(2700円位)」と書いています。花子さんは、この人形がお店の窓際の棚の端っこに置いてあったのを覚えていらっしゃるそうです。ちょっと高いと思っても元来の人形好きで、カラスも身近な存在ということで、この指人形と出会ったとたん堀内さんは迷いなく購入したのでしょう。「光沢のあるフェルトの胴着がほんとにカラスみたい」堀内さんがそんなふうに描写したその姿のままに今もこのカラスは堀内家の棚を飾っています。
(文=林綾野)

次回配信日は、3月15日です。

第1回 若き日のパスポート、第2回 初任給で買った画集、第3回 石元さんからの結婚祝い、第4回 パリ、堀内家の玄関 、第5回 トランプ遊びと安野光雅さんとの友情、第6回 ムッシュー・バルマンの瓶と香り 、第7回 ダッチ・ドールと古い絵本、第8回 パペットと人形劇 、第9回 お気に入りのサントン人形、第10回 瀬田貞二さんとの思い出、第11回 愛用の灰皿、第12回 お気に入りのバター型 、第13回 ルイ・ヴィトンのトランク、第14回 梶山俊夫さんの徳利とぐい呑み、第15回 ミッキーマウスの懐中時計、第16回 少年崇拝、第17回 スズキコージさんのスケッチブック(前編)、第18回 スズキコージさんのスケッチブック(後編)、第19回 コリントゲーム 、第20回 谷川俊太郎さんからの手土産 、第21回 2冊のまめ本、第22回 騎士のマリオネット、第23回 クリスマスのカード、第24回 お面に惹かれて、第25回 お気に入りの帽子、第26回 愛用のカメラ、第27回 デンマークのヴァイキング人形、第28回 メキシコのおもちゃ(前編)、第29回 メキシコのおもちゃ(後編)、第30回 最後まで飲んでいたスコッチウイスキー、第31回 エピナールの紙人形とおもちゃ絵、第32回 バルセロナの人形、第33回 パリ自宅の棚 はこちら

・ここで触れた書籍・雑誌
《堀内誠一発 パリの手紙》堀内誠一 「装苑」1976年1月号-12月号(文化出版局)
『七わのからす』 グリム童話 案:瀬田貞二 絵:堀内誠一 1959年(福音館書店)
『グリム童話集』 グリム童話 訳:大塚勇三 絵:堀内誠一 1969-1971年(学習研究社)
『マザー・グースのうた』全5集 訳:谷川俊太郎 絵:堀内誠一 1975-1976年(草思社)
『わらべうた 上』 編:谷川俊太郎 画:堀内誠一 1982年(冨山房)
『わらべうた 下』 編:谷川俊太郎 画:堀内誠一 1983年(冨山房)

堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。

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