伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?
長新太さんの絵
談=堀内花子
長さんの作品は、物心ついた頃から「ちょうしんた」というヘンテコな名前と、不思議な登場人物と動物たちとともに、愉快な気分にさせてくれる色使いで特別でした。なぜ父は長さんのようにひとめで父だとわかる絵本を描いてくれないのか不満でした。
大好きでクタクタになるほど繰り返し読んでいた『がんばれさるのさらんくん』よりもずっと昔から、長さんと父が親しくて、太田大八さん、ときには多田ヒロシさんと新宿のバーをはしごする仲だったことを知ったのはだいぶ経ってのことです。
長さんの作品が届くたびに家族で話題にし、その人柄まで知っているような気になっていたのはなぜでしょう。長さんの大ファンだった母のせいかもしれません。というのも、「ほんものの長さん」にすくなくとも物心ついてからお目にかかったのは父が亡くなって数年後、岸田衿子さんと長さんが我が家に見えたときだけなのです。「お父さんなみに呑むのね」といわれました。
この絵は父が亡くなってだいぶたって物置でみつけてから、玄関に飾っています。新婚のふたりが絵を飾ったり、好きな家具などをつましいながら整えることができた下北沢のアパートに越したとき、長さんが漫画の賞を受賞され、お祝いにいただいたと聞いています。わたしが生まれた家です。
郵便物や鍵、可愛らしいオブジェが置かれた玄関の靴箱の上に立てかけられた一枚の絵。細く繊細な黒い線だけで描かれており、一見、抽象絵画のようにも見えます。画面の奥は建物らしいものが一面に描かれ、階下には数名の人が描かれています。手前はがらんと空間が広がっていますが、左側には人らしき姿と猫。右隅には長新太のイニシャル、「S・cho」と綴られています。
堀内さんと長さんが出会ったのは1956年。この年は堀内さんにとって岐路ともいえる年でした。まずは後に結婚する内田路子さんが「ロッコール」編集室にアルバイトとして入ってきました。そして路子さんの紹介で福音館書店の松居直さんを紹介され、初めての絵本をつくるきっかけをつかみます。その9月には約9年間勤めていた伊勢丹を退職します。
堀内さんは、独立漫画派の事務所に仕事の依頼で長さんを訪ねたそうです。2人が初めて会ったときの印象は、堀内さんは長さんに「居酒屋で独り酒を呑んでいるもと直参の浪人のように見えました」、長さんは堀内さんに「目の大きな、おしゃれな青年で才気煥発の印象。堀内氏二十四歳、小生、二十八歳」とそれぞれに回想しています。堀内さんは長さんとの最初の会話について「マンガよりガの方が大切で、今後は漫画はガマンとかガンマとか呼ぼうと思う。などの話を聞いたのを憶えています」とも書き残していますので、長さんの「画」に対する独特のセンスに着目していたのでしょう。同年の10月、長さんが所属する独立漫画派は、同人誌「がんま」を創刊。堀内さんと長さんが会って「がんま」の話をしたのはその少し前だったということになります。そして2年後、1958年5月刊行の「がんま」6号で、長さんは「工事」という作品を発表していますが、構図やモチーフが堀内家のこの絵とよく似ていますので、この2作は同時期に描かれたと考えて良さそうです。
1958年6月、堀内さんは路子さんと結婚しました。2人は世田谷区下北沢のアパートで暮らし始めます。堀内家にはこの家で撮った写真が何枚か残っていますが、そのうちの1枚に台所に立つ路子さんと部屋に掛けられたこの絵が写っています。花子さんが想像されているように堀内さんと路子さんの新しい門出に長さんがプレゼントしたのでしょう。丁寧に描かれたこの素敵な贈りものから長さんが堀内さんに向ける思いの深さを感じずにはいられません。
1958年、長さんは初めての絵本『がんばれさるのさらんくん』を出しました。「こどものとも」3月号として出されたこの絵本、実は、編集長の松居さんは、最初堀内さんに絵の依頼をしました。しかし堀内さんは、「自分よりも、この物語にピッタリの描き手がいます」と言って長さんを推薦。堀内さんが薦める人なら間違いないだろうと松居さんは早速長さんに絵を依頼します。それまで漫画家として活動してきた長さんは、これを機会に絵本作家として活躍するようになるのです。
『がんばれさるのさらんくん』を描き上げた長さんは、絵を見てもらいたいと堀内さんに電話をし、2人は新宿のバーで会います。「原画を見た時は、あまりの素晴らしさに心臓が破裂しそうなぐらいでした」と堀内さんはその時を回想し、素晴らしい才能を世に出す一端を担った喜びを語りました。長さん自身は、絵本の絵を描いてみたいと言っていた自分に、「やればいいじゃない」と言って、その後堀内さんが『がんばれさるのさらんくん』の仕事を回してくれたことを事ある毎に口にし、堀内さんへの敬愛を吐露しています。堀内家の玄関を飾るこの絵にはそんな2人の若き日の物語が詰まっているのです。
(文=林綾野)
次回配信日は、12月25日です。
第1回 若き日のパスポート、第2回 初任給で買った画集、第3回 石元さんからの結婚祝い、第4回 パリ、堀内家の玄関 、第5回 トランプ遊びと安野光雅さんとの友情、第6回 ムッシュー・バルマンの瓶と香り 、第7回 ダッチ・ドールと古い絵本、第8回 パペットと人形劇 、第9回 お気に入りのサントン人形、第10回 瀬田貞二さんとの思い出、第11回 愛用の灰皿、第12回 お気に入りのバター型 、第13回 ルイ・ヴィトンのトランク、第14回 梶山俊夫さんの徳利とぐい呑み、第15回 ミッキーマウスの懐中時計、第16回 少年崇拝、第17回 スズキコージさんのスケッチブック(前編)、第18回 スズキコージさんのスケッチブック(後編)、第19回 コリントゲーム 、第20回 谷川俊太郎さんからの手土産 、第21回 2冊のまめ本、第22回 騎士のマリオネット、第23回 クリスマスのカード、第24回 お面に惹かれて、第25回 お気に入りの帽子、第26回 愛用のカメラ、第27回 デンマークのヴァイキング人形、第28回 メキシコのおもちゃ(前編)、第29回 メキシコのおもちゃ(後編)、第30回 最後まで飲んでいたスコッチウイスキー、第31回 エピナールの紙人形とおもちゃ絵、第32回 バルセロナの人形、第33回 パリ自宅の棚、第34回 ドイツのカラス指人形、第35回 コーデュロイのコート、第36回 堀内家のシュークルート、第37回 バルセロナから来た黒板、第38回 地図、第39回 クロード岡本さんのタイル画、第40回 岩波手帖、第41回 デルフト・タイル はこちら
・ここで触れた書籍
『がんばれさるのさらんくん』(こどものとも 1958年3月号)
作:中川正文 絵:長新太 1958年(福音館書店)
・堀内誠一さんの展覧会のお知らせです。
「堀内誠一 絵の世界」
2024年9月14日(土)~11月24日(日)
イルフ童画館〈長野県・岡谷〉
休館日:毎週水曜日(祝日は開館)
開館時間: 9:00~18:00(入館は17:30まで)
詳しくは「イルフ童画館サイト」でご確認ください。
https://www.ilf.jp
「堀内誠一展 FASHION・FANTASY・FUTURE」
2025年 1月22日(水)~4月6日(日)
PLAY! MUSEUM〈東京・立川〉
休館日: 2月16日(日)
詳しくは「PLAY! MUSEUMサイト」でご確認ください。
https://play2020.jp/article/seiichi_horiuchi/
堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。