『酒のほそ道』をはじめとして、四半世紀以上にわたり、酒やつまみ、酒場にまつわる森羅万象を漫画に描き続けてきたラズウェル細木。
そのラズウェル細木に公私ともに親炙し、「酒の穴」という飲酒ユニットとしても活動するパリッコとスズキナオの二人が、ラズウェル細木の人生に分け入る──。
第13回は、シングルファーザーとなった後、日々の疲れをいやしていた飲み屋の帰り道で事件が……。
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シングルファーザー時代へ突入
ラズ:『パパのココロ』は小学校に入学するあたりで終わりますけど、その後、諸事情がありまして、離婚することになったんです。その時、娘に「どっちと暮らすんだ」と聞いたら、僕とって言うので、そこからふたり暮らしが始まった。自分は勤めに出てなくて、家で仕事してるからこそ可能だったんですけどね。シングルファーザーになってまず決めたのは、「とりあえず仕事よりも育児を優先しよう」ということ。どんなに仕事が忙しくてもPTAには行くとか、通学路に立つとか、近所のパトロールもするとか、給食の白衣にアイロンをかけるとか……。ちなみにアイロンがけはけっこう好きな仕事だった(笑)。
ナオ:仕事もあるから、かなり忙しいですよね。
ラズ:それでもとにかく、どんなに忙しくても学校を優先にしてた。そうしたら不思議なことに、漫画が売れだすんですよね。二の次にしてたのに(笑)。
パリ:ちょっと信じられないですよ。僕なんか、夫婦で協力して子育てしてもひぃひぃ言って、手が回らないことがしばしばなのに。なにか秘訣はあるんですか?
ラズ:まぁ、必死でしたよね。毎日ごはん食べさせて、洗濯して、アイロンかけて、週一で上履きを洗って、学校でなにか集会があると出かけていって……。実はシングルになってからが、本当の『パパのココロ』なんじゃないかという。
ナオ:そうですよね。ちなみに『パパのココロ』以降のことは、記録していたりするんですか?
ラズ:ないですねえ。もう小学校に上がってしまうと、同じことのくり返しなんですよ。育児が大変という感じでもなくて、学校関連のことに対応していくというか。
ナオ:誰にも頼らずに、細かくひとつひとつ、全部ひとりで?
ラズ:ええ。それが日常になっちゃうから。ただね、ごはんを食べさせているうちに料理にも詳しくなるし、いろいろ勉強にもなりましたよね。
日々の疲れを癒してくれた小さな飲み屋「よし田」
ラズ:そういう生活をずっと続けていたから、娘が起きている間はお酒を飲みに行けないわけなんですよね。たま~に取材で家を空けるときは、妹に面倒を見てもらったりもしましたけど。ただ、その後だんだん、娘が寝たあとに飲みに出かけるようになっていって。
パリ:娘さんが何歳くらいのときですか?
ラズ:小学2~5年生くらいの間ですかね。ひとりで寝かせてても、よっぽどのことがない限り大丈夫だろうというくらいの年齢。そのころ、野方に「よし田」って居酒屋がありまして、そこのママが『酒ほそ』のファンで、開店する時にファンレターをくれたんですよ。「今度こういうお店を開きますから、よろしかったらいらしてください」みたいな。それがきっかけで何回か行ってるうちに、常連の人たちとも顔見知りになって、通うようになった。娘が寝てから、そこに自転車で行ってたんですよね。家からそこそこ時間もかかるんだけど、早く飲みたい一心で。
ナオ:ご自宅からだと、結構な距離がありますよね。
ラズ:そこはカウンターだけの店で、個性のある常連さんがたくさんいてね。実はそれが、今連載している『美味い話にゃ肴あり』の「酔庵」のモデルになってるんですよね。その店でいろんなネタを拾っていた。
パリ:常連さんのキャラクターや、酔っぱらいの生態だったり。
ラズ:やっぱり店って、魅力的なママがいるといろんなお客が集まってくるんですよね。それまで自分はそういうタイプの店に通うことがなかったから、飲み屋と酔っぱらいの深い面が見られる感じがあって、非常に勉強になったんです。
パリ:ママってけっこういろんなタイプがいると思うんですけど、「よし田」のママはどのような?
ラズ:いわゆる、銀座のクラブのママぐらいの年代ですよね。その前にもどこかでお店をやってたみたいで、客あしらいも上手。たまに困ったお客も来るんですよ。それをいかに帰すかというテクニックなんかを見るにつけ、なるほどなぁと。
ナオ:その時間が勉強にも、そして息抜きにもなっていたんですね。
ラズ:そうですそうです。顔見知りの常連さんもいたし、シングル暮らしの疲れを癒す場というか。娘が寝たことを確認したら、「よし、行くか!」って。
ナオ:そういう場所は必要ですよね。
ラズ:かなり長いこと通ってたんですけど、その後ママの事情でそれまでどおりの居酒屋の形態での営業が難しくなり、カラオケスナックにしちゃったんですよ。ちょっと離れたところに移転して。
パリ:スナックなら、料理の仕込みなんかの作業量はだいぶ軽減されますもんね。
自転車で飲みに行った帰りに大事件が……
ラズ:で、そのカラオケスナック時代に、個人的大事件がありまして……。ある日、家事と仕事をたくさんやって、とっても疲れた日があった。で、夜にまたその店に自転車で行ったわけなんですけど、その日はなんだかいい気分でねぇ、やたらと焼酎をいっぱい飲んだんですよ。夜中の1時くらいまで飲んで、多少酔っぱらってはいるけど、それでも感覚としては意外とシャキッとしてた。
パリ:あります。不思議としっかりしてる日。
ラズ:ところがね、「じゃあ帰るから」ってお会計をして、自転車にまたがって、ちょっと走ったところまでしか記憶がなくて……。倒れた衝撃で気がついたんですよね。
ナオ:おそろしい……。
ラズ:店からはそんなに離れていない、なぜか帰る方向とは違う信号を渡ってる途中だった。衝撃と激痛でハッと気づいたんだけど、おそらく、走り出してすぐ寝ちゃってたんだと思うんですよ。自転車に乗って寝てたら……そりゃ倒れますよね。
ナオ・パリ:(笑)。
ラズ:やたら肩が痛くて持ち上がらないんで、「これは折れたかな」と思って、すぐママの店に戻って、腕が上がらないから救急車を呼んでもらって、病院でレントゲン撮ってもらったら、やっぱり「折れてます」って。
ナオ:わー、それは大変だ……。
ラズ:その晩はとりあえず病院からタクシーで帰って、翌日、近所にあった荻窪病院に入院して手術するという運びになりまして。折れていたのは右の鎖骨で、とても絵なんて描けない。つまり仕事ができないので、連載している各出版社に連絡した。するとね、編集担当のみなさん一様に、「えぇ! 骨が折れたぁ!?」って……。
パリ:確かに、突然だとそういう反応しかできないですよね(笑)。
(次回更新は3月10日を予定しています)
ラズウェル細木
1956年、山形県米沢市生まれ。食とジャズをこよなく愛する漫画家。代表作『酒のほそ道』は四半世紀以上続く超長寿作となっている。その他の著書に『パパのココロ』『美味い話にゃ肴あり』『魚心あれば食べ心』『う』など多数。2012年、『酒のほそ道』などにより第16回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。米沢市観光大使。
パリッコ
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より、酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『天国酒場』『つつまし酒』『酒場っ子』『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』など多数。
スズキナオ
1979年、東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『メシ通』などを中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』『関西酒場のろのろ日記』『酒ともやしと横になる私』など、パリッコとの共著に『酒の穴』『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』『“よむ"お酒』がある