伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?
飯野和好さんのお土産
「きむずかしやのピエロット」
(後編)堀内さんから教わったファンタジー




飯野和好の絵によるホフマンの『もじゃもじゃペーター』(1980年 集英社)。
絵本作家として多くの作品を世に出す飯野和好さんは、1970年、23歳の時、堀内誠一さんと出会ったことをきっかけに自信を持って自分らしい絵を描いていくことができるようになったといいます。
1972年頃、堀内家におじゃました飯野さんは1枚の絵を持参(前編参照)。当時小学校高学年だった花子さんにとって、リビングの壁に掛けてあったその絵は、お気に入りとなりました。
2025年、花子さんは、鎌倉にある飯野さんのアトリエを訪ねます。再会したお二人は、堀内さんと飯野さんが出会った頃の話にはじまり、飯野さんが堀内さんからどんな影響を受けたかなど、お話は膨らんでいきました。
花子 anan 12号(1970年7月5日)では文字はもうアルファベットになっていますね。48号(1972年3月5日)は表紙に飯野さんの絵が使われています。
飯野 これも嬉しかったですね。表紙に自分の絵が出るなんて、しかもこんな使い方、すごいですよね。
花子 確かに、他にはあまりない感じ。編集部に父に会いにきて、その後、父は飯野さんだけ誘って飲みにいったんですね?
飯野 銀座の裏通りにある居酒屋に連れて行ってくださいました。堀内さんと自分が、お店に入ると、みんなこっちを見るんですよ。堀内さんは、目が光ってるし、ストレートの長髪にヨットキャップで目立つんですよね。自分もパーマをかけた長髪で、ヒッピーみたいでしたから。席に座ると次第に馴染んで、もう誰も見なくなる。そしたら堀内さんが、「飯野くん。こういうことだよ。我々みたいなのは動けば皆が注目するけど、じっとしてたら誰も興味や関心を示さなくなるんだよ」とおっしゃったんですね。その言葉で、そうかって、私は思いました。自分みたいな人間は、活動しないとだめなんだ、見てもらうよう自分から動かなくてはと強く思ったんです。
花子 父、割と真面目なことを言ったのですね。
飯野 堀内さんは、言葉がすごいですよ。ボソっとですが、どきっとするような大切なことをおっしゃいました。私の絵を見てくださった時もそうだったんですが、「これ、ファンタジーっていうんだよ」って。「絵が下手でもファンタジーがあるからいい。ファンタジーを勉強しなさい」とおっしゃったんです。『グリム童話』や『不思議の国のアリス』、『指輪物語』『ナルニア国物語』は必ず読まないといけないと。堀内さんに言われて、私は、もう一生懸命に読みました。それで刺激的な童話や物語に出会ってすごく興奮しました。『もじゃもじゃペーター』などは、こんなに変な話で、気持ち悪くてもいいのだと、自信につながりました。
花子 それまで、ファンタジーの絵本や物語は、あまりご存じなかった?
飯野 ミーハーだったんで。ファッションはすごく好きで、色々勉強したりもしたのですが、そこの頃、漠然とこのままじゃいけない、何かを変えなくちゃと思っていました。堀内さんに会って、自分の持っている妙な感じ、空想しつつ描くものが「ファンタジー」っていうものなんだと教えてもらって、「ああ、そうなんだー!」って、わかったんです。そしてファンタジーを徹底的に勉強し直しました。本当にありがたかったですね。
花子 父の絵本で、飯野さんが気になるものはありますか。
飯野 『ぐるんぱのようちえん』など、すごいものはいっぱいありますが、私が一番好きというか、響いたのは『マザー・グースのうた』ですね。
花子 それはどんなところが?
飯野 マザーグースって変な人が出てきたりしますよね。なんともいえない人が出てきて、変なことになっちゃうじゃないですか。堀内さんはそれを絵で描いているんですよね。すごいなって思いました。こんなふうに表現していいんだってね。それと、私が子どもの頃、村に峠を越えて来た人やお祭りの時のこと、少し変なことがマザーグースを読むたびに蘇ってくるんですよ。
花子 飯野さんは、実際、そういう奇妙なことを体験されているのですね?
飯野 奇妙な体験というか、あの頃は、全体が奇妙なんですよ。うちは秩父の山の中だったので、峠を越えていろんな人がやってきたんですね。私が幼い頃。向こうの村のお兄さんが、夏になると真っ白に顔や体を塗って、髪の毛も白くして、かつらだったのかわかりませんが、着物を着て、峠を走って来たんです。うちの村は、家は三軒しかなかったんですが、トントンと戸を叩いて、三軒の家をまわるんです。「誰だ、あんた?」って家の人が出てくるでしょ。その人は、真っ白な口紅をつけて、口をあけて「わーっ」って顔を出すんです。「うわーっ」って、家の人は驚く。そうすると「うへーっ」って、その人は嬉しいんですよね。それで、隣の家に行って、また同じようにやって、帰って行くんです。
そうやって人が驚くのが嬉しくて、来るんですよ。毎年、ある時になると来る。来なくなった時に、親たちが「最近あの人こないね、死んじゃったのかな」なんて話している。
花子 すごい話ですね。飯野さんのそんな体験に、まさに近いものがマザーグースの世界にあったということですか。
飯野 そうですね。そんなような、妙に怖い感じを思い出すんです。
花子 物語やマザーグースの世界だけでなく、現実でもあったと。
飯野 堀内さんのマザーグースを見ていると、子どもの時の情景が浮かび上がってくるというか。
花子 どんなことが?
飯野 そうですね。夏になると、西瓜売りのおじさんが来たんです。犬歯がものすごく長い人で、怖いんですよ。うちの村ではスイカは獲れないので、怖いけど食べたいなって思うわけです。ものすごく大きなまな板を持っていて、そこでスイカをパーンって割るんです。「食うか?」って、長い犬歯を剥き出しにして言うんですね。「食うか?親呼んでこい」って。買わせるためにね。怖いんですけど、食べたいから親を呼びに行くんです。そういうことが、マザー・グースを読むたびに浮かび上がって、なにか胸がざわざわするんですね。
花子 山の中の集落だったからこその体験と感覚ですね。飯野さんの書かれた自伝『人生はチャンバラ劇』を読んで驚きました。山での暮らし、すごいですものね。そういう体験が飯野さんの絵本作りの元にあるのかな。
飯野 そうですね。堀内さんに「ファンタジーっていうものは、リアリティが大事なんだよ。リアルさがなきゃだめだよ」って言われました。それは今でも気をつけています。『ねぎぼうずのあさたろう』でも、野菜の形とか、存在感とか、リアルさを大事にしなくちゃいけない、そう思って描き続けているのは堀内さんの言葉があるからなんです。ファンタジーをやるからには、リアリティ、ものの本質を大事にしなくちゃいけない。
花子 色々話していたのですね。父も飯野さんに思い入れがあったんだと思います。
飯野 「気持ち悪い」と言われていた自分の絵を使ってくれて、「わからない人には、わからないだけ。そんな人は放っておけばいいんだ」って堀内さんはおっしゃって。だから私は「これは絶対おもしろいぞ」って、自分が思ったら、それを信じて進むことができるようになったんです。「あさたろう」もそうやって描くことができました。私にとって堀内さんは「自分の存在を引き出してくれた」そんな大切な人なんです。
* * *
飯野さんが堀内さんと初めて会ってから55年の歳月が過ぎました。その後、飯野さんは数多くの絵本を世に出し、日本全国での絵本の読み語り講演や、芝居、音楽活動など幅広く活躍されています。さまざまな場で絵本作家を目指す後進の指導なども積極的に行う飯野さんですが、20代前半に聞いた堀内さんの言葉を忘れずに今も制作に向かっていらっしゃるということに花子さんはじめ、このインタビューに同席した誰もが驚かされました。堀内さんに出会い、新しい道が開けたという飯野さん。絵を描くこと、表現することに対するまっすぐな気持ちは、その頃のまま、今も変わらず絵筆を握り続けていらっしゃるのでしょう。
今回お話をうかがった飯野和好さん、連載17・18回目に登場していただいたスズキ・コージさん、42回目でご紹介した長新太さん。堀内さんとの出会いをきっかけに、自身の創作の世界を広げていった方々がたくさんいらっしゃいました。堀内さんは、自身の創作活動に加え、才能のある人たちが輝いていく場を作ることを喜びにしていたのではないでしょうか。
この連載は、堀内さんが残したさまざまなアイテムを「堀内さんのポケットに入っていて、私たちには見えないもの」として、「堀内誠一のポケット」と題しました。アーティストは作品を残しますが、作品からだけでは分かり得ない仕事や成果もあるのだということを、堀内さんのポケットの中を探ってみて改めて思い知ることになりました。
2021年の夏より始まった「堀内誠一のポケット」は、全45回に特別編を2編加え、この度、連載完結となります。連載中、全国9会場を巡回した「堀内誠一 絵の世界」展、東京・立川のPLAY! MUSEUMでは「堀内誠一 FASHION・FANTASY・FUTURE」展(2026年・巡回開催予定)が開催となりました。堀内誠一さんに関する書籍も複数、復刊、刊行され、堀内さんが今この時においても、その足跡と影響を強く残していることがうかがわれます。
この連載では堀内花子さん、紅子さんにご協力いただき、堀内さんが身近に置いていたさまざまな物を切り口に、堀内さんの仕事や交流関係、ご家族との絆について紐解いてきました。堀内さんの思いもよらない一面、こだわり、思い入れ、優しさ、ご家族への想いなど、作品からだけでは知り得ないエピソードとたくさん出会うことができたように思います。
長い間ご愛読いただきありがとうございました。
(文=林綾野)
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・新刊のお知らせです。
『世界はこんなに 堀内誠一』 ブルーシープ
絵本作家、イラストレーター、アートディレクター、デザイナー、時には写真家として。多彩な作品を生み出しつづけた堀内がどのように世界を見つめていたのか、4つのテーマから、約100点の絵や写真と堀内の言葉を散りばめ、その知性と好奇心を探りました。PLAY! MUSEUM「堀内誠一展 FASHION・FANTASY・FUTURE」の公式アートブックとして刊行された新刊です。
『空とぶ絨緞』 堀内誠一 中公文庫
1981年から1983年まで「anan」で連載された「堀内誠一の空とぶ絨緞」は1981年にパリ生活から戻った後の旅行エッセイで、1989年にマガジンハウスで1冊の本にまとめられました。今回未収録の新たなイラスト、文章を満載して初文庫化されました。

堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。