第4回 ラズウェル細木の酔いどれ自伝
    ──夕暮れて酒とマンガと人生と

カルチャー|2021.9.25
ラズウェル細木×パリッコ×スズキナオ

『酒のほそ道』をはじめとして、四半世紀以上にわたり、酒やつまみ、酒場にまつわる森羅万象を漫画に描き続けてきたラズウェル細木。 そのラズウェル細木に公私ともに親炙し、「酒の穴」という飲酒ユニットとしても活動するパリッコとスズキナオの二人が、ラズウェル細木の人生に分け入る──。 第4回は、念願かなって早稲田の漫研での青春が始まります!

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浪人時代と、東京の叔父さん

パリッコ(以下、パリ):今回は、ラズ先生の浪人時代から、大学漫研での活動についてを伺いたいと思っています。

ラズウェル細木(以下、ラズ):浪人時代は千駄ヶ谷にアパートを借りて、そこから代々木にある「代々木ゼミナール」へ通っていたんですけど、近くに叔父さんの家がありまして。叔父さんは高円寺で美容室を経営してて、たまに店が忙しいと駆り出されて、床を掃いたり、手伝いをさせられてました。近所のアパートに従業員の美容師さんを住まわせててね。

スズキナオ(以下、ナオ):親戚が近くにいるというのは心強いですよね。

ラズ:晩ごはんは叔父さんの家で食べさせてもらってたんですよ。それで、週に1回くらいかな、叔父さんちに美容師さんたちがやってきて、一緒にごはんを食べることがあったんです。その炊事係を僕がやることもあって、限られた予算で買い出しに行って、みんなのぶんのごはんを作るという。今考えると、自分の「おつまみクッキング」の始まりはそのへんにあったのかもな、と。

パリ:ラズ先生の料理の歴史がスタートしたわけですね。

ラズ:うん。まだそこまで大したものじゃなかったけどね。作るのは簡単なカレーなんかが多かったし。
その後、晴れて大学に合格しましてね、ふたつ受かったんですよ、「上智大学文学部」と「早稲田大学教育学部国語国文学科」。どっちに行くか少しは迷ったんですけど、なんといっても、早稲田の漫研に入るのが第一目標だったので。もし上智大学にしか受からなくて、そっちに入ってたら、今の自分はどうなってたんだろうなぁ。

ナオ:もしそうなっていたら、上智に入っていましたか?

ラズ:もう1年浪人するつもりはなかったから、その場合は、上智大学の漫研に入ってたんじゃないかな。ただ、あこがれの早稲田の漫研に入れて、そこでの体験がものすご~く濃かったから、こうして漫画家になれたのは、やっぱり早稲田の漫研のおかげなんじゃないかなと。

ナオ:それだけ、早稲田の漫研との出会いが大きかったんですね。

ラズ:想像以上に影響を与えられた場所でした。実はね、大学に入る時にちょっとした話がありまして。叔父さんがね、大学に受かった時に妙な提案をしてきたんです。「将来、どんな道に進むにしても、手に職があれば安心だから、美容学校にも行かないか?」って。叔父さんには子どもがいなかったので、もしかしたら跡継ぎにしたいという目論見もあったのかも。でね、叔父さんはむっちゃくちゃ口がうまいので、「こんなに良い提案をしてるのに、お前がのらないのは考えられない!」とか言われて、気がついたら「はい、入学します」と言ってたんですよ(笑)。「山野美容専門学校」というのが代々木にあって。

パリ:入ったんですか(笑)。

ナオ:えー!(笑)

ラズ:日中は大学、夜は美容学校の夜間コースに行くことが決まった。ただ、よく考えてみたら、そんな時間配分だと漫研の活動がまったくできないじゃないかと(笑)。結局1日だけ行って「ここは自分には縁がないところだ」とハッと気がついて、叔父さんに「すみません。辞めたいです」と言ったら、「お前は出入り禁止だ!」って、むっちゃくちゃ怒られた……。

ナオ:そのための入学金なんかも叔父さんが支払ったわけですもんね。

ラズ:うちの両親は僕が美容学校に行くことになったのは知ってたんだけど、「辞めることにした」と伝えたら、「それはそうだ。そもそもなんでお前が美容師になるんだ」って、当たり前のように許してくれて。

パリ:(笑) だって、漫研に行きたくてせっかく早稲田に入学したわけですもんね。

ラズ:あのまま美容学校に通って美容師になっていたら、今の自分はどうなっていたんだろうかと……。

ナオ:いろいろな未来があり得たわけですね。上智大学に入学した場合と、美容師になった場合と。

ラズ:美容師免許持ってる漫画家っていうのもおもしろいかもしれないけどね(笑)。

パリ:全然作風が違ってたりして。

ナオ:叔父さんとはそれがきっかけで疎遠になってしまったんですか?

ラズ:しばらくね。10年ほど疎遠になって、その後許してもらえたんですけど。

パリ:お話を聞いてると、『酒のほそ道』に登場する叔父さんと、なんとなくかぶるような。

ラズ:全く違うんです! お酒も飲まないし。とにかく口が達者で、セールスが大得意で、美容室を経営しながら、一時は画商もやってた。美容室に来るお客さんに絵を売ったりするんですよ。

パリ:それはすごい!(笑)

ついにあこがれの早稲田漫研へ!

ラズ:まぁ、そんなこんなで晴れて早稲田の漫研に入りましてね。1年生から4年生、留年している人まで合わせると50人くらいはいたのかな。「第一学生会館」という、今は壊されてなくなった、サークルの部室が集まってる建物があって、漫研の部室はその3階に入ってた。ただ、部屋を「アナウンス研究会」と日替わりで使うんですよ。

パリ:そこでどんな活動をされるんですか?

ラズ:部室に行くのは週に3日。中央に大きな机と、その四方にベンチのような椅子が置いてあって、授業が終わって行くと先輩やら友達やらがいる。そこで、ただただよもやま話をするっていうのがふだんの活動なんですけど。

パリ:よもやま話(笑)。

ラズ:部室では本当に雑談しかしないんですよ。好きなジャンルごとにグループがあって、ストーリー漫画、ギャグ漫画、少女漫画とか、それぞれのジャンルが好きな人どうしで喫茶店に行って、そのジャンルの漫画について語るみたいなのがデイリーな活動なんです。部室は集合場所というか、顔を合わせて雑談をする場所でしかなかった。

パリ:なるほど。漫研っていうのは、別にみんなが漫画家を目指してるわけじゃなくて、漫画の研究をしたい人っていうのもいるんですね。

ラズ:そうなんです。僕のイメージでは、みんな漫画を描いてる、漫画家になりたい人ばっかりかなと思ったていら、評論活動がしたいとか、読むのが好きなだけとかね。とにかく漫画に関心がある人が集まってくるっていう感じでした。でもまぁ、絵を描く人は多かったですけどね。デイリーな活動はそういう感じで、あとは学園祭と、年に2回、秋と春に同人誌を発行するんですけど、そこに作品を描いていました。さすがだなと思ったのは、自分たちでコピーして閉じたりするんじゃなくて、ちゃんとした印刷所に頼むんですよ。しかも、文字も写植だったりする。

パリ:いわゆる同人誌というか。今より当時のほうがかなり敷居が高いですよね。

ラズ:でしょうねぇ。それがなぜできたかっていうと、早稲田の漫研はお金持ちだったんですよ。というのはね、いろいろなバイトがあるんです。代表的なのは似顔絵描き。あちこちのイベントに行って似顔絵を描くバイトっていうのが定期的にあった。たとえば「東京ガス」の店舗が何かキャンペーンをするとして、人を呼びこむためにその一角に机と椅子を置いて似顔絵を描いたりね。企業の大きいパーティーに呼ばれて行ったりもするんですけど、そうすると、占い師だとか、いろいろな人がブースを持ってるんですよ。声帯模写、形態模写の芸人さんがいたり、詰め将棋の先生とかもいたりして。そういうところに呼ばれていくと、日当が出るわけ。1日行ったら2万円はもらえたかな。イベント会社から直接依頼がくることもあるし、漫研のOBで似顔絵を中心に活動している先輩たちがいて、そこからの下請けで回ってくることもあった。

ナオ:すごい。もはや似顔絵のプロダクションという感じですね。

ラズ:下請けでも相当なお金がもらえたから、元はもっと高かったんだろうなと(笑)。今より景気がいい時代だったので、そういう仕事はバンバンありまして、そこで得たお金は漫研にもちょっと払うんです。それで漫研の資金はけっこう潤沢にあったんですよね。だから立派な同人誌が出せたという。

パリ:さすが名門早稲田の漫研。

ラズ:あと、1年のなかでもっとも大きな行事が学園祭で、広い教室を借りてひとコマ漫画のパネル展示なんかもやってたんだけど、その他に、メンバーみんなで似顔絵を描くんです。壁には作品が展示してあって、その壁の前にぐるっと机を出して、みんなで似顔絵を描く。学園祭は4日間あって、その間ほとんど似顔絵描きっぱなしなんですよ。何人も書き手がいるのに、それでもずっと行列してて、ごはんを食べたりトイレに行くヒマもない。

ナオ:大人気だったんですね。絵の上手な人に似顔絵を描いてもらうの、嬉しいですもんね。

パリ:そこでラズ先生も似顔絵を?

ラズ:描いてました。早稲田漫研スタイルの似顔絵の講習みたいのもありまして、絵心ない人もそれはやらなきゃいけなくて。

ナオ:そのスタイルとはどういうものなんですか?

ラズ:バストアップで頭を大きく描いて、髪の毛を豊富に描いて……顔のパーツは下のほうに集める。髪の毛は全部塗ると大変なので、下半分を斜線で黒くする、とか。その方法ならひとり数分で描きあげられる。パッパッパッて書いて、ハイって渡す。料金はいくらとってたかな、100円くらいだったかなぁ? それでも、大人数で1日中描いてるんで、その売り上げもけっこうあったんですよね。

ナオ:似顔絵ってそんなに稼げるんですね(笑)。

ラズ:そうなんですよ。だからね、学園祭の打ち上げのコンパ代はぜんぶ、似顔絵の売り上げから出てた。

パリ:その打ち上げがどんなものだったかも気になります。

ラズ:漫研はしょっちゅうコンパをやってましたね。当時は酒飲んでなんぼっていう風潮なので、やっぱりたま~に救急車を呼ぶような事態になる。雰囲気につられてあんまり飲めないのにバカ飲みする人がいたりしてね。

ナオ:学生時代ってそういうところがありますよね。

パリ:あの、「コンパ」というものがいまいち分かってないんですけど、どこで飲むんですか?

ラズ:定例のコンパというのは、学校の近くの蕎麦屋の2階と決まってる。

パリ・ナオ:渋い!!

パリ:蕎麦屋だと、つまみもからあげとかフライドポテトじゃないわけですよね。

ラズ:うん(笑)。「大体この値段でやって」とお願いすると、つまみを作ってくれて、蕎麦屋だからやっぱり天ぷらなんかが出てくるんです。

ナオ:ずっと行きつけている場所だから、お店も融通をきかせてやってくれるという。

ラズ:そうです。ただあんまり騒ぎすぎると、何回かに1回「使わせられない」って言われちゃうことがあって。でも、ほとぼりが冷めるとまた使わせてもらえる。

ナオ:ずっと出禁ではないんですね(笑)。

パリ:その優しさ、いいですね! 許してもらえるという。

ラズ:期間限定の出禁みたいな。

ナオ:その飲み会には漫研のみんなが先輩から後輩までみんな集まるんですよね。男性と女性も入り交じって。

ラズ:うん。早稲田の漫研はね、基本的に誰でも入っていい。要するに早稲田の学生じゃなくても入れてくれるんです。

パリ:えっ? だったら早稲田に受からなくても入れましたね! 上智からでも。

ナオ:確かに(笑)。

ラズ:ただ、外部から入ってくる人は、ほぼ女性なんですよ。近所の学習院女子大とか日本女子大とかから入ってくる。それで、外部から入ってくる女子部員を男子部員がかわいがるので、早稲田の女子学生とその他の女子学生に少し確執があったりして、学内の女性はね、非常に不愉快そうにしていた(笑)。

パリ:わはは!

ナオ:そんな複雑な雰囲気ができあがっていたんですね(笑)。でも、想像するとすごく楽しそうな、学生たちの青春みたいな感じですね。

ラズ:そうですね。そもそも男女交際をメインに打ち出してるサークルも、昔からありましたしね。出会いのためのサークル。漫研は漫画を研究するっていうのがいちばんの目的なんだけど、まぁ、男女交際も関心のひとつではあるわけですよね。

パリ:そりゃあ大学生ともなれば!

ラズ:ただ、漫研の人たちは露骨にギラギラはしてなかったですよ、やっぱり。漫画を研究するという大義があるので、あんまり露骨に「女性とつきあいたい!」という気持ちを出すと恥ずかしいというのがあって。

ナオ:当時のラズ先生がどんなふうだったか見てみたくなりました。

ラズ:ははは(笑)。


(次回掲載は、10月10日を予定しています)

ラズウェル細木
1956年、山形県米沢市生まれ。食とジャズをこよなく愛する漫画家。代表作『酒のほそ道』は四半世紀以上続く超長寿作となっている。その他の著書に『パパのココロ』『美味い話にゃ肴あり』『魚心あれば食べ心』『う』など多数。2012年、『酒のほそ道』などにより第16回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。米沢市観光大使。


パリッコ
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より、酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『天国酒場』『つつまし酒』『酒場っ子』『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』など多数。


スズキナオ
1979年、東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『メシ通』などを中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』『関西酒場のろのろ日記』『酒ともやしと横になる私』など、パリッコとの共著に『酒の穴』『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』『“よむ"お酒』がある

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