「大都会の鎮守の森」代々木八幡宮│ゆかし日本、猫めぐり#42

連載|2024.5.10
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

 鳥居をくぐり、境内を歩き始めた瞬間、鶏の鳴き声が聞こえてきた。まさか! ここは東京都渋谷区代々木。目の前の山手通りには、車がひっきりなしに行き交っている。

 半信半疑で奥へ進むと、再び威勢の良い鶏の声がした。頭上からは、ピースピースと鳴く澄んだ鳥の声も聞こえている。

 都会の雑然とした街並みの中、まるでエアポケットのように深い木立に囲まれた代々木八幡宮。

 鎌倉時代の創建から、800年以上にわたって代々木の地を護ってきた鎮守の森は、周囲の喧騒が嘘のように、穏やかで清浄な空気に包まれていた。

 実は、この神社にお参りをするのははじめてではない。以前この近くに友人が住んでいて、その家を訪ねる際、ふと思い立って立ち寄ったことがあった。
 もっとも、そのときは夕方で、境内のご神木の近くにある広場のようなスペースには数匹の猫がいて、近隣の住民らしき幾人かの女性たちが、それぞれにご飯をあげているところだった。一日が終わりに向かう安堵のひとときを、猫と人、人と人、それぞれがほど良い距離感を保ちながら、打ち解けた雰囲気で過ごしている。その姿がずっと心に残っていた。

 今回は朝の参拝。はたして猫はいるだろうか。期待を胸に歩を進めた。だが……。

 いない……。以前見かけた夕暮れどきの、あの平和な光景は幻だったのだろうか。
 ともあれ、気を取り直し本殿へ。

 まずは、再度お参りができたことに感謝を捧げた。

 この社の主祭神は八幡神、つまり応神天皇。建暦2年(1212)に宗祐(そうゆう)なる人物が、夢で八幡大神のお告げを聞き、代々木の地(現在の元代々木町)に小さな祠を建てて鶴岡八幡宮の分霊を祀ったことに始まるという。宗祐は、もともと鎌倉幕府の第2代将軍源頼家の側近、近藤三郎是茂(これもち)の家来で、頼家が暗殺された後に出家し、この代々木の地で隠遁生活を送りつつ、亡き主君たちの菩提を弔っていたのである。
 その後江戸時代に、神社は現在の地に遷座。明治時代には近隣の社を合祀して、天照大神(あまてらすおおみかみ)と白山媛神(しらやまひめのかみ)も祀られるようになった。

 改めて境内を見回す。だが、猫はいない。代わりにこんな絵馬を発見。

 よく見ると、狛犬も愛らしい。

 さらに本殿の横には、やはり明治時代に合祀された天神社、稲荷社や、昭和20年(1945)の東京大空襲の際に焼け出され、氏子たちがこの神社に運び込んだという出世稲荷大明神も鎮座する。

 小さな社の前に置いてある、姿や表情がさまざまに異なる狐の像を見ていたら、だんだん猫に見えてきた。

 やっぱり猫に会いたい!
 こうなったら、動かずに待つ。再び一の鳥居まで戻り、近くのベンチに座って気配を消し、周囲の空気と同化してみた。すると……。

 出た!!
 しかも近寄ってくる!

 ……だが、ご飯を持っていないとわかるや、進路を変えて通過。つれない……。

 ほどなく、サビ猫も登場。

 ただ歩く、それだけで猫の周りには人の輪ができ、会話が生まれる。まるで人と人を繋ぐ潤滑油のよう。

 さらに、違う猫も発見。

 だが、やはりチラ見しただけで去った。そんなに急いでどこへ?

 しばらく後を追ってみた。

 参道は、近隣の住民にとってごく当たり前に猫とすれ違う場所のよう。

 もっとも、この神社にはさまざまな人が参拝に訪れる。犬の散歩やランニングの途中で立ち寄る人、買い物袋を提げた人など、近隣の住民らしき人もいれば、スーツ姿のサラリーマンや外国人観光客のグループもいる。なかには、ベンチに座って本を読み耽る若い女性や、缶コーヒーを飲みながら考えごとをしているような年配の男性も。猫も犬も、日本人も外国人も。神域でありながら、すべてを分け隔てなく受け入れるおおらかさが感じられる。
 とはいえ「分け隔てなく」の姿勢を貫くことは、ときに厄介な問題を抱えることもあるだろう。
「現在多様性という言葉をよく耳にしますが、もともと神道は、渡来の仏教を新しい神として受け入れた歴史があるように、古くから多様なものを受け入れ、共生してきました。ですから、そのことを大切にしたいんです」。宮司の平岩小枝(こずえ)さんは言う。

 さて、猫である。

 真剣な面持ちに、何か大事な用でも? と、さらに後を追ってみると……

いきなりストンと座り、鼻をスピスピ。それから、ニャ、と短く鳴いて、再び歩き始めた。今のは何? と思いつつ、このわからなさが猫なんだよなぁと、妙に納得。

 猫は境内を逸れ、隣接する福泉寺へ通じる小道へ向かった。

 福泉寺は、江戸時代まで別当寺として代々木八幡宮を管理していた寺。小道の脇には、庚申塔(こうしんとう)と呼ばれる石碑や石仏が並んでいる。

 もっとも、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が刻まれた金剛像の庚申塔も、猫にとっては水分補給の場所のよう。

 乾いた喉を潤すと、満足したように去っていった。

 もう猫はいないだろう。そう思いつつ、さらに境内を巡ってみると、今度は竪穴住居を発見。

 案内板によれば、昭和25年(1950)の発掘調査で、この神社の境内から縄文時代の遺物と住居跡が発見され、その保存のために復元されたものという。今から4500年ほど前は、渋谷界隈の低い土地は海の底にあり、現在神社がある標高約32mの台地に人が住み、栄えていた、ということらしい。

 猫を待ちながらの境内巡りは、さりげない自然の風景に心癒やされた時間でもあった。

 最初に見かけた猫とも再会。

 しばらくつかず離れず、一緒に過ごした。

 猫と自然とおおらかな空気。気がつけば、慣れない人混みで疲れていた心と身体が、すっかり元気になっていた。



代々木八幡宮
〒151-0053
東京都渋谷区代々木5丁目1番1号
電話・FAX 03-3466-2012
https://www.yoyogihachimangu.or.jp/

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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