魔術師列伝

カルチャー|2021.10.8
澤井繫男

第4回 ジェローラモ・カルダーノ(1501-76年)(1)

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 のっけから私事で恐縮だが、私のルネサンス文学文化体験は、カルダーノの『自伝』の翻訳から始まった。東京のある書店で、カーメン・ブラッカー/M・ローウェ編『古代の宇宙論』(矢島祐利・矢島文夫訳、海鳴社、1976年)という翻訳書を求め、その本に「うみなり」という版元へ送る読後感想の葉書が挟まっていた。ちょうど京都に引っ越したばかりの私は、本の所感ではなく、「大学の図書館にはイタリア古典関連の書がたくさんあって、もしご依頼を受ければ、翻訳をいたします」と生意気にも書き送った。すると3日後、アパートに電話が掛かって来て、いま、滞っている翻訳作業があるが、引き受けてくれませんか、と。大学院に籍を得た直後だったので、最初は迷ったが、上記のような文面を書き送った手前、あとには引けず、それがカルダーノの自伝であることを知ると、ためらいはもうなかった(原典はラテン語。それを基に、2種類のイタリア語訳版と英語訳版を参考にして訳出した)。

ミラノから電車で30分ほどで到着する、北イタリアのミラノ公国内のパヴィアで私生児として生まれたこの人物、本職は内科医で尿・梅毒の研究の大家である。北イタリアの数々の大学で教鞭を執った。また数学者としても著名で、賭博好きだったことから確率論を研究(『さいころ遊びについて』刊行は没後、1663年)し、さらに占星術に凝り、晩年キリストのホロスコープを作成したがため、投獄の憂き目に遭っている。

彼の数学の主著に『アルス・マグナ(大技法)』(1545年)があり、ここで「3次方程式」の解法を公表している。カルダーノが導いたわけでなく、同じく著名な数学者だったニッコロ・タルターリア(1499-1557年)が解明している。

『アルス・マグナ(大技法)』

タルターリアは吃音で、ヴェネツィア大学数学科教授を務め、弾道や築城の研究で際立った業績をあげているが、なによりも古代シチリアの科学者で浮力の原理を発見したアルキメデス(前287-前212年)の著作集をギリシア語からラテン語に翻訳した功績がいちばんであろう(1539年)。これが後年、ガリレオ・ガリレイ(1564-1642年)に多大な影響を与えることになる。このタルターリアからカルダーノは公にはしない、という約束で、3次方程式の解法を聞き出した。タルターリアはカルダーノに教えるのは本意ではなかったので、「詩」で示している。

タルターリア

  立法と物が合わさって
   或る離散数に等しくなるとき
   これだけの差を持つ他の2つに常にしたがうがよい 
   その積は常に物に3分の1の立法に等しいことに
   そしてそれらの立法根が引かれた
   その残りが一般的に
   汝の元の物になるであろう……

以上は、x(の3乗)+px=q の解法を示したもので、詩行中の「物(cosa/コーザ)」とはxを指す。カルダーノは故シピオーネ・デル・フェッロ(1465-1526年)ボローニャ大学教授の遺稿を、愛弟子ルドヴィコ・フェラーリ(1522-65年)とともに検討し、そこに3次方程式の解法を見出すと、タルターリアが第1発見者ではないとみなし、タルターリアとの約束を反故にして自著『アルス・マグナ』に「デル・フェッロの解法」と明記して紹介して公表した。その際、弟子フェラーリが4次方程式を解いたことにも触れている。

3次方程式と言えば、管見によれば「虚数 imaginary number」を連想するが、16世紀に、これほど難度の高い数式が解けていたことに驚嘆する。カルダーノと騙されたタルターリアの間で論争が起こったのは言うまでもないが、カルダーノは応じず、フェラーリが相手をしたと言われている。

ここで「虚数」というわかったようでわからない「数字」を考えてみたい。というのも、『アルス・マグナ』の英訳版(222頁)に、「一次は線、二次は平面、三次は立体(肉体)、四次以上は自然が許さない」という印象的な言葉があるからだ。ここの「自然」とは「神」と同義であろう。何が言いたいかというと、カルダーノの時代に、地動説でさえ認可されていなかったのに、「実数」以外の数字が(聖職者たちに)認められたかどうかということである。いまだガリレイを端緒とする科学革命は訪れておらず、カルダーノをはじめとして、「自然は生きている」という有機体的自然観(アニミズム)の時代である。このアニミズムでさえ、異端視されていたのに……。自然魔術師たちと学的世界の関連の解明は困難を極める課題である。

それゆえ、もし実数ではない「虚数」の公表を自著『アルス・マグナ』でしようと企図したら、よほど勇気が要ったであろう。ただし、コペルニクスの『天球回転論』があくまで数学の書として理解されて、異端の嫌疑を免れたならカルダーノもそうだったかもしれない。

ここで友人の数学者に登場してもらおう。彼によると、カルダーノの業績(公表者)として、「3次方程式の解の公式に必然的に虚数が現われる」、つまり、「3次方程式の解の導出に虚数が必然的に現われる」という。その利点として、「虚数まで『数』の概念を拡げると、3次方程式のみならず、一般次数(4,5,6……n次)の方程式が解を持つことが示される」(代数学の基本原理)。ここで方程式の理論が完結する(ガウス〈1777-1855年、ドイツ人、19世紀最大の数学者の一人〉の業績)。

虚数( i の2乗=-1)を表わすには「複素数」が必須である。つまり、実数a,bを係数として、iの線型結合で表わされる「a+bi」で、これを複素数と呼ぶ。こうして虚数が数学の発展に寄与した功績はとても大きい。それゆえ虚数は数学を考えるうえで円満具足な対象であり、これ以上でもこれ以下でもない。カルダーノもガウスも虚数を語るときには、当時の時代背景に鑑みて、ひょっとしたら慎重だったかもしれない(ガウスの場合は複素数がまだ市民権を得ておらず、学界の偏見にさらされていた)。必要悪という見方もあろうか。科学革命以降、パラダイムの転換は幾度も起こるが、そのたびごとに諸学は「幾多の偏見や宗教」から離れて、学問として自立してゆく。ガウスの時代はまだ無理だったのか?

ルカ・パチョーリ

かつて16世紀のイタリア半島の数学の流れを調べたときに「イタリア代数学派」という一群の数学者たちの活躍に出会った。カルダーノの『自伝』を読むと優秀な弟子たちを列挙している章がある(35章「教え子と弟子」)。これまで挙げた数学者たちに加え、近代会計学の父と呼ばれ、レオナルド・ダ・ヴインチ(1452-1519年)の友人だったルカ・パチョーリ(1445-1517年)などが代数学派の代表格だったと思われる。

〈第4回の1、了〉次回は10月22日です。

参考文献
・ジェローラモ・カルダーノ 著、清瀬卓・澤井繁男訳『カルダーノ自伝 ルネサンス万能人の生涯』平凡社ライブラリー,1995年

澤井繁男
1954年、札幌市に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。
作家・イタリアルネサンス文学・文化研究家。東京外国語大学論文博士(学術)。
元関西大学文学部教授。著者に、『ルネサンス文化と科学』(山川出版社)、『魔術と錬金術』(ちくま学芸文庫)、『自然魔術師たちの饗宴』(春秋社)、『カンパネッラの企て』(新曜社)など多数。訳書にカンパネッラ『哲学詩集』(水声社、日本翻訳家協会・特別賞受賞)などがある。

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