魔術師列伝

コラム|2021.9.10
文=澤井繁男

第2回  
ビザンツ(東ローマ)帝国のルネサンスと
「十二世紀ルネサンス」(2)

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 ルネサンスという文化運動・現象は史上いくつかあったが、西欧で著名なのは、以下の2つであろう。前述した「12世紀ルネサンス」と「15、16世紀のイタリアルネサンス」である。両者に共通しているのは、ともに「翻訳文化運動」であることで、「十二世紀ルネサンス」の方は東方の種々な文献をラテン語に翻訳している。即ち、西方世界は、産業革命や啓蒙思想を経るまえは、文明という点では東方世界より劣っていて、ある時期まで「西の辺境地域」と呼ばれていた。2つの「翻訳文化運動」を体験してはじめて西欧・南欧は「近世」を迎えることになった(伊東俊太郎)。
 第1の「翻訳文化運動」(東方の知を西方に翻訳、アラビア人を介しているので、彼らの民族性を反映して主に理系の書物の翻訳が大半である)――「十二世紀ルネサンス」

①プラトン『メノン』、『パイドン』などのイタリアルネサンスで興隆したギリシア語の文献(東ローマ帝国で醸成されたギリシア文化)→ラテン語
②プラトン『ティマイオス』、アリストテレス『自然学』他、ユークリッド『原論』、ガレノス『医書』などのギリシア語の文献(古代ギリシアの文化)→アラビア語→ラテン語
③ヒポクラテス『箴言』他、『コーラン』、アル=キンディー『知性論』、アヴィ=ケンナ『治癒の書』、イブン・アル=ハイサム『光学』などのアラビア語の文献→ラテン語

①の際のギリシア語は中世ギリシア語でイタリアルネサンスと深く関わった。②は、西方にとっては「文明との遭遇(伊東俊太郎)」期で、この頃までに西方では、東方の知を受容できるだけの素地が整備されていた。これにはボエティウス(480-524?年)の存在が大きい。彼は東ゴート王テオドリックに仕えたローマのキリスト教哲学者で、中世にアリストテレス哲学を伝える重要な役割を担った。著書『哲学の慰め』を私は学生時代翻訳で読んだが、とても心に残る印象深い著書だった。②に③も加えると、西方の知識人が一所懸命アラビア語を学び、ギリシアやアラブの科学や哲学の文献をわがものにしようと努力したことがわかる。アラビア人は既述のように、実験的・経験的・実証的(つまり、具体的な文化)を好み、ギリシア哲学では観念的なプラトン哲学よりも、「あらゆる学問の祖とされる」アリストテレスの学知に共鳴して、彼の全著作をアラビア語に翻訳し、それを西方のひとびとがまずラテン語へ、それから各俗語に翻訳した(2重、3重訳である)。西欧・南欧のひとたちはこの翻訳によってはじめてユークリッド、アルキメデス、プトレマイオス、ヒポクラテス、ガレノス等の仕事を知ることになる。これらの業績を知ることで西欧・南欧のひとたちは「知的離陸の時代(伊東俊太郎)」を迎えることになる。日本に置き換えると、明治維新時の「文明開化」が相当するだろうか。

この時期までに知られていたプラトンのラテン語翻訳書は次の3点のみである。『メノン』(徳性について)、『パイドン』(魂について)、『ティマイオス』(自然について)。③の事例として有名なのは、錬金術の書と、イブン・アル=ハイサム(965-1040年)の『光学』が翻訳されたことであろう。これはイングランドのスコラ哲学者で、自然科学への道を拓き、「驚異博士」の異名を取ったロジャー・ベーコン(1214?-94年)に影響を与えて、採光認識学を生み、ルネサンス期に数学が加味されて、遠近法の誕生をみる。

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 翻訳が行なわれた地域として代表的なのは、スペイン(トレド)、シチリア(パレルモ/ノルマン朝期)、ヴェネツィア、南フランス(プロヴァンス地方)である。最も著名な翻訳者を挙げるのなら、トレドでの2人の翻訳者であろう。1人目はフランス人でペトルス・ウェネラビリス(尊者ピエール〔1094?-1156年;「尊者」とは神の僕、尊者、福者、聖人といった地位者への敬称〕)で、これまで戦闘だけの相手であったイスラームの真相を、『トレド集成』で明白にしている。彼は48歳のときにクリュニー(フランス中南部の町、リヨンの北方に位置する)から同派の財政問題でアルフォンソ7世(カスティリャ王)によばれてトレドに向かった。彼はクリュニー派の修道院長という高位にあって、往時、こうした人物が翻訳に携わることはなかった。多神教だったと思われていたイスラームが一神教であったこと、キリスト教が認めていた三位一体をイスラームは認めず、キリストを預言者とみていることなど、キリスト教の教義とイスラームの教説の相違を洗い出して、イスラームの何たるかを初めて明確化してイスラームへの理解を深める一助となした。

イスラーム世界を経て古代ギリシア文化が中世ヨーロッパに伝わる

第2の人物はクレモナのゲラルド(1114?-87年)で、北イタリアの、楽器製造のメッカであるクレモナから遥かトレドへまで足を延ばし、その地で全87冊におよぶ翻訳を行なった(上述の、アリストテレス、プトレマイオス、ユークリッド、アルキメデス、ガレノスなど)。ヴェネツィアではヴェネツィアのジャコモが1124年から翻訳を開始して、アリストテレスの『分析論前書(三段論法を論じている』)、『分析論後書』、『トピカ』、『詭弁論駁論』をラテン語に翻訳した。

南フランスのプロヴァンス地方はもともと吟遊詩人(トゥルバドゥール)で名を挙げていたが、それに続いて文芸書、とりわけフランス最古の叙事詩『ローランの歌』の誕生をみる。これは8世紀に起こった実話(イスラームとシャルルマーニュの部下ローランとの戦闘)について11世紀に執筆されたものである。この作品を下敷きに、イタリアルネサンス期にボイアルド(1441-94年)が『恋するオルランド』を、アリオスト(1474-1533年)が『恋するオルランド』を素地に『狂えるオルランド』を書いている(オルランド/Orlandとは、ローラン〔フランス語〕の、イタリア語表記名)。

さてもう一点、言及しなくてはならないことがある。それは文化史家の解釈で、十二世紀ルネサンスを唱えた学者がいたことである。チャールズ・ホーマー・ハスキンズ著『十二世紀ルネサンス』(1927年)がそれで、12世紀にすでに古代ローマのキケロ(前106-前43年)の伝統を、聖書やラテン散文と融合し、「均斉の取れたキリスト教人文主義」を誕生させていた(ソーズルベリーのジョン〔1180年没〕の業績による)。そしてルネサンスとは中世の文化が最高潮に達した現象(中世・ルネサンス連続史観→ルネサンス近代史観〔中世・ルネサンス断絶史観〕に疑問符を打った)とみなした。但し、ハスキンズの視点は主に、ラテン系の文化に着目しており、当該書の内容は教会法、ローマ法、自由学芸へ関心が主であった。

〈第2回の2、了〉次回は9月24日です。

参考文献
伊東俊太郎『十二世紀ルネサンス 西欧世界へのアラビア文明の影響』岩波書店,1993年
井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』講談社学術文庫,2008年
チャールズ・ホーマー・ハスキンズ、別宮貞徳・朝倉文市 訳『十二世紀ルネサンス【新装版】』みすず書房,1997年/『十二世紀のルネサンス ヨーロッパの目覚め』講談社学術文庫,2017年
リヒアルト・ハルダー、松本仁助訳『ギリシアの文化』北斗出版,1985年

澤井繁男
1954年、札幌市に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。
作家・イタリアルネサンス文学・文化研究家。東京外国語大学論文博士(学術)。
元関西大学文学部教授。著者に、『ルネサンス文化と科学』(山川出版社)、『魔術と錬金術』(ちくま学芸文庫)、『自然魔術師たちの饗宴』(春秋社)、『カンパネッラの企て』(新曜社)など多数。訳書にカンパネッラ『哲学詩集』(水声社、日本翻訳家協会・特別賞受賞)などがある。

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