「島を御神体とする神社の猫」鹿島神社│ゆかし日本、猫めぐり#58

連載|2025.1.31
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

 和歌山県中部に位置するみなべ町。穏やかな海を望みながら国道42号線、別名熊野街道を南へ進むと、突如ぽっかり浮かぶ2つの小島が見えた。

 鹿島、と呼ばれるこの無人の島は、古来、神が鎮まると崇められてきた地。対岸にある国道沿いの鹿島神社は、もとはこの島を遥拝するための場所だったという。

「昔は境内の近くまで砂浜が迫り、立派な松林が続いていたそうです。でも、昭和9年(1934)の室戸台風や、昭和25年(1950)のジェーン台風などで全部折れてしまったと聞いています」。宮司の亀井隆行さんは言う。
 傍には1匹の黒い猫。

「宮司見習い」の幸(こう)ちゃんだ。

 幸ちゃんは2023年の7月に、この神社にやってきた。と言うより、瀕死の状態で発見された。車に轢かれたのか大怪我を負い、本殿のそばでうずくまっていたという。

 その幸ちゃんが、神社で暮らし始めて半年ほど経った頃に、1匹の猫を連れてきた。それが大ちゃんで、現在「宮司見習い2号」として、日々奮闘中という。

「幸福」にちなんだ名前の幸ちゃんと、「大吉」にちなんで命名された大ちゃん。名前を呼ぶだけで、福をもたらしてくれそうな猫たちだ。

 この日は、亀井宮司が途中で外出。幸ちゃんはその状況が受け入れられないのか、社務所の前でしばし呆然。

 今日はこれからどうやって過ごそう……。そんな顔をして座っている。

 一方、大ちゃんは遊びモード全開。ダンボールを相手に、「かかってこい!」とばかりに無駄な(?)挑発を続けている。

 静かな境内は、猫たちのサンクチュアリ。
 見ているこちらも心がほぐれ、のんびりした猫時間に迷い込んでいく。

 これはまずい。気持ちを引き締めて、お参りを!

 この神社の御祭神は、鹿島明神、つまり武甕槌命(たけみかづちのみこと)。『日本書紀』によれば、神代の昔、天照大御神の命を受けて出雲国に天降り、大国主命(おおくにぬしのみこと)と話し合って国譲りの交渉を成就させた神とされている。
 
「江戸時代に、常陸国(現在の茨城県)一之宮の鹿島神宮から、御祭神の武甕槌命の御魂(みたま)を勧請し、鹿島の島内にあるお社にお祀りしたそうです。その御魂を、明治42年(1909)にこの地に勧請してお祀りし、近隣のお社も合祀して鹿島神社と呼ばれるようになったんです」。亀井宮司の説明を思い出す。

 本殿も、合祀にあたって、近隣にある北道(きたどう)王子社(旧三鍋王子社)から移築されたという。

 もっとも、島の存在は古くから広く知られていたのだろう。『万葉集』にも鹿島の名が見られる。

 ──みなべの浦 塩なみちそね鹿島なる 釣する海人(あま)よ 見てかえりこむ──
(みなべの海岸に潮よ満ちるな。鹿島で釣りをする漁師を見て帰りたいから)

 熊野信仰が栄える以前の飛鳥・奈良時代、この紀南地域は、歴代天皇が日本屈指の古湯である白浜温泉へ通うルートになっていたという。海のない大和の地に暮らす人々にとって、限りなく広がる海は新鮮に見えたことだろう。

 とはいえ、鹿島が篤く信仰されてきたのは、ひとえにこの島が、みなべの地を津波から守ってくれたから。地震を鎮めるとされる要石も島内に安置されているという。

「記録に残っているのは江戸時代からですが、それまでも何度となくそういう事例があったのでしょう」

 記録によれば、宝永4年(1707)の大地震の際に、南紀一帯に大津波が襲来。そのとき鹿島の山から鬼火が2つ現れて、押し寄せる高波を東西に導いて分けた。おかげで南部(みなべ)湾周辺の荒波は、たちまち静まったという。拝殿正面の左壁には、その様子を描いたと思われる絵が飾られていた。

 その後も奇跡はなお続く。安政元年(1854)の大地震、昭和21年(1946)の南海大地震の際も、各地で多数の死者や家屋の倒壊が発生するなか、みなべの地は軽い被害で済んだという。
 これこそ島のおかげ、鹿島明神のお力によるものと、人々は手を合わせ、感謝の祈りを捧げてきた。現在8月に行われる花火祭も、もともとは宝永の大地震で津波から守っていただいたことへの感謝を捧げるために、翌年の宝永5年(1708)に鹿島明神に松明と提灯を手向けたことに端を発しているという。古代から続く島信仰の根っこには、神恩感謝の祈りが存在するのだ。

 お参りを終え、幸ちゃんはどうしているだろうと社務所を見ると……、

相変わらず同じ姿勢で固まっている。
 しばらく一緒に過ごしたが、結局ふて寝をすることに決めたよう。

 一方大ちゃんは、パトロールに余念がない。

 もっとも、こちらの視線が気になるのか、ときどき立ち止まっては振り返り、

再び歩いては

パタリと止まる、という繰り返し。

 そのうち素の姿を見せ始めた。
 飛ぶ鳥を追いかけたり、

孤独を楽しんだり。

 猫って、ホントに心のままに行動するんだな。

 地元の人も、時折参拝に訪れる。
「幸ちゃん、今日は留守番か。よう肥えてきたなあ、あんた」と、優しく猫に話しかける人もいれば、

どこから来たかとこちらに笑顔を向け、お祭りのときは、猫たちが法被を着て参拝客を迎えることや、正月は昔ながらの餅つきが境内で盛大に行われること、そして、もうすぐ節分祭で、今日はそのときに行われる火焚大祈禱で焚き上げてもらう、祈願を書いた神木を納めにきたことなど、神社について誇らしそうに話してくれる人もいた。

 気がつけば、大ちゃんも近くに来て、2匹でまったり。

 そばにいるだけで、互いに安心するよう。

 その後、大ちゃんは境内の外へ。近所のパトロールのはじまり、はじまり〜!

 ……が、張り切っていたのは最初だけ。

 途中で外猫と鉢合わせしてからは、1歩も先へ進めなくなった。

 ビビっているのか、目も合わせようとしない。

 やがて……。
 そろり。そろり。まさに抜き足差し足で歩き出した。

 しばらく経って後ろを振り返るも、相手の殺気を感じ、

しばし固まる。

 それからは足取りもおかしくなった。右へふらふら、

左へふらふら。

 相当ビビっている。だが、相手にそれを気づかれまいと必死になっているのが、見ているこちらにも伝わってくる。

 ようやく境内に到着し、幸ちゃんを見つけてゴロン。ああ、怖かった〜。

 大ちゃん、幸ちゃんと一緒で、ホントによかったね。

 あっという間に時間が過ぎ、気がつけば帰路につく時間に。
 その前に挨拶をと、大ちゃんに近づいたその瞬間、大ちゃんもこちらを目指して駆けてきた。そして……、

長い長いお別れのあいさつ。

 最後は「もう絶対帰さない!」とばかりに、全体重を預けてくる。

 うれしさ半分、切なさ半分。楽しい時間をありがとう。
 心に残る猫旅となった。

鹿島神社
〒645-0004
和歌山県日高郡みなべ町埴田20
TEL:0739-72-4573

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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