伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?
第32回 バルセロナの人形
談=堀内花子
フランスに暮らし始めて最初の冬休みの旅先はポルトガルとスペインでした。リスボンや父の思い入れの深いナザレなどを回ったあと、旅の締めくくりは、母の女学校時代からの親友がスペイン人のご主人と小さなお嬢さんと暮らすバルセロナでした。一家の住まいのある旧市街のホテルに泊まったと思うのですが覚えているのは、ポキリと折れそうな魚の骨みたいな4つの尖塔がそびえるサグラダ・ファミリアとグエル公園くらいです。あれから50年、今はどっしりとした大聖堂になってびっくりです。この木彫りの人形は、スペインの民芸・工芸品のお店が集まるプエブロ・エスパニョールで父が選びました。石畳の城塞沿いに職人が仕事をする工房や店が並んでいたと思います。観光客はほとんどいませんでした。まだフランコが生きていて、バルセロナの空気はどんよりしていて、書店の店頭に並んでいる書籍について大人たちが「フランコが……」と会話していたのを覚えています。いったいどんな話をしていたのでしょう。フランコはその翌年に亡くなります。
バルセロナの最後の夜、寝台列車でパリに帰る前に料理自慢のご主人が振る舞ってくれたのはパエリア。私はザリガニのアレルギーだったらしく高熱と身体中に発疹が出て大変な有り様になりましたが、乗り物好きとは言えない父が新車両を導入したばかりのタルゴの一等寝台車の洗面所付き4人個室を予約してくれていたおかげで、無事まわりにも迷惑をかけず、ぐっすり眠ってパリに帰りつけました。この兵隊さんを見るたびに次々とそんな記憶がよみがえります。
堀内さん、花子さんたちご家族が揃ってフランスで暮らし始めたのは、1974年の夏から。この年の秋、堀内さんはフィゲラスのダリ美術館を訪ねるためにスペインを訪れています。そして花子さん、紅子さんの学校が冬休みを迎え、1974年12月から翌年の1月にかけてのコルドヴァ、グラナダ、バルセロナ、ナザレ、リスボンの街などを旅して回りました。
この木彫りの人形を購入した「プエブロ・エスパニョール」はバルセロナの南西、ムンジュイックの丘にあります。この丘からはバルセロナ市内と地中海を一望でき、古くは街を守る要塞の役目を果たしていた場所だそうです。1929年、バルセロナで万博が開かれることになり、ここにスペインの文化を紹介する「プエブロ・エスパニョール」が作られました。スペイン各地の工芸品の販売やその実演制作、フラメンコ鑑賞などもできる、まさに「スペイン村」というわけです。
旅先で蚤の市があれば古い人形や絵本などを度々買い求めた堀内さん。堀内家の棚の上でこの木彫りの人形もそんな顔をして並んでいます。花子さんによると「アンティーク風に見えるけどおみやげ屋さんで買ったそれ風のもの」とのこと。とはいえ堀内さんは気に入っていたとみえ、「装苑」での連載「パリの手紙」の第1回目となる1976年の1月号にイラストとともに紹介しています。イラストの横には「いかにも古くて高そうに見えるけど、インチキ・アンチック 美術学校の生徒が作っているんだ。スペインのバルセロナの民芸村で3千円しなかったと思う。色がとてもいい」と書いています。
バルセロナのことは「anan」での連載「パリからの旅34 バルセロナ・アールヌーボーのスペイン」(1981年3月281号)でも紹介しています。プエブロ・エスパニョール」のことにも触れながら、バルセロナは町中が遊園地みたいなところがあると書いています。サグラダ・ファミリアについては「今世紀初頭の天才的建築家ガウディが設計した聖家族教会(サグラダ・ファミリア)は・・・20年前、確か4本だけだった塔が、今は8本目が建てられつつある」とありますが、堀内さんは最初の海外旅行にでかけた1960年にもこの街を訪ねていますのでその時のことでしょう。そして誌面にはパエリアの絵も登場。「鍋とサフランがあれば誰でも作れる」とあります。花子さんはアレルギーが出てしまってお気の毒でしたが、帰りに乗ったという一等寝台車は、スペインのタルゴ社が開発した列車でバルセロナとパリを繋ぐトレンオテルという車両です。洗面所付きの1等個室は豪華だったことでしょう。堀内家はその後、1981年に帰国するまで幾度も家族で旅行をしますが、その多くは電車を使っての旅だったといいます。
(文=林綾野)
次回配信日は、12月 25日です。
第1回 若き日のパスポート、第2回 初任給で買った画集、第3回 石元さんからの結婚祝い、第4回 パリ、堀内家の玄関 、第5回 トランプ遊びと安野光雅さんとの友情、第6回 ムッシュー・バルマンの瓶と香り 、第7回 ダッチ・ドールと古い絵本、第8回 パペットと人形劇 、第9回 お気に入りのサントン人形、第10回 瀬田貞二さんとの思い出、第11回 愛用の灰皿、第12回 お気に入りのバター型 、第13回 ルイ・ヴィトンのトランク、第14回 梶山俊夫さんの徳利とぐい呑み、第15回 ミッキーマウスの懐中時計、第16回 少年崇拝、第17回 スズキコージさんのスケッチブック(前編)、第18回 スズキコージさんのスケッチブック(後編)、第19回 コリントゲーム 、第20回 谷川俊太郎さんからの手土産 、第21回 2冊のまめ本、第22回 騎士のマリオネット、第23回 クリスマスのカード、第24回 お面に惹かれて、第25回 お気に入りの帽子、第26回 愛用のカメラ、第27回 デンマークのヴァイキング人形、第28回 メキシコのおもちゃ(前編)、第29回 メキシコのおもちゃ(後編)、第30回 最後まで飲んでいたスコッチウイスキー、第31回 エピナールの紙人形とおもちゃ絵 はこちら
・堀内誠一さんの展覧会のお知らせです。
「堀内誠一 絵の世界」
2023年10月7日(土)~12月17日(日)
群馬県立館林美術館
休館日:月曜
開館時間: 9:30~17:00(入館は16:30まで)
今回紹介した「バルセロナの人形」も展示しています。
詳しくは「館林美術館サイト」でご確認ください。
https://gmat.pref.gunma.jp
その後も巡回する予定です。
・新刊のお知らせです。
『父・堀内誠一が居る家 パリの日々』 堀内花子 カノア
家族と共に暮らしたパリの日々の思い出。堀内花子から見た父・誠一の日常が綴られた貴重なエッセイが近日刊行になります。
『父の時代・私の時代』 ちくま文庫
1979年に日本エディターズスクール出版部から刊行された堀内誠一の自伝『父の時代・私の時代』が、このたび増補・文庫化されました。
堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。