「猫に癒された一日」千光寺│ゆかし日本、猫めぐり#33

連載|2023.9.8
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。
第33回は、淡路島で出会った猫ちゃんたち。淡路島の風習を見守る、癒しの猫ちゃんをお届け。

風習に触れ、猫にも触れる一日

 トンネルを抜けると、景色が一変していた。
 左右に広がる海、白い橋梁。解放感を味わいつつ明石海峡を越え、40分ほど。目指す先山(せんざん)が見えてきた。

 淡路島の中央に位置するこの山は、国生み神話ゆかりの地。イザナギ、イザナミの二柱の神が日本の国土を創生した際、最初に生み出したのが淡路島で、なかでもこの山が真っ先につくられたことから、先山の名が付いたという。日本最初峰、とも称される由縁だ。
 標高は448m。山頂には、延喜元年(901)創建の千光寺がある。

 車を降りると、セミの大合唱に包まれた。アブラゼミ、クマゼミ、ツクツクボウシ……。浴びるほどセミの声を聞くのは、いつ以来だろう。こんな小さな生命でさえ、酷暑の中で懸命に生きている。その力強い鳴き声に圧倒されながら、納経所へ向かうと……。

 出た!
 2匹仲良くお出迎え。

 ベンチでは1匹の猫が伸びていた。

 「おはよう」。
 挨拶してみたが反応なし。

 一方、こちらでは毛づくろいの真っ際中。

 「暑いねえ」。
 声をかけると、

返事の代わりにぐにゃぐにゃになった。

 気温はすでに30度を超えている。しかも蒸す。午前中にしてこの暑さ、人間だってバテるのだから、猫はなおさらに違いない。

 ……と思いきや、それなりに快適な場所はあるようだ。たとえば、終日日陰になるのだろう、石畳の上。

 ひんやりして、気持ちいいの?

 少し湿った緑の上も、お気に入り。

 水分補給だって忘れない。

 気力が回復すると、今度はバッタを相手に狩りの練習。

 暑い暑いと不満を漏らすのは、人間だけ。猫はその中でも幸せを感じ取る。

 すごいなあ。

 こちらのお目めパッチリの「美人さん」も、自分にぴったりな場所でポーズを決めていた。

 ここまであっという間に1時間。その横を、さっきから喪服姿の人たちが、汗を拭きながら本堂への階段を登っていく。

 聞けば、淡路島に古くから伝わる「だんご転がし」が行われるという。故人の死後35日目に親族が集まり、用意したピンポン球くらいの丸いおにぎりを、斜面に背を向けて高い山の山頂から放るというこの淡路島独特の風習は、今も島内各地の山々で行われている葬送儀礼。なかでも代表的なのが、先山だ。

 「死後35日目は、亡くなった人が仏様になる日。だから、その行く手を、お腹を空かせている餓鬼が邪魔しないよう、おにぎりを食べてもらって、その間に成仏してもらうと聞いています」

 喪服姿の女性が教えてくれた。

 「もう一つ、別の謂れもあるんですよ」。隣にいる年配の男性が言葉を継いだ。

 「山に棲む精霊におにぎりをあげることで徳を積む。その徳を亡くなった方に持っていってもらって、天国へ行く手助けをする、そんな言い伝えもあるんです」

 日本では、古来山は亡くなった人の魂が登っていくところとされている。その魂は、長い年月をかけて祖霊となり、山に鎮まると考えられてきた。

 「特に先山は、古くから人々に篤く信仰されてきた霊山です。亡くなった方の死後に山参りをし、『だんご転がし』を行うのも、もともとはお寺が創建される以前からの風習だと聞いています」とご住職の岡崎哲英さん。

 いずれにしても「だんご転がし」は、生きる子孫たちが、亡くなった人の成仏を小さなおにぎりに託して願う、心優しい儀礼なのだ。

 本堂へ行こうと階段を登ると、猫たちも付いてきた。

 途中、舞台と呼ばれる場所で一休み。眼前に広がる風景を眺めた。
 亡くなった人々の魂も、この山から子孫の暮らしを見守っているのだろう。

 猫たちは、どうやらここでゆっくりすることに決めたよう。

 では、おやすみ。

 一方我々は、さらに階段を登って仁王門へ。

 振り返ると、先ほどの舞台が見えた。もはや猫たちは、絶景の一部。

 本堂からは、しめやかな読経の声が聞こえている。

 境内の一角で「だんご転がし」を終えた人々は、その足で六角堂、さらに本堂へと移動。それぞれで法要に参列する。六角堂では、祀られている閻魔大王と六地蔵にも、小さな丸いおにぎりをお供えするという。

 「仏教では、亡くなられた方のさまよっている魂は、7日ごとに段階を経て、七七日(なななのか)、つまり四十九日に仏様になると考えられています。今は簡略化され、初七日と四十九日にだけ法要を行うことが多いですが、実は五七日(ごなのか)、つまり三十五日目は閻魔さまの前で生前の行いが鏡に写され、次に進む道が決定される日。淡路島では、山参りをしてだんご転がしをする古くからの風習が、仏教の広がりとともに五七日の供養と結びつき、現在まで大切に受け継がれているのです」と岡崎さん。

 本堂の裏に回ると、あれ? 千体地蔵堂の賽銭箱に猫が。

 たしかにここも涼しそう。
 気温はぐんぐん上がっている。声をかけると、

 大きなあくびを一つして、再び夢の世界へ。読経の声が子守唄だ。

 よく見ると、全淡英霊塔と書かれた供養塔にも猫がいる。
 賽銭箱は、猫たちの居場所になっているよう。

 境内には、他にも三重塔や、国の重要文化財指定の梵鐘が吊るされている鐘楼などがある。

 さらに、イザナギ、イザナミの二柱の神を祀る二柱神社もあり、毎年春と秋に、神職、僧侶合同で二柱大祭が行われるという。

 神話にゆかりある地だけに、境内から少し下った山の斜面には、イザナギ、イザナミの御子である天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩戸隠れをした場所と伝わる岩戸神社もある。御神体の巨石からは、厳かな空気が放たれていた。

 再び本堂へ戻ると、狛犬、ならぬ狛猪を発見。

 寺の縁起によれば、狩人が放った矢が大猪に当たり、その猪を追ってこの山に来たところ、千手千眼観世音菩薩が現出し、寺が開基されたことにちなんで作られたという。

 最後に本堂でお参りをした。

 日差しはすでに夕方の気配。見上げると、赤とんぼが飛んでいた。さあ、帰ろう。

 ゆっくり階段を下りていると、舞台で寝ていた黒猫が後を追ってきた。

 こちらの歩調に合わせ、ときに立ち止まりながら、尻尾をピンと立てて一緒に階段を下りてくれる。

 納経所の前では、やはりさっき別れた猫たちが出迎えてくれた。

 朝一番にベンチで伸びていた猫も、少し涼しくなったせいか、ようやく起き上がり、

行動開始。

 今ごろ? と思いつつ、後ろ髪を引かれ立ち止まっていると、

 マズイ。目が合った。これはよくあるパターンだろうか?
 予想通り、その後はぐいぐい寄ってきて、

カメラが追いきれずにフレームアウトの繰り返し。

 みんなありがとう。
 土地に伝わる風習に触れ、猫に癒された一日だった。

先山千光寺
〒656-0017 
兵庫県洲本市上内膳2132
0799-22-0281

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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