伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?
第26回 愛用のカメラ
談=堀内花子
父が会社の仕事を放って、初めての欧州にいったのは1960年。1958年に結婚して間もなくのことでしたが、いったいどれだけ自分が放っておかれるのかわからなくても母は平気だったようです。旅の前半、スウェーデンを訪れ、ハッセルブラッド社にも足を運んだと父から聞いています。当時どれほどの値段だったのかわかりませんが、カメラは街中で買ったようです。
そのあと私たちが知る普段の旅行ではミノルタの一眼レフカメラでした。荷物にもなるし、いちいちめんどうだし、ハッセルを持って旅することは滅多にありませんでした。けれど『アメリカ・インディアンはうたう』の取材でアメリカに行った時は使っているんですよね。どんな心境だったんだろう。
とにかく写真の仕事がロッコール時代から長いから、植田正治さんであれ誰であれ、どんなレンズでどんな角度でねらっているのかが分かれば何が撮れているのかはわかっちゃう。それで写真があがる前に父のレイアウトができていたという話は何人かから聞いています。
堀内家の棚の中に何気なく置いてあるハッセルブラッド。「父以外はこんなの使わないから、置いてあるだけ」と言いながら、花子さんが手に持たせてくれました。ずっしりしていますが長方形のボディが手のひらにぴったりと収まります。
堀内さんは1960年8月から1961年1月にかけて初めての海外旅行に出かけました。この旅について堀内さんは手帳に予定や記録を細かに綴っています。それによるとパリを拠点に8月はスペインやイタリア、ドイツなどを旅して周り、9月に北欧を訪れています。そして9月23日、ストックホルムでこのカメラを購入しました。旅の予算をメモしたページに「フィルムの予定を立てること」と書いてありますので、旅先で出会ったものをハッセルブラッドで撮っていくつもりだったのでしょう。
しかし手帳には「ハッセルブラードがどうもおかしい カメラ屋に見てもらってレンズはチャンとはまったが、、、」(9月26日)、「ハッセルになやまされるシャッターがかからないパリで直そう….早くパリへ帰りたい!!」(9月27日)と書かれており、使いこなせるようになるまで少し手を焼いた様子が見て取れます。
ハッセルブラッドの500Cが発売されたのは1957年。堀内さんが購入したのはそのわずか3年後でした。千代田光学(後のミノルタ)の写真PR誌『ROKKOR』では1955年の創刊時より、そして『写真サロン』『コマーシャル・フォト』(玄光社)などでもアートディレクターをつとめた堀内さんは、早くから写真の世界に身を置き、最先端の情報にも触れていたはずです。ハッセルブラッドは一般の人々が使用するカメラとして「最高傑作」とされ、堀内さんも興味を持っていたのでしょう。旅先で本物を見て意を決して購入したのではないでしょうか。
旅をするとき、堀内さんは必ずカメラを持っていたといいます。ハッセルブラッドを使うこともあったようですが、普段、気軽に持ち歩いていたのはミノルタの35ミリフィルムの一眼レフカメラだったそうです。そうして撮った写真を、雑誌の取材ページで使うことはありましたが、作品として撮ることは考えていなかったそうです。あくまでスナップショットして撮影した堀内さんの写真は1万枚以上に及ぶとか。
ハッセルブラッドを使う堀内さんの姿が写真に残されています。1986年に出版となった絵本『アメリカ・インディアンはうたう』の取材旅行のときの一コマです。1960年にこのカメラを買った時、堀内さんは28歳でした。そしてアメリカ、カナダを訪れたこの旅行の時には53歳になっていました。25年間、側に置いていたカメラで堀内さんは何を撮ってきたのでしょうか。堀内家に眠る膨大な写真を丹念にたどっていけば、堀内さんがレンズ越しに見つめていたものに出会えるかもしれません。
次回配信日は、4月25日です。
第1回 若き日のパスポート、第2回 初任給で買った画集、第3回 石元さんからの結婚祝い、第4回 パリ、堀内家の玄関 、第5回 トランプ遊びと安野光雅さんとの友情、第6回 ムッシュー・バルマンの瓶と香り 、第7回 ダッチ・ドールと古い絵本、第8回 パペットと人形劇 、第9回 お気に入りのサントン人形、第10回 瀬田貞二さんとの思い出、第11回 愛用の灰皿、第12回 お気に入りのバター型 、第13回 ルイ・ヴィトンのトランク、第14回 梶山俊夫さんの徳利とぐい呑み、第15回 ミッキーマウスの懐中時計、第16回 少年崇拝、第17回 スズキコージさんのスケッチブック(前編)、第18回 スズキコージさんのスケッチブック(後編)、第19回 コリントゲーム 、第20回 谷川俊太郎さんからの手土産 、第21回 2冊のまめ本、第22回 騎士のマリオネット、第23回 クリスマスのカード、第24回 お面に惹かれて、第25回 お気に入りの帽子 はこちら
・堀内誠一さんの展覧会のお知らせです。
「堀内誠一 絵の世界」
2023年4月21日(金)~6月25日(日)
大分市美術館
休館日:4/2(月)5/8(月)5/15(月)5/22(月)5/29(月)6/12(月)19(月)
開館時間:10:00~18:00(入館は17:30まで)
「ぐるんぱがやってくる 堀内誠一 絵の世界」
2023年7月1日(土)~8月20日(日)
ひろしま美術館(広島)
会期中無休
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
その後も巡回する予定です。
・新刊のお知らせです。
『ぼくにはひみつがあります』 主婦の友社
羽仁進/作 堀内誠一/絵
1973年に好学社から刊行された映画監督の羽仁進との共作が、増補改訂版として50年ぶりに復刻されました。
『オズの魔法使い』 偕成社
L.F.ボーム/原作 岸田衿子/文 堀内誠一/絵
1969年に世界文化社から刊行されたものが、デザイン、装丁もあらたに復刊。堀内誠一のオリジナル原画を最新の技術で新たに取り込み、その美しさを再現しました。
堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。