第2回 ラズウェル細木の酔いどれ自伝
    ──夕暮れて酒とマンガと人生と

カルチャー|2021.8.25
ラズウェル細木×パリッコ×スズキナオ

『酒のほそ道』をはじめとして、四半世紀以上にわたり、酒やつまみ、酒場にまつわる森羅万象を漫画に描き続けてきたラズウェル細木。 そのラズウェル細木に公私ともに親炙し、「酒の穴」という飲酒ユニットとしても活動するパリッコとスズキナオの二人が、ラズウェル細木の人生に分け入る──。 第2回は、漫画を描くことに目覚めた、小学生から高校生の頃まで。

第1回はこちら

いよいよ漫画を描きはじめる

ラズウェル細木(以下、ラズ):最初に漫画を描きはじめたのが、小学校4、5年生くらいの時ですかね。石森章太郎先生の『マンガ家入門』っていう本がありましてね、それの正編と続編があって、あれ、今思えばけっこう高い本だったんだけど、おこづかいをためてがんばって買ったんですよね。それまで本って、親にねだって買ってもらってたんだけど、『マンガ家入門』は親が買ってくれなさそうだったので。

パリッコ(以下、パリ):初めて自分で買ったのが『マンガ家入門』。人生に直結してる!

スズキナオ(以下、ナオ):当時、すでに本格的に漫画を描いてみたいというお気持ちはあったんですか?

ラズ:そうですね。その本を友達と一緒に読んで、文房具屋に道具を買いに行った。それまではもちろん鉛筆で絵を描いていたんだけど、石森先生の本には「ちゃんと下描きをしてペン入れをする」みたいな描きかたが紹介されてましたからね。基本的なことも教えてくれるんですよ。紙は表にしか描きません、とかね。漫画って両面に印刷してあるから、普通、紙の両面に描くと思うじゃない。「あっ、両面に描かないんだ……」とか(笑)。それだけでも目から鱗で。

パリ:まずはインクやGペンを?

ラズ:そうそう。あと、いちばん気分が盛り上がるのが、消しゴムのカスを払う羽ぼうき(笑)。

ナオ:あ〜! 想像できます。あれは道具としてプロっぽいというか、これさえあればもう漫画家という感じがしそう。

ラズ:ただね、買った道具を使って絵を描くと新しい道が開けたようですごく気分がいいんだけど、肝心の漫画はいきなりそうそう描けるもんじゃないんです。よくあるパターンとして、無計画に描きはじめるんだけど、2、3ページでどうしたらいいか、わからなくて終わりになっちゃう。

パリ:漫画家に憧れた子供が全員通ってる道(笑)。

ナオ:当時、こういう漫画を描こうみたいなモデルはあったんですか?

ラズ:僕が描きはじめて、最初に影響されたのが池上遼一先生だったんですよ。あんな絵のうまい人のマネができるはずないのに(笑)。なんとなく雰囲気だけちょっとマネしてね。その頃、最後まで描けた漫画は1本もなかったんだけど、一応コマ割りして、展開を作って、今考えればその頃に修行が始まっていたなという気はしますね。

パリ:僕も絵を描くのが好きだったので、図々しいですが似た経験があります。僕の時代のバイブルは、鳥山明先生の『鳥山明のHETAPPIマンガ研究所』でした。もちろんペンも買ったんですけど、難しいんですよ、あれ。

ラズ:そうそう。いきなり上手に使える人はいない。

パリ:しかもいい値段のする専用の紙までは買えなくて、ノートにガリガリ描いてたりしたので、無茶にもほどがありました。しかも当時好きだったのが森田まさのり先生の『ろくでなしBLUES』とかで、池上先生と同じでとても模写できるようなものじゃなかった(笑)。

ラズ:今の時代の方が色々なジャンルの漫画があって入門はしやすくなっているような気がしますね。我々の時代は石森先生の本を読んで漫画家を目指すっていうのがほとんど。それしかお手本がなかったですから。

ナオ:今だったらギャグ漫画で行こうとか、絵柄もたくさんありますし。

パリ:『少年ジャンプ』の黄金時代にはみんなマネしていましたよね。

ラズ:『少年ジャンプ』は僕が小6の時に創刊されたんですよ。僕はずっと『少年マガジン』だけを買っていたんだけど、友達が『少年ジャンプ』を買いだして。それでみんな『ハレンチ学園』に釘づけになってた(笑)。ジャンプは後発だったから、最初は「ジャンプ読んでる奴はダサいぜ」みたいな感じだったのが、その後どんどん勢いを増して、ジャンプひとり勝ち時代になっていきましたね。

「文化」に渇望した中高時代

ナオ:中学時代はどんな風にすごされていましたか?

ラズ:バレーボールをやっていたので、日中は部活ばっかりで。で、夜になるとオールナイトニッポンを聴いていました。当時の山形って、気象的な影響なのか、なぜか夜中にならないと東京の電波が入らなかったんですよね(笑)。 その頃にポピュラーミュージックというやつに初めて出合いまして、カーペンターズとか、ビートルズの一番最後くらいとか。それからレッド・ツェッペリンだとかシカゴだとかロック系を聴くようになって、サンタナの『ブラック・マジック・ウーマン』が流行ったんですよね。その影響が大きくて、そこからだんだんとジャズを聴くようになっていった。

パリ:中学生でジャズにハマるというのもすごい。

ラズ:中学~高校と、周りは少しずつロックにハマりだしてたけど、僕はロックはなかなか聴けなかったんですね。その頃聴いていたのは「クロスオーバー」って言われるジャンル、後にフュージョンと呼ばれるようになるんですが、その頃はクロスオーバーと呼ばれてた。本格的なジャズにまではなかなか入っていけなかったんだけど、クロスオーバーは聴きやすかったので、そこから入門した感じですよね。

パリ:レコードを買ったりもしていたんですか?

ラズ:高校生にとってはLPレコードが高くてね。こづかいためてやっと買うって感じですよ。途中でオイルショックもあって、レコードが値上がりして、1800円から2000円くらいだったのが、2200円くらいになりました。その当時の高校生にとっての2200円はかなりの額ですよ。ジャズ喫茶が全盛の頃って、LPレコードはもっと高かったらしいですからね。何万円とか。だからみんなジャズ喫茶で聞いていたんですよね。

パリ:その頃、特に好きな作品なんかはありましたか?

ラズ:高校の時にハービー・ハンコックの『ヘッド・ハンターズ』とか、マハヴィシュヌ・オーケストラ『火の鳥』が出だして、そこらへんから入っていったんです。

パリ:『ヘッド・ハンターズ』大好きです! ぜんぜんジャンルが違うけど、僕が高校大学の頃に好きだった、変態的な電子音楽をたくさん出してたレーベル「WARP」に通ずるところがあって。というか、あのあたりのミュージシャン、ハービー・ハンコックの影響受けてるに違いないと思うんですよね。

ナオ:いわゆるジャズの音を想像して聴いたら1音目からして全然違いますもんね。

ラズ:あと、サンタナがちょうどジャズに関心を持ちはじめて、ジャズっぽくなっていった頃でした。サンタナの日本公演が『ロータスの伝説』っていうライブアルバムになって、それが3枚組で6400円くらいしたんですよね。それをもう、清水の舞台から飛び降りるつもりで買った。横尾忠則デザインで、パタパタと何面にも折りこまれているような造りのジャケットで、あとになって話を聞くと、レーベルのソニーの内部でも「こんなの出せるか!」って揉めたりしながらなんとか出したそうで。買う側も大変だったけど出す側も大変だったんだなと(笑)。 その後『ロータスの伝説』は何種類もCDが出たけど、見つけるたびに買ってましたね。LPの復刻版も出たし、うちには『ロータスの伝説』が何種類もある。

ナオ:高校生の頃はとにかく漫画とジャズだったと。たとえばファッションにこだわったりはしなかったですか?

ラズ:しなかったな〜。学校には学ランで通ってたし、家ではジャージを着てたし。

ナオ:そんなお金があれば漫画や音楽にまわすという。

パリ:色恋への興味はどうでした?

ラズ:これまた、なかったですねえ。当時はジャズと漫画しか興味なかったから、女の子と親しく口をきくってことがまずなかった。あのね、山形県って美人が多いんですよ。よく「秋田美人」とは言われますけど、やっぱり東北って美人が多かったんだなあって、今から思うとあの子もかわいかったなって。当時は全然気づかなかったけど(笑)。

ナオ:当時気づいてなかった美人に後で気づくということもあるんですね(笑)。

パリ:ぶっちゃけ、ラズ先生はそのへん、今も信じられないくらい鈍感なんですよ! 以前に京都であった、ラズ先生のお知り合いのとあるバーのママ主催の飲み会に参加させてもらったことがあるんですが、そのママがものすごく美人なんです。もう、集まってる常連客みんなの共通認識というか。なのに、翌日また別の酒場で飲みながら、「しかしあのママ美人でしたね〜」って言ったら、「え? ……あ、そういえば!」とか言ってて。

ナオ:顔をよく見てないのかな(笑)。

ラズ:なので、たまにクラス会があって行くと、同級生の女の子なんか、孫がいたりするのに、みんなきれいなんですよね。惜しいことをしたなあって(笑)。

『ガロ』に出合い、漫画を再開させる

ナオ:その後、漫画を描くことは続けられていたんですか?

ラズ:中学時代はちょっと下火で、次に本格的になるのは高校の頃。虫プロ商事の『COM』という有名な漫画誌を買いだしたんですよ。マニアックな雑誌で、新人の作品を募集していたんですね。作品に対するしっかりした批評も載っていて、それを読んでまた漫画を描きたいという気持ちに火がついたんだけど、その後すぐ、『COM』が休刊しちゃったんですよ。せっかくまた描こうって気になったのに目標を失ってしまった。そこで手にとったのが、それまでちょっと怖そうだと思ってなんとなく読まないでいた『ガロ』ですよね。

パリ:おお、ついに『ガロ』が!

ラズ:『ガロ』はもともと白土三平先生の『カムイ伝』が載っていて、大人の雑誌みたいな感じだったんだけど、『COM』もなくなったしと読みはじめたら、すでに白土先生が描いていた時代とはけっこう変わっていた。安部慎一、鈴木翁二、古川益三が活躍してて、「一、二、三の時代」と言われてたんですね。これがすごくおもしろくて、買い続けるようになりました。

ナオ:『ガロ』も作品は募集していたんですか?

ラズ:うん。しかもそこに、うちの高校の先輩のますむらひろしさんが入選したんですよ。ますむらさんは1952年生まれで僕の4つ上なので、在学期間はギリギリ重なっていなくて、当時は存じあげなかったんです。でも、入選作を読んでみたら、「これどう見ても米沢の人だよね」とわかった。だってタイトルが『ヨネザアド幻想』ですから。漫画とか音楽とか文化的なものへの理解が少なくて、漫研なんてあるはずもないうちの高校からこんな先輩が出るなんてすごいじゃないかと刺激を受けて、それで『ガロ』的な漫画をようやく最後まで1本、完成させたんです。

ナオ:名前の挙がった安部慎一みたいに、ちょっと文学的な方向の作品ということですか?

ラズ:そうですね。『ガロ』の漫画にはちゃんとした起承転結がなくても許される感じがあったんです。突然終わっても許される(笑)。 特につげ義春先生の『ねじ式』が載ってから、みんなシュールな漫画になっていって。僕も今でもしょっちゅう『ねじ式』は読み返してますけど、見るたびにぶったまげますね。

ナオ:『ねじ式』の影響がそれだけ大きかったということですね。

ラズ:その原稿を編集部に送ったんだけど、すぐに返ってきてしまいましたね。夕暮れのなかを、帽子を目深にかぶった顔の見えない男が、リアカー引いて歩く漫画だった……(笑)。

ナオ:そのヒントだけでは内容が想像できないです(笑)。

ラズ:たぶんこれといった話はなくて、ただただリアカーを引いていくだけ。それを『ガロ』っぽい絵柄で描いたんじゃなかったかと思うんですけどねえ。ただ、まだ全然ペン使いに慣れていなくて、ガタガタな線だったはず。見返してみたい気もするんだけど、原稿、どこいっちゃったかなあ。

パリ:今の絵柄でのリメイク版も見てみたい気がします(笑)。

ラズ:それが悔しかったこともあって、またその頃、東京の高校には漫研っていうものがあって、そこでみんなが切磋琢磨しているらしいというのを聞いて、うおー! と。大学に入ったら絶対に漫画研究会に入りたい! って思うようになったんです。

パリ:高校を出たら見てろよ! と(笑)。

ラズ:でもいかんせん、それまでが漫画と好きなジャズに明け暮れる日々だったので、受験になんて受かるはずないんだよね。見事に浪人生になりまして。それで心を入れ替えて、「代々木ゼミナール」でいちから勉強をし直したという。

パリ:ちなみにどちらの代々木ゼミナールですか?

ラズ:まさに、代々木の代々木ゼミナール。そこで東京に出てきたんです。その頃、代々木におじさんが住んでいて、知ってる人が近くにいれば親も少しは安心だということで、おじさんの家の近くにアパートを借りたんですよ。

ナオ:浪人で東京に出てくるということは、もう最初から東京の大学に進学するつもりだったんですか。

ラズ:六大学しか眼中になかったので(笑)。そもそも、山形とは文化の違う東京へ、いつかまた戻りたいとずっと思っていたんです。とにかく東京に行って漫画研究会に入りたかったんですよ。漫画家になる気はまだそこまでなかったんだけれども、漫画研究会というところで、いろんな人と漫画について語り合いながら、研鑽を積みたいという気持ちがあってね。

パリ:同好の士、語り合える仲間と出会いたいと。現役の時にも受験はしたんですよね?

ラズ:受けましたよ。早稲田・明治・法政と受けたんですけど、まぁ落ちますわねえ。だって予備校に行ったら、初めて習うことばっかりなんだもん。こんなこと高校で教えてくれなかったよなあ……と思って教科書を見返すと、ちゃんと載ってる。

ナオ:真面目に聞いてないだけだった(笑)。

パリ:ちなみに授業中は何をしてたんですか?

ラズ:ちゃんと出席はしていたんですけど……寝てることが多かったかな(笑)。

(次回掲載は、9月10日です)

ラズウェル細木
1956年、山形県米沢市生まれ。食とジャズをこよなく愛する漫画家。代表作『酒のほそ道』は四半世紀以上続く超長寿作となっている。その他の著書に『パパのココロ』『美味い話にゃ肴あり』『魚心あれば食べ心』『う』など多数。2012年、『酒のほそ道』などにより第16回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。米沢市観光大使。


パリッコ
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より、酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『天国酒場』『つつまし酒』『酒場っ子』『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』など多数。


スズキナオ
1979年、東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『メシ通』などを中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』『関西酒場のろのろ日記』『酒ともやしと横になる私』など、パリッコとの共著に『酒の穴』『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』『“よむ"お酒』がある

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