『酒のほそ道』をはじめとして、四半世紀以上にわたり、酒やつまみ、酒場にまつわる森羅万象を漫画に描き続けてきたラズウェル細木。 そのラズウェル細木に公私ともに親炙し、「酒の穴」という飲酒ユニットとしても活動するパリッコとスズキナオの二人が、ラズウェル細木の人生に分け入る──。 記念すべき第10回は、「酒ほそ」の連載開始と、「漫画道」とは対極をいく、ラズ先生流の漫画との向き合い方について。
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『酒のほそ道』連載開始!
ラズウェル細木(以下、ラズ):僕と妻とは、そもそもむこうが僕のジャズ漫画のファンだったことで知り合ったんです。ルー・ドナルドソンっていうアルト奏者のコンサートで初めて会って、その後、何回か会ううちに結婚することになったんですけどね。もともと漫画のファンだったから、イラストについては「大したことねえな」と思ってたらしい(笑)。実は『酒のほそ道』というタイトルを考えたのも彼女なんです。いまだにたまに「あのタイトル、誰が考えたと思ってるんだ!」って言われるんですけど。
パリッコ(以下、パリ):えー! そうだったんですか!! 『酒のほそ道』っていうタイトル、見事ですよね。
スズキナオ(以下、ナオ):いきなり奥さんが「これいいんじゃない?」っていうふうに案を出してきたんですか?
ラズ:妻がいろいろ考えて「じゃあ、これは?」って出してきた瞬間に、ああ、もうそれで決まりだなと。
ナオ:奥さん、すごいなー!!
パリ:「酒の道」とか「酒道」とかじゃなくて、「ほそ道」っていうのがいいですよね。「奥の細道」がモジってあるのも酒飲みの心に響くし。
ナオ:ちょっと頼りなげな、不安げな道っていうニュアンスもあって。
ラズ:そうそう。「ほそ道」って、いかにも不安な感じがしていいですよね。
ナオ:千鳥足で歩く道という感じ(笑)。
ラズ:ストーリーで展開させていく漫画じゃないなというのは最初から考えていたんですよ。とにかく、「これから飲みに行くぞ!」というときのウキウキした気分が出せればなあと。あの気分を描くというのがいちばんのポイント。そう思って始めて、いまだにそれで描いてるんですけども。
ナオ:あの瞬間の気分が、なにより最高ですもんね。
ラズ:それが描ければ、特に起承転結がなくてもいいやってね。ディテールと気分。それが不思議とたくさんの読者の方に読んでもらえて、いまだに続いてるわけです。最初のころに描いた話とか、今読み返すと「へー、なるほどね」なんて、新鮮に読めるんですけどね。もう、どんどん忘れていくので(笑)。
ナオ:描き始めるにあたって、人物の設定などをどう考えていったかは覚えてらっしゃいますか?
ラズ:主人公は知り合いの岩間さんていう人の名前と姿形だったんです。僕の描くマンガの登場人物には、けっこう具体的なモデルがいることが多くて。そのほうがなんとなくリアリティが出るんですよね。『美味い話にゃ肴あり』という「酔庵」って店が舞台の漫画は、登場人物のほとんどが、昔よく行ってた飲み屋の常連のみなさんをモデルにしてたり。
パリ:へ~! 確かに、こういう人いるよなというリアリティがすごくありますよね。
ナオ:モデルになった方々も嬉しいでしょうね。『酒ほそ』の当初は、学生時代のお酒の思い出を題材にしていたというお話でしたが。
ラズ:そうですね。安酒場で安酒を飲んでいた学生時代の、とにかく酒は美味しくて楽しいみたいな体験が下敷きになってる。
ナオ:実際に『酒ほそ』を描きだして、飲みに行く姿勢は変わりましたか? 「ネタを集めに行くぞ」みたいな。
ラズ:これがね、ネタを探そうと思って行くと、あんまり拾えなかったりするんです。やっぱり、ただ楽しみに行くと瑣末なことに気がついたり、妙な酔っぱらいと出会ったりする。だからずっと、普通に飲んでいて気がついたことを描いてるわけですね。やっぱりそれがいちばん強いというか。
パリ:それがもう25年以上続いているのがすごい。
ラズ:まあ、飲みかたのこだわりとか、そういうものはやっぱり「酒ほそ」とともに身についたなっていうとこはありますよ。昔は自分でつまみを作ったりはしなかったから。酒場のディテールに関心をもつのも「酒ほそ」を始めたからこそみたいな。作品が自分の飲みかたを決めてくる部分もあり、自分のこだわりを描くことが作品になる。酒飲みとして『酒のほそ道』と一緒に育っているという感覚ですね。
パリ:食材の知識とか、食べものの旬とかって、僕はいまだにわからないことばかりですけど、ラズ先生は日本でも屈指の知識をもった方ですよね。
ラズ:いやいや、あれも描きながら学んでいっただけだし、どんどん忘れていくから、自分でも昔描いたものを読み返すと勉強になったりして。ジャズのCDでもね、たまにライナーノーツを読み返したら、なんと自分が書いてたりして、しかも妙に詳しかったりして、「この時の自分、どうしてこんなこと知ってたんだろう?」って思うことがある(笑)。
ナオ:ははは! いやでも、過去を忘れるほどに長くやってこられているということでもありますし。
ラズ:今のような酒場ブームがまだ来ていなかった時代に始めたのはよかったのかな。最近はすごいでしょ? グルメ漫画も酒漫画も細分化されて、山ほどありますからね。そういう意味では、そのさきがけ的なものということで、ちょっとラッキーだったかなっていう気持ちもあります。今から新たに参入するのは……大変だろうなぁ(笑)。
パリ:確かに、驚くほどピンポイントなテーマのグルメ漫画がいくらでもありますし。
ラズ:そもそもね、今でこそ僕の新刊が出ると本屋やコンビニに置いてくださったりしてますけど、単行本って当時は、そんなに簡単に出してもらえるものじゃなかったんです。ジャズ漫画が最初に出て、そのあと子育て漫画の『パパのココロ』が出て、それで『酒ほそ』が3つめくらいなんですよ。だから『酒ほそ』の1巻めが出たときは、とても楽しみでね。今でも覚えているんだけど、吉祥寺の「ブックスルーエ」という書店に行きまして、どれどれ、と眺めてみたら、どこにもないんですよ。
パリ:その経験、何度もしたことあります(笑)。
ラズ:それで妻が店員さんに「今日発売の『酒のほそ道』って漫画はないでしょうか?」って聞いたら、お店の人が店の奥に引っこんでって、「あ、これですかね」って持ってきた。「ええっ! お店に並べてももらえないのか……」と、ショックを受けて帰ってきたのをよく覚えてますね。
ナオ:現在の人気からすると考えられないことですね。
ラズ:だから、最初から爆発的に売れたとかじゃないんです。長年コツコツ描いて、続けているうちに少しずつ知られるようになったのかなぁって。漫画の世界ってとても厳しくて、山のように本が出ますから。そのなかから見つけて注目してもらうのは、ものすごく大変なんだということがわかりましたよねぇ。今では単行本が出るのなんて当たり前になっちゃったけど、そういうことじゃだめ! 毎回毎回、ありがたいと思わなくちゃ! と。
ナオ:ちょっと切ない思い出ではあるけど、でも1巻目をおふたりで探しに行ったという場面は、なんだか良いですね。
ラズ:体験としても良かったと思いますよ。最初から大ヒットみたいな感じで、デーンといくんじゃないほうがね。
パリ:僕とかナオさんも、今まさにそういう感じじゃないですか。「本は出たけど、並んでるかな……どうだろうな?」って。
ナオ:そうですよね。というか本屋に行くのがこわいですよ。むしろ並んでたらビックリするぐらいで。
ラズ:相原コージさんくらいの人気作家でも、自分の本が出るときに大型書店に行って、「誰か手にとってくれるかな?」ってずっと見ていると書かれていたのを読んだことがある。そのときにちょうど手に取ってレジへ持ってったお客さんの後ろ姿を見ながら、「ありがとうございます!」と手を合わせたい気持ちになるという。本当にそのとおりだなぁって。
ナオ:そういえば大阪の本屋さんで、私の本を手に取って開いて読んでくれた人がいたんです。「ありがとうございます!」と思ったんですけど、パラパラっとめくって、すぐに棚に戻して去っていっちゃって、これが現実かぁ……って。
パリ:ははは! いや、本を買うって相当なハードルですよね。そう安いものでもないし。
ラズ:大変なことですよ、本当に。まぁでも、ふたりとも順調に新しい本が出てるじゃないですか。
パリ:いやぁ、まだまだ不安しかないっす……。
ナオ:長く続く気は一切しないですね。でも、ラズ先生のお話を聞いてると、藤子不二雄Ⓐさんの『まんが道』みたいな感じで情熱的に歩んできたというよりは、それこそ「ほそ道」という言葉のイメージというか、失礼な言いかたかもしれませんが、なりゆきに任せていたら漫画家になっていたという感じなんですね。
ラズ:なりゆきしかないですよ!
パリ:『まんが道』の対極だ。
ラズ:「漫画家になってやるぞ! がんばるぞ!」みたいな強い想いは、一度も抱いたことがない。
ナオ:そのあたり、パリッコさんはどうなんですか? それこそ私もなりゆき的なところがあるんですけど。
パリ:僕も完全にそうで、少しずつちらほらと仕事をもらえるようになってなお、「ライター」という職業があることをよくわかってなかったですから。あとになって「仕事で文章を書く人のことをそう言うんだ~。あれ、それって自分のこと?」って。
ラズ:でも、やっぱりだんだんと好きなジャンルに寄っていくでしょ。好きなことをやってると、やっぱり注目してくれる人が出てくるというか。好きじゃないことをがんばってやるほど大変なことはないし、あんまり報われなかったりするのかな……とも思うし。
ナオ:そうですね。できることしかできないというか……もちろん、努力は必要なんでしょうけど。
ラズ:僕はね、バイクとか拳銃とかを描くのがものすごく苦手で。主人公がバイクに乗りながら銃をぶっぱなしまくるみたいな漫画をもし描かなければならないとしたら、そんなに辛い仕事はない(笑)。絶対にやめたいと思うだろうけど、世のなかにはそういうものをこそ描くのが好きな漫画家さんもいるので、そういうジャンルはその人たちがやればいいっていう話でね。
パリ:『漫画ゴラク』には、そういうものを描くのがうまい先生たちがいくらでもいますもんね!
ラズ:もう銃をパンパン撃つような漫画ばっかりですからね、『ゴラク』は(笑)。そこに「酒ほそ」が入っているのがまたおもしろいところで。
パリ:ものすごくエロかったりグロかったりするページの次にすぐ『酒ほそ』が始まることが多いから、落差がすごい(笑)。
ラズ:そうそう。だから、『酒ほそ』は、ちょっと読者をホッとさせる役割もあるのかなと思って。とにかく、好きなことを続けていれば結果がついてくることもあるし、好きなことを続けられているというのがそもそも、幸せなことだなと思うわけですよ。特にフリーランスって、「依頼があればなんでもやります!」というところから始めるわけじゃないですか。仕事がもらえるだけでもありがたい。でも向き不向きがあって、次第次第に決まってくるというか。まぁ、好きじゃないものはあんまり手応えもないし、評判もとれなかったりするのかなとか、そんな感じですよね。
パリ:「嫌な仕事は断れ!」というアドバイスじゃなくて、「なんとなく決まってくるんじゃないかな?」っていうのがラズ先生らしいし、すごく勇気をもらえます。
ラズ:そうそう。断ればいいってもんでもないし、なんとなくなんですよ。
ナオ:川が海に向かって流れていくみたいに、自然の流れで決まっていくみたいな。
ラズ:ええ。まあ、断るときもありますけどね(笑)。前にどこだったか、「ペットとか動物の話を描いてもらえませんか?」と言われたときは、「あ、それはちょっとダメです」って。いや、動物が嫌いってほどでもないけど、そんなに好きでもないから。
パリ:ペットは自分で飼ってないと、さすがに描けなさそう。
ラズ:『酒ほそ』で「たぬきや」の看板猫の絵を描いたときは、友達のモギさんに相当言われました。「こんなに愛情の感じられない猫は初めて見た」って(笑)。
ナオ:ははは! いやでもこれは妄想ですけど、そこまで言われると、ラズ先生が描くペット漫画や、バイクと拳銃漫画も読みたくなってきましたけどね。まったく愛のないやつを(笑)。
パリ:読みたいな~!
ラズ:いやいやいやいや、イヤイヤ、嫌嫌嫌嫌……。
パリ・ナオ:本気で嫌そう。
パリ:たとえばですけど、「どうしても本気のバイクの絵を1枚だけ描いてほしいんです!」って依頼がきたとして、いくらならやりますか?(笑)
ラズ:え~とねぇ……えぇ~……いや~、いくら積まれても勘弁してくださいって言うかなあ……。バイクは本当に嫌。実は自転車も嫌なんだよね。
パリ:だいぶパーツ減りましたけど(笑)。
ナオ:でも、ラズ先生は鉄道好きの少年だったじゃないですか。たとえば鉄道を絵に描くというのはどうなんですか。
ラズ:鉄道はそんなに描きたくないけど、『酒ほそ』で出てくるときは、がんばってなるべく正確に描くようにしてる。そしたら、いつだったか、読者の方で「酒ほその鉄道って意外と正確でちゃんとしてんだよな~」って言ってくれてる人がいて、「良かった、褒められた~」って。
ナオ:ホッと胸をなでおろして(笑)。
パリ:でも『酒ほそ』を読んでるとたびたび、よくこんなに店の外観とか内観とかバリエーションを描けるな、すごいなと思うんですけど。
ラズ:酒場はねぇ、内観はわりかし資料があるんですけど、外観は雑誌でも大きく載せていることが少ないので、実はパターン化しちゃいがちで。「ママがやってる小料理屋はこのパターン」とか、「大衆酒場はちょうちんがあって縄のれんで」とかみたいな感じでね。そのなかで資料写真があればなるべくリアルにいきたいなと思うんですけど、でもめちゃくちゃ凝ってるってことはないですよ。
パリ:でも、そこは好きだから全然苦じゃないというか。
ラズ:そうですね。あと、取材に行ったり、実際に外観の写真を撮ったりしたときは、わりと律儀に描きますけどね。そうやって律儀に描くとやっぱりいい雰囲気が出る気がします。お店に入るときって、みんな店頭の雰囲気を見て入るわけじゃないですか。だからね、酒場を紹介する雑誌には、もっと外観を載せてほしい。
パリ:僕とナオさんが本当に貴重な経験をさせてもらってるなって思うのは、ラズ先生と一緒に取材に行ったときのことが、あとでけっこうそのまま『酒ほそ』のモチーフになったりするじゃないですか。
ナオ:確かに。ラズ先生がこの場のこの記憶をどんな風に漫画で再現するのかということがのぞき見できるというか。
パリ:すると、自分が体験した空気感が、写真よりもむしろリアルに残っている気がして。
ナオ:正確に写実的に描くっていう方向性ではないんだけど。むしろ雰囲気が伝わってくるというか。
ラズ:そうですね。ディテールを描き込めばいいかというとそうでもなくて、そのときに感じた雰囲気が出るか出ないかということなんですよね。だからこそ、そこにいかに主人公の宗達をはめこむかっていうのがポイントになってくるんだけど。
ナオ:『酒ほそ』がどうやって作られているかという点については、まだまだ知りたいことが山ほどありあますね!
(次回更新は1月25日を予定しています)
ラズウェル細木
1956年、山形県米沢市生まれ。食とジャズをこよなく愛する漫画家。代表作『酒のほそ道』は四半世紀以上続く超長寿作となっている。その他の著書に『パパのココロ』『美味い話にゃ肴あり』『魚心あれば食べ心』『う』など多数。2012年、『酒のほそ道』などにより第16回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。米沢市観光大使。
パリッコ
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より、酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『天国酒場』『つつまし酒』『酒場っ子』『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』など多数。
スズキナオ
1979年、東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『メシ通』などを中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』『関西酒場のろのろ日記』『酒ともやしと横になる私』など、パリッコとの共著に『酒の穴』『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』『“よむ"お酒』がある