猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。
2022年に始まったこの連載も、今回が最終回となります。
3年にわたる連載の間、たくさんのことを猫が教えてくれました。
最終回となる今回は、神戸・七宮神社で出会った猫ちゃんに加え、3年の連載を振り返ります。
先日、ふらりと立ち寄った神社で、猫に出会った。

境内のすぐ近くには国道2号線、その上には阪神高速道路が走り、車が盛んに行き交っている。こんな騒然とした場所にお社があることにまず驚いたが、猫と会えたことも嬉しい驚きだった。

神戸市兵庫区に鎮座する七宮(しちのみや)神社。

神戸港にも近い雑然とした街並みの中にあるこのお社は、以前紹介した五宮神社(#44)と同様、神戸の三宮に鎮座する生田(いくた)神社の御祭神、稚日女尊(わかひるめのみこと)をお守りする生田裔神(えいしん)八社の1つ。

もっとも、この八社の御祭神が、主に天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)が誓約(うけい=古代日本で行われていた占いの一種で、ある事柄の真偽などについて神意をうかがうこと)を行った際に産まれた、3柱の女神と5柱の男神から選ばれているのに対し、七宮神社だけは、日本国を創った神とされる大己貴命(おおなむちのみこと)が主祭神となっている。

七宮という名称は、大己貴命の別名である大国主命(おおくにぬしのみこと)、大物主神(おおものぬしのかみ)、葦原醜男(あしはらのしこお)、八千矛神(やちほこのかみ)、大国玉神(おおくにたまのかみ)、顧国玉神(うつしくにたまのかみ)の、7つの御名を称えて付けられたとも言われている。

創建は、年代こそ不明なものの、古代に遡る可能性も秘めた古社であることは間違いないとされている。もっとも、昭和20年(1945)の神戸大空襲のときに、社殿や宝物、古文書などがすべて焼失し、詳しいことはわからなくなってしまったという。たしかなことは、この神社の御祭神が、平清盛によってこの地に祀られたということだ。
ときは平安時代末期。当時日宋貿易を行うために、大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれていた兵庫の港を整備していた清盛は、近隣にある塩槌山(しおづちやま)から土砂を削って埋め立てを行っていた。だが、暴風雨により作業がなかなか捗らない。不思議に思って山を調べてみると、大己貴命が祀られていた。そこで、港に近いこの地に社殿を遷し、以来、平家一族から篤く崇敬され、この地の産土神(うぶすながみ)として信仰されてきたという。

ちなみに産土神とは、自分が生まれた土地を守ってくださる神様のこと。もっとも、現在は鎮守の神、つまり、一定の区域や場所を守護する神様や、もとは同じ氏を持つ同族の人たちの祖先神として祀られ、時代とともに、地域の共同体の守護神となった氏神様と同じ意味になっているという。つまり日本という国に生まれ、暮らす人間には、それぞれ、自身にゆかりのある土地を守護する神様がいて、終生見守ってくれているということだ。
お参りをすませると、別の猫と目が合った。

勝ち気そうな顔をしたこの猫は、先ほど見かけた猫の子どもだという。お母さん猫はどこへ? 境内を見回すと、今は使われていない犬小屋の中で寒さを凌いでいた。

本殿の外には、古い錨も置いてある。

この神社が、産土神としての信仰に加え、航海安全の神様として、海上業者から崇敬されるようになるのは江戸時代後期から。当時、高田屋嘉兵衞という海上業者が、自身で漁場を開いた択捉(えとろふ)島へ赴く際に、この神社に航海安全を祈願したことがはじまりという。
さらに、阪神・淡路大震災の後には、兵庫大神宮の主祭神、天照大御神もこのお社の社殿に鎮座。以来、天津神と国津神が同じ場所に祀られている。
時代とともに変遷しながらも、長い年月、人々が祈りを捧げてきたお社は、猫にとっても落ち着ける場所なのだろう。

そもそも猫は、居心地の良い場所を瞬時に嗅ぎ分ける生き物。

神社を心のよりどころとしてきたのは、人間だけではないようだ。
思えばこの2年あまり、多くの猫に導かれ、さまざまな地でお参りをさせていただいた。
由緒ある元伊勢の神戸(かんべ)神社(#7)では、猫がご縁で特殊神事を見せていただき、

伊勢神社(#52)では、名誉宮司を務める猫に面会できた。

一方、大都会の喧騒を束の間忘れさせてくれたのは、代々木八幡宮(#42)の緑豊かな自然と猫たち。

また、和歌山県の上岩出神社(#54)では、『日本書紀』の中で、異伝に一度だけ登場するというこの神社の御祭神、菊理媛命(くくりひめのみこと)についての話や、心温まる七五三の神事に触れることができた。

映画に登場した神社でも、たくさんの猫と出会った。瀬戸内海を望む五香宮(#48)は、地域の人たちが大切に守り継いできたお社。猫たちの世話も、みなで試行錯誤をしながら協力して行っていた。



ときには、梅宮大社(#17)のように、膝に乗ってきた猫と、しばしまったり過ごしたこともある。

もちろん引っ込み思案の猫もいた。時間をかけて少しずつ距離を縮めていった阿志都弥(あしづみ)神社・行過(ゆき)天満宮(#35)での晩夏のひとときも、懐かしい思い出の一つである。

さらに、大地震の津波の被害から守ってくれた島を御神体とする鹿島神社(#58)では、心のこもった長いお別れのあいさつ……。
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お寺でもさまざまな猫と出会った。
槇尾山(まきのおさん)を縄張りにし、誰にも何にも束縛されず、自由を満喫していた施福寺(#5)の猫や、

何度も巡礼の旅に出て、ついに戻ることのない長い旅に出てしまった観音正寺(#15)の猫。

そして、西明寺(#39)では、寺の歴史に関わりがあるという2匹の黒猫との散歩を通し、自分だけでは気づけなかった、境内の押しつけのない自然の美しさを堪能した。

一方、猫がきっかけで、土地の風習や歴史を知るようになったこともある。
たとえば、淡路島の千光寺(#33)では、生きる子孫たちが小さなおにぎりに託して、亡くなった人の成仏を願う古くからの儀礼、「だんご転がし」を行う場面に立ち会い、

伊勢市二見町にある太江寺(#41)では、江戸時代後期の安政の大地震で土地が隆起する前は、この寺の周辺が二見浦と呼ばれていたことを知った。

境内を猫が案内してくれたこともある。甘えん坊なのに、立派にガイドをしてくれた浄瑠璃寺(#13)の猫や、

西国三十三所第26番札所の一乗寺(#19)でも、猫が国宝の三重塔まで案内してくれた。

思えば、猫の性格は本当にそれぞれ。
山深い地に建つ仙龍寺(#25)の猫のように、帰る間際になって、ようやく打ち解けてくれることもあれば、

壺阪寺(#37)の猫のように、「来たときはガリガリに痩せて、人を見れば逃げていた」という言葉が信じられないほど、今は丸々として人懐っこい性格に変わったということもある。

京都の街中にある平等寺(#46)の猫も、最初は猫パンチばかり浴びせていたとは思えないほど、ご住職に全幅の信頼を寄せていた。

ほかにも、桜と一体となっていた如意輪寺(#23)の猫や、

重要文化財の多宝塔の一部と化していた、天橋立の智恩寺(#56)の猫。

どの猫も忘れがたい。
猫を探し、触れ合う旅は、一方で、神仏をともに敬い、祈りを捧げてきた先人たちの姿に触れる旅でもあった。
世界から見れば、ユニークなこの国の風習や文化の根っこには、国土の約75%が山地という豊かな自然の中で、長い年月かけて育まれてきた、さまざまな祈りが存在するように思う。奥深いこの国のことを知るためには、おそらく気が遠くなるほどの時間が必要だ。旅はこれからも続いていく。
長らく続いた連載も、今回で一区切り。
おつきあいいただき、ありがとうございました。いつかまた、どこかで。
では、これにて御免!
七宮神社
〒652-0831
兵庫県神戸市兵庫区七宮町2-3-21
TEL:078-671-3338

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。