伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?
第17回 スズキコージさんのスケッチブック
(前編)
談=堀内花子
このスケッチブックは私たちの宝物です。小さい頃は母にお願いしなければ見せてもらえませんでした。そして、ひとたびページを開くと夢見心地になれるのです。しばらく行方不明になっていたのですが晴れて見つかり、安堵しています。
物心つく頃から、深夜おとなたちがにぎやかにしているのは慣れっこでした。そのまま泊まっていく人もいたと思います。ある朝、庭のすみの打ち捨てられた井戸のポンプで顔を洗っている人がいてびっくりしました。それが私のコージズキンとの最初の出会いだったと思います。このスケッチブックを家に置いていってくれたのはこの時のことのようです。私が小学校にあがる前でした。
使い込まれ、色あせた大判のスケッチブック。紙を一枚ずつめくっていくと、そこには細く美しい線で人やラクダ、魔法使いの姿が描かれています。いくつかのページは赤や青、緑やオレンジ、ピンクといったの絵の具で丁寧に彩られ、なんとも色鮮やかです。幻想的な絵がいっぱいに描かれたこの月光荘製のスケッチブックは、1960年代後半、絵本作家のスズキコージさんが堀内誠一さんに贈ったものです。
『エンソくん きしゃにのる』など多くの人気絵本を世に出し、画家としても活躍するスズキコージさん。若きコージさんに絵の仕事を始める大きなきっかけを与えてくれたのが堀内誠一さんでした。子供の頃から絵を描くことがひたすら好きだったというコージさんは、高校を卒業した後、東京の赤坂山王にあった天ぷら屋で働きはじめました。仕事のない時は、住み込みの店の2階でいつも絵を描いて過ごしていたといいます。コージさんには竹川宗夫さんという叔父さんがいました。この叔父さん、実は戦中の学童疎開で堀内さんと同級生で、戦後、偶然にも二人は平凡出版で再会。自分には面白い絵を描く甥がいるので、一度、会って、絵を見てやってくれないか、旧友にそう言われた堀内さんはコージさんの働く天ぷら屋に出向きました。
「呼ばれて降りていくと、堀内さんが店のカウンターに一人で座っていたんです。目がギョロってした人でものすごくチャーミングで驚きました。ぼくは18歳で、そんな大人の人、それまで見たことなかったので。」その時のことをコージさんは回想しています*。5、6冊ほどスケッチブックを渡すと、堀内さんはその場でばーっと目を通して「これ、借りて行っていい?」というとお店を出て行ってしまったそうです。2、3日後、堀内さんからコージさんに「平凡パンチ女性版の編集をやってるんだけど、ぜひ絵を載せたい」という電話がかかってきました。「すっごいびっくりしましたよ。当時平凡パンチなんていったら、超人気の雑誌でしたからね。」*
堀内さんは、1957年に立ちあげたアド・センターで、広告デザイン制作のほか「平凡パンチ」のファッションページ「メンズモード」も手がけており、1966年6月に臨時増刊された「平凡パンチ女性版」のアートディレクターも勤めていました。その増刊号第二弾の「パンチイラストレーター」という小特集にコージさんの絵は掲載されることになったのです。「ピピンガ人のおまつりは・・・」と題されたその絵は、ところどころに切手をコラージュしながら描かれています。「もうね、僕、こんな夢と現実がぶつかったようなこと、すごいチャンスを堀内さんがプレゼントしてくれたわけですからね。本当に嬉しかったです」*。「パンチ女性版」はその後「anan」の発刊へと続きます。
子どもだった花子さんが、母の路子さんにお願いしないと見せてもらえなかったというスケッチブックは、コージさんが堀内さんに感謝の気持ちを込めて渡したものでした。家に呼んだり、飲みに連れていったり、堀内さんは不思議な絵を描くコージさんを何かと気にかけていたそうです。良いものを世に出していくこと、頑張っている人に機会を作ってあげたい、堀内さん胸の内には常にそんな気持ちがありました。約50年に渡って堀内家で大切にされてきたこのスケッチブックは堀内さんとコージさんの師弟のような絆の強さを静かに物語っています。
*スズキコージさん談(2022年5月「クレマチスの丘」にて)
(文=林綾野)
次回配信日は、7月25日です。
第1回 若き日のパスポート、第2回 初任給で買った画集、第3回 石元さんからの結婚祝い、第4回 パリ、堀内家の玄関 、第5回 トランプ遊びと安野光雅さんとの友情、第6回 ムッシュー・バルマンの瓶と香り 、第7回 ダッチ・ドールと古い絵本、第8回 パペットと人形劇 、第9回 お気に入りのサントン人形、第10回 瀬田貞二さんとの思い出、第11回 愛用の灰皿、第12回 お気に入りのバター型 、第13回 ルイ・ヴィトンのトランク、第14回 梶山俊夫さんの徳利とぐい呑み、第15回 ミッキーマウスの懐中時計、第16回 少年崇拝はこちら
・ここで触れた書籍・雑誌
「平凡パンチ女性版」54号(1982年11月15日刊)(平凡出版、現マガジンハウス)
・堀内誠一さんの展覧会のお知らせです。
「堀内誠一 絵の世界」
2022年7月25日(月)まで
ベルナール・ビュフェ美術館(静岡・長泉)
https://www.clematis-no-oka.co.jp/buffet-museum/exhibitions/1873/
休館日 水曜日・木曜日
開館時間 10:00~17:00(入館は閉館の30分前まで)
<巡回展会期情報>
2022年7月30日(土)~9月25日(日)
県立神奈川近代文学館(神奈川・横浜)
その後も巡回する予定です。
「堀内誠一 × スズキコージ」
2022年7月26日(火)まで
クレマチスの丘NOHARA BOOKS(静岡・長泉)
堀内家に残るスズキコージが描いた堀内誠一の肖像画や資料を展示、2人の関係を紹介します。またスズキコージの原画や二人の最新の絵本なども展示しています。
https://www.clematis-no-oka.co.jp/event/nohara2022_horiuchi_kozi.html
定休日 水曜日
時間 10:00–18:00
堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。