『酒のほそ道』をはじめとして、四半世紀以上にわたり、酒やつまみ、酒場にまつわる森羅万象を漫画に描き続けてきたラズウェル細木。
そのラズウェル細木に公私ともに親炙し、「酒の穴」という飲酒ユニットとしても活動するパリッコとスズキナオの二人が、ラズウェル細木の人生に分け入る──。
待望の第15回は、代表作『酒のほそ道』を語り合う。飲兵衛ならではの面白さが詰まった『酒ほそ』を、三人がどう読む!?
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『酒のほそ道』連載開始にあたり
スズキナオ(以下、ナオ):いよいよ『酒のほそ道(以下、『酒ほそ』)』の話に入っていきたいんですけど、作品を描きだすにあたり、設定とか、どんなストーリーをイメージしていたとか、そういうことを伺いたいです。
ラズウェル細木(以下、ラズ):最初に編集者と相談して、独身のサラリーマン男性が主人公で、最後に俳句を詠む、ということくらいを決めて始めたんだったかな。まぁ、酒と酒場がテーマというくらいの大雑把な設定で。
パリッコ(以下、パリ):ラズ先生はサラリーマン経験がないのに、ずっとサラリーマンの話を書いているわけですよね。
ラズ:仕事のあとに酒を飲むという行為を描くとして、日本人でいちばん多いのがサラリーマンだろうというのがあったんですよね。これが特殊な職業だと、読者があんまり自分に投影できないんじゃないかなって。だから、どんな業界の、なんの仕事か詳しくは決めてないんだけど、とにかく会社員ということにしておこうと。
ナオ:確かに、宗達が実際にどんな仕事をしているかって、ほとんどわからないですもんね(笑)。
ラズ:メインはあくまで仕事を終えたあと。「やれやれ。さあ飲みに行くぞ!」っていうシチュエーションを描きたかったので。
パリ:その喜びや楽しさが主題ですもんね。そのころって、もう『美味しんぼ』は始まっていたんでしたっけ? いわゆるグルメブームみたいなものはすでにあったんでしょうか。
ラズ:『美味しんぼ』とか『包丁人味平』みたいな、食を細かく深く追求するみたいな漫画はかなりありましたけど。『孤独のグルメ』的な、普通の人が、ただ普通に飲み食いするだけみたいなものは、まだなかったころかな。
パリ:じゃあ、カウンターカルチャー、というと言葉は強いですけど、ちょっと違う角度からグルメの世界を描いてみようかなと?
ラズ:いやぁ、そんなに深いコンセプトはなかったかな(笑)。酒を飲む気分とか雰囲気が描きたかっただけなので。あとは「酒あるある」「酒場あるある」みたいな小ネタを出していこうというのは最初から決めてました。
パリ:今ってすごく細分化されていて、いろんなジャンルにそういう漫画がたくさんありますけど、当時は珍しかったのではないかと。『酒ほそ』の大枠に関しては、編集さんも「いいですね!」みたいな感じだったんですか?
ラズ:たぶんそうだったと思うんです。始めてすぐに、わりと反響もあったと聞いていて。それと当時の編集長がとにかく気に入ってくれて、「どんどんやりなさい」と言ってくれた。実はそれまでにも『週刊漫画ゴラク』では、単発漫画や4コマ、ストーリー主体の食べもの漫画なんかをちょこちょこやったりしたけど、どれも続かなかったんですよね。それが、コンセプトをガラッと変えて『酒ほそ』を始めたら、「この路線、意外といけるな」と、明らかに手応えが違った。
パリ:ストーリー漫画みたいな展開を考えなくてもいい反面、酒のネタを常に探さなきゃいけないのは大変そうです。
ラズ:でも、酒ってそもそも幅広いから。酒場もあるし、つまみもある。ネタはいくらでもあるなって感じでしたね。
ナオ:特に『酒ほそ』の最初のほうって、宗達が酒とか居酒屋について言いたいことを言いまくるみたいなエピソードが多いですよね。ラズ先生のなかで「こういう瞬間ってあるよなー!」みたいなネタがすごく蓄積されていたんだろうなという感じがします。
パリ:確かに。すごく濃密な印象があります。
ラズ:そうだったんでしょうねぇ。語りたいことがいっぱいある! みたいな。
飲兵衛代表、岩間宗達
パリ:第1話、何度読んでもめちゃくちゃ完成されてますよね。「雪夜」っていうタイトルで。
ラズ:1話目でなぜ「雪夜」を題材にしたのか、もう思い出せないんだけど……日常のなかでいつもと違うことが起きたときの、「あの酒場はどうなってるんだろう、ちょっと見にいってみたいな」っていう気分。非日常なことが起きたとき、行きつけの店に行って、その話題でみんなと盛り上がりたい、というような。
パリ:そういう日こそ、純粋な常連が店に集まって、意外と繁盛していたり。まさに「あるある」だなーと思って。
ラズ:今では SNSがその役割を果たしている場合が多くて、なにかが起きると、他の人はそれについてどう思ってるんだろうみたいな感じでチェックしたりしますよね。それの酒場版。昔はSNSがなかったので、なにかあれば常連が集まる酒場に行って語りあうみたいな感じでしたよ。
ナオ:最初は宗達の設定のみでスタートしたんですか?
ラズ:第2話で課長が出てきたりするので、まぁ、ある程度は考えてあったのかな。回が進むにつれて登場人物を増やしていこうと。
パリ:特にじっくり聞きたいなと思うのは、やっぱりかすみさんについてですね。登場は3話目と、かなり初期で。
ラズ:彼女は、最初は新人で入ってきたんですよね。
パリ:最初からレギュラー化するつもりで登場させてたんですか?
ラズ:まぁ同僚たちはみんな、それからずっと毎日のように顔を合わせて酒も飲むような設定で出していったから。
ナオ:野暮な質問かもしれませんが、宗達とかすみさんのその後の関係性も最初からなんとなく考えられていたんでしょうか? ふたりがだんだん接近していくみたいなことは……。
ラズ:いや、ぜんぜん(笑)。そんなに気になる存在みたいな感じでは考えてなくて、「ちょっと気の合う新人の女の子が入ってきたなー」くらいの設定だったんです。
パリ:だけど、最初は新人の女の子として出てきて、2、3回登場したらもうふたりで飲んで、タメ口で喋ってるんですよね(笑)。
ラズ:そうなんです。最初のころのを読むとびっくりする。今のほうがふたりに距離があるくらい。
パリ・ナオ:そうそう(笑)。
パリ:なんかもう、いきなり恋人同士な感じなんですよ!
ラズ:今は、だいたいぜんぶ宗達の考えそうなことはわかってるみたいな。
パリ:夫婦みたいな領域に。
ナオ:スタート時の宗達は、29歳なんですよね。
ラズ:そう。ゆっくり時間が進んでるので、今が30代半ばすぎぐらいな感じでしょうかね……。
ナオ:そう考えると、まだまだ若いですね~。
パリ:気づかないうちに、漫画の登場人物と親子くらいの年齢差になっている(笑)。
ラズ:自分が『酒ほそ』を始めたのが30代後半でしたからね。
ナオ:連載開始が1994年だから、ラズ先生が37歳。
パリ:それまでのラズ先生の酒の経験を宗達に投影して描いていくような。
ラズ:連載開始当初から、読者が宗達に自分を投影するというか、「自分のことだ!」みたいな感想をもらうことは多かったんです。それはまず、主人公が飲兵衛であるという大前提があって、それからやっぱりサラリーマンという設定で、なおかつ、これはたまたまなんですが、出身地が明らかになってないんですよね。まぁ、設定しなかっただけなんだけど(笑)。それもあって、みなさんが自分を投影しやすかったんじゃないかな。
だから今さら、宗達の出身地は描けないないんですよね……。東日本のどこかだろうなって感じではあるんだけど。おじさん夫婦は出てくるけど、両親の話はまったく出てこないし。
パリ:幼いころの宗達のシーンにチラッと出てくることはあっても、むしろ謎めいていて。
ラズ:最近の漫画のキャラクターって、わりと具体的に設定されてることが多いような気がするんで、ここまでアバウトなのって珍しいですよね、きっと。
パリ:とはいえやっぱり、宗達のキャラ自体が魅力的ですよね。ちょっとうんちくを語りたがるっていうキャラクターがグルメ漫画的でもありつつ、最後にはそれが崩れるという。
ラズ:そこが酒ジャンルのありがたいところです。実際我々もその通りで、飲みはじめのころはくだくだと細かいことを語っていても、酔うとだんだんどうでもよくなってくる(笑)。うんちくは披露しつつ、無責任でもまぁいいか、みたいな。
ナオ:「こうでなければいかん!」と語ったとしても、酔って最後は覆されたり。酒に酔うことの情けなさがちゃんと入ってるっていう。
パリ:そこが漫画としては革新的だったんでしょうね。酒飲みからしたら、「そうそう、これこれ!」って。
ラズ:うんちくっていうのは、さほど重要じゃないといいますか、やっぱり酒場でこんな人と会った、酒場でこんな経験をした、みたいなものを出していくほうがおもしろい。そっちのほうが主体。
『酒ほそ』は人生の記録でもある
パリ:初期のころは特に、単行本で各話の間に挟まるコラムの内容もすごく濃いですよね。それこそ、この連載で話していただいたようなエピソードもいっぱい出てきて。
ラズ:そうですね。過去の酒の体験が話の下敷きになっていたりすることもあるし、逆にそれを自分が読み返して、さらに昔にあったことを思い出すこともあるんです。
パリ:ああ~、わかります!
ナオ:コラムがあることで、単行本の読みごたえがかなり増しています。
ラズ:最初に単行本を出すときの担当者と「どう作りましょうかね」って話しあって、「いろいろ関連するネタもあるし、1話にひとつずつ短いエッセイ入れましょうか」みたいな感じで、自然に決まったんだと思います。ただ、最初にそれを決めちゃったんで……その後ずーっと、コラムを書かないと単行本が出ないっていう(笑)。
パリ:毎回書き下ろしですもんね。
ラズ:1、2巻のころって、今よりもっとコラムパートがあったんですよね。それが大変だったんだけど、当時は単行本が出るだけで嬉しかったので、力を入れて作ってたなぁ。
ナオ:このコラムのパートでいろんなことを試されてますよね。海外で飲んだお酒のエピソードがあったり、かと思えば日本酒の蔵元を訪ねたレポートもあるし。酒の失敗談みたいなシリーズが唐突に始まったり。
パリ:宗達とラズ先生の対談シリーズもおもしろかったです。
ラズ:かなり試行錯誤してる感じ。いずれにしてもその後はどんどん、「書き下ろしいっぱいあって大変だ〜」となっていくんだけど(笑)。
ナオ:これまでに書かれた文章パートだけを抽出しても相当なボリュームになりそう。
ラズ:文章の部分は、自分でも「ほうほう」とか楽しく読めるんですよね。あんなに苦労して書いたのに、あっという間に読めちゃう。まぁ、さらっと読めるようにっていうのは心がけて書いているんですけど。単行本の巻数を重ねるにつれ、時間がなくてものすごいスピードで書いたものも多くなるんだけど、読み返すと「あんなに急いで書いたわりには、けっこうちゃんとしてるな」と思ったり。
ナオ:どれもちゃんとしてるどころじゃないです! 純粋に読み物としておもしろくて。
ラズ:今もそれが大変っちゃあ大変なんだけど、みなさんがそれが良いって言ってくださるんでね。今さらやめられない(笑)。
ナオ:前にパリッコさんとも話したんですけど、初期のコラムは、今のラズ先生からするとびっくりするくらい、口が悪いこともあるんですよね。
パリ:はは! そう、悪い悪い(笑)。
ラズ:(笑) 今みたいにSNSで生の読者の声がどんどん広がるようになってしまうと、昔のように言いっぱなしはできないけど……。
パリ:ということは、今はSNSを意識してて自重しているけど、根はずっと口が悪い?
ナオ:若き日のラズ先生ならではの尖りみたいなものだと感じていましたが。
ラズ:そういう根の悪さみたいなものがないと、逆におもしろくないと思うんだけど……、最近はだいぶ隠してるというか、オブラートに包んでると言いますかね(笑)。
ナオ:初期のコラムを読んだらもう……。
ラズ:びっくりしますよね。
パリ:バーに対して、めちゃくちゃ悪く言ってるコラムがあったり(笑)。
ナオ:「おしゃれぶりやがって!」みたいに、けちょんけちょんに言ってる。
パリ:あのときは、どうしたんですか(笑)。
ラズ:さすがに今読み返すとそういう感想になるものもある。「このとき一体、なにがあったんだろう……?」って(笑)。
パリ:だけど人間、年齢を重ねれば性格が丸くなるのも当然のことですしね。内面的にどうかは別として。
ラズ:若いころは好き嫌いがはっきりしてて、それが実は、経験が乏しいがゆえだったりするんです。歳をとってふり返るとそんな若気の至りが恥ずかしくなって、反省する。人間、そういう面はありますよね。
ナオ:実際、たとえば高級なワインを、最初は「こんなもん高すぎる!」って描いていても、ラズ先生がそれを実際に飲まれて美味しさを知っていくと、「高級ワインなりの正当な良さがある」と視点が変わっていくわけですよね。描いてるラズ先生自身が変化しているから、それが反映されていく。
ラズ:バーのこともそう。最初は気後れするとか、そういうことの裏返しで悪く言ってたんだと思います。でも、だんだん経験を重ねると、「あぁ、バーっていいもんだな」となっていくから。
パリ:漫画やコラムが人生の記録にもなっているんですね。
ラズ:長く続いているから、そういう面はありますよね。そういう意味で、酒飲みも少しは成長していくのかなと。昔は許せなかったものがだんだん許せるようになってくるとか。
パリ:多くの人はむしろ、頑固になっていってしまうイメージもありますが。
ラズ:それが酒に関しては逆で、いろんなものに寛容になっていくんですよね。
パリ:酒の世界に通じた大御所は日本にたくさんいますけど、そこがラズ先生のいちばんすごいところなんじゃないかと思います。どんどん寛容になっていくというか、「こうじゃなきゃいけない」がどんどんなくなっていくというか。
ラズ:でも、こうじゃなきゃいけないって、つっぱってるのもおもしろいんですけどね。そういう人を見てるのもおもしろいし。ただ、自分はだんだん寛容になっていってるなぁという感じはあります。
(次回、6月15日更新予定)
ラズウェル細木
1956年、山形県米沢市生まれ。食とジャズをこよなく愛する漫画家。代表作『酒のほそ道』は四半世紀以上続く超長寿作となっている。その他の著書に『パパのココロ』『美味い話にゃ肴あり』『魚心あれば食べ心』『う』など多数。2012年、『酒のほそ道』などにより第16回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。米沢市観光大使。
パリッコ
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より、酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『天国酒場』『つつまし酒』『酒場っ子』『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』など多数。
スズキナオ
1979年、東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『メシ通』などを中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』『関西酒場のろのろ日記』『酒ともやしと横になる私』など、パリッコとの共著に『酒の穴』『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』『“よむ"お酒』がある