#5 春と冬、2つの季節を味わう わたらせ渓谷鉄道 前編 │〈特濃日帰り〉ひとり土木探訪記。

カルチャー|2023.3.29
写真・文=牧村あきこ

 3月下旬から4月初旬にかけて、わたらせ渓谷鉄道沿線は花桃(はなもも)や桜の花がむせかえるように咲き乱れる。昭和の古い映画に出てきそうな木造の駅舎とのコラボは最高だ。
 わたらせ渓谷鉄道は、桐生(群馬県桐生市)から間藤(まとう)(栃木県日光市)までを結ぶ鉄道で、足尾銅山から産出される鉱石輸送を目的とした足尾鉄道がルーツである。

 列車が終点に近づくにつれ、天女が舞い降りそうな桃源郷から風景は一転。ごつごつとした岩が転がる渓谷を抜け、やがて寂寞(せきばく)とした鉱山跡地の光景に変わっていく。

 今回は、そんな相反する顔を魅せるわたらせ渓谷鉄道の土木旅の前編をお届けする(記事内のわたらせ渓谷の写真は、2020年と2021年の4月に撮影したものです)。

旅のポイント

💡時刻表は平日と休日ダイヤの違いをチェック
💡おすすめは春のトロッコ列車
💡列車の左右どちら側に座るか、それが問題だ
💡車で来ても、列車に乗ろう

本日の旅程

7:41 短い乗り継ぎのときは車掌さんからフリーきっぷ購入
8:11 自然公園のような上神梅駅に到着
9:24 線路沿いの桜が車窓を薄ピンクに染める
9:35 温泉も入れる水沼駅
11:00 花桃の植樹から20余年 地元が作り上げた桃源郷
11:33 トロッコ列車にのり別次元の世界へ

〈旅程の組み立て〉
 足尾鉄道から国鉄の足尾線(後にJR足尾線)を経て、わたらせ渓谷鉄道の路線となったのは1989年(平成元年)のこと。現在は17の駅がある(駅一覧)。

 始発の桐生から終点の間藤まで列車で行くのだが、途中、上神梅(かみかんばい)・水沼・神戸(ごうど)の3つの駅で下車する。
 間藤からは徒歩で足尾銅山の近代土木遺産群まで足を延ばす旅程である。

わたらせ渓谷鉄道駅一覧

7:41

 短い乗り継ぎのときは車掌さんからフリーきっぷ購入

 JR桐生駅に到着したのは7時41分(map①)。わたらせ渓谷鉄道の列車は7時44分に出てしまう。乗り継ぎホームはすぐだが、切符を買っている(精神的な)余裕がない。
 幸いなことに、列車の前に車掌さんがいて、無事に一日フリーきっぷを購入することができた。

※mapは記事の一番下にあります 

この日はかわいい帽子をかぶった女性車掌さんが乗車していた

 桐生駅に7時台に到着できない方もいるだろう。その場合は、次の8時54分の列車に乗り、水沼駅の途中下車をスキップすれば、これから紹介するコースと同じような旅程で旅することができる。

原則ワンマン運転のため、運転席近くにはバスのような運賃箱が設置されている

8:11

 自然公園のような上神梅駅に到着

 桐生駅を出発した列車は、住宅街と山間部の境目を北西に進み、やがて始発から5つめの上神梅駅に到着する(map②)。

 列車が駅に近づくと、左手に絨毯のような芝桜が見えてくる。駅舎も木造なので、一般住宅の前に列車が停車している……そんな錯覚を覚えるほどだ。

駅舎だけでなくプラットホームも国の登録有形文化財だ

 わたらせ渓谷鉄道の象徴でもある、色とりどりの花桃が咲き乱れている。

レールのすぐ横まで芝桜が咲いているのも珍しい

 上神梅駅が開業したのは1912年(大正元年)。その後、昭和初期に増築されている。現在も残る木枠のガラス窓の駅舎は、圧倒的な存在感をかもしだす。木造改札の中に駅員が立ち、切符にはさみを入れる音が今にも聞こえてきそうな雰囲気だ。

入場制限のための錆びた鉄の鎖も当時のままだろうか
きれいに清掃された駅舎内は静謐な雰囲気が漂う  ※2021年に訪問した時の写真のため、今回の旅程とは異なります
北側から駅舎を撮影。この時代に特徴的な長い庇(ひさし)が心地よい日影を作り出している

9:24

 線路沿いの桜が車窓を薄ピンクに染める

 1時間ほど上神梅に滞在し、次の下り列車に乗る。これまで住宅地だった車窓の風景は、ここから山間部の景色に変わっていく。

上神梅(②)から列車は北東に進路を変え、山間部を進んでいく
線路沿いに植えられた桜が目を楽しませてくれる

 今回の旅で、予想外だったのが列車と桜の「近さ」だ。日本に桜の名所は数多くあるが、線路のすぐわきに植樹された桜が延々と続き、舞い散る花びらとともに車窓が桜色に染まる光景というのは、そうそう見られるものじゃない。
 わたらせ渓谷鉄道の列車から桜を楽しみたいのなら、間違いなく右側(間藤に向かう列車の場合)の席がおすすめである。

水沼駅に向かう列車の最後尾から桐生方面を撮影

9:35

 温泉も入れる水沼駅

 全国の鉄道駅で温泉併設駅はいくつかあるが、水沼駅もそのひとつ(map③)。上りホームには水沼駅温泉センターがあり、日帰り入浴が楽しめる。10時半から営業なので、この日は残念ながら入浴できず。

跨線橋から間藤方面を撮影。水沼は関東の駅百選にも認定されている
下りホームから上りホームにある温泉施設入口を撮影

11:00

 花桃の植樹から20余年 地元が作り上げた桃源郷

 水沼駅から再び下り列車に乗り込み、次の目的地の神戸を目指す。

 わたらせ渓谷鉄道は、非電化の全線単線の鉄道だ。駅の中に2線以上の線路があり、上り下りの列車が行き違うことができる駅は6つしかない。神戸駅はその中の1つである。

 国鉄足尾線時代、駅の名前は神土(ごうど)だった。この地の住所は神戸なのだが、兵庫県の神戸(こうべ)駅と区別するために神土としたようだ。だが、わたらせ渓谷鉄道として再出発したのを機に、本来の神戸(ごうど)という駅名に変更された。

跨線橋より桐生方面を撮影。写真右側の駅舎屋根も相当に年代物だ

 神戸は花桃の花が咲き乱れる観光地として有名だ。花桃は桃を観賞用に改良したもので、白・ピンク・紅色の可憐な花が咲く。神戸には約300本の花桃が植樹されており、見頃を迎えるこの時期は駅全体が春色に包まれる。

間藤方面を撮影。上りと下りの石積みの凝ったホームも国の登録有形文化財である

 ホームの端まで歩き、のんびりとした里山の風景を眺める。目の前にある古い木の電信柱はいつからそこに立っているのだろうか。

ホームの端から桐生方面を撮影

 国の登録有形文化財の駅舎は1912年(大正元年)の竣工。1928年(昭和3年)に休憩所などが増設されたが、いまだ現役である。

下り線ホームにある駅舎の待合室

 列車が来るまで少し時間があるので、駅の外に出てみた。 

神戸駅の周辺だけ時が止まったようだ

 神戸駅にこれほど花桃が咲き乱れるのは、「たまたま」ではない。

 わたらせ渓谷鉄道も他のローカル線と同じく、鉄道の経営は厳しく赤字解消が大きな課題である。この花桃の樹々は、観光客を呼び込む目玉の1つとして2000年(平成12年)に植樹されたものだ。神戸駅周辺におよそ300本の花桃があるという。

 神戸駅には「お車でお越しのお客様へ」という貼り紙がある(2020年4月時)。その内容は、車で来訪する方には駐車場のある駅に車を止め、そこからぜひ鉄道を利用してほしいというアナウンスだ。
 「鉄道に乗ってもらわなければ、花桃を植栽した意味がない」。そんなストレートな訴えに、私たちも協力しないわけにはいかないだろう。

11:33

 トロッコ列車にのり別次元の世界へ

 神戸から終点の間藤までは、トロッコ列車で行く。トロッコ列車は定員制なので、乗車券のほか整理券が必要になる。空きがあれば当日でも購入できるようだが、人気のある季節は売り切れてしまっていることも多いので事前購入をおすすめする。
(トロッコ列車の購入についてはこちらの公式サイトで)

トロッコわっしー号が入線してきた

 2両編成のわっしー号は窓ガラス付きの普通車両と、窓ガラスなしのトロッコ車両がある(冬期は窓ガラスを取り付ける)。

進行方向に向かって左側の席に座る

 乗車するなら、トロッコ車両がいい。春風を身体で感じる楽しさもあるが、それ以上のお楽しみがあるからだ。その理由は次回お話ししたい。

 「ひとり土木探訪記。」の旅はまだまだ続く。わたらせ渓谷鉄道編の後編は、神戸駅を出発するトロッコ列車からスタートします。



牧村あきこ

高度経済成長期のさなか、東京都大田区に生まれる。フォトライター。千葉大学薬学部卒。ソフト開発を経てIT系ライターとして活動し、日経BP社IT系雑誌の連載ほか書籍執筆多数。2008年より新たなステージへ舵を切り、現在は古いインフラ系の土木撮影を中心に情報発信をしている。ビジネス系webメディアのJBpressに不定期で寄稿するほか、webサイト「Discover Doboku日本の土木再発見」に土木ウォッチャーとして第2・4土曜日に記事を配信。ひとり旅にフォーカスしたサイト「探検ウォークしてみない?」を運営中。https://soloppo.com/

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