『酒のほそ道』をはじめとして、四半世紀以上にわたり、酒やつまみ、酒場にまつわる森羅万象を漫画に描き続けてきたラズウェル細木。 そのラズウェル細木に公私ともに親炙し、「酒の穴」という飲酒ユニットとしても活動するパリッコとスズキナオの二人が、ラズウェル細木の人生に分け入る──。 第8回は、ゴールデン街での「酒盗とウイスキー」の夜、そして大衆酒場ブームについて語ります。
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ラズ先生、ゴールデン街になじめず……
スズキナオ(以下、ナオ):イラストレーターとしてご活躍されていたころは、漫画家になるつもりはなかったということでしたよね。
ラズウェル細木(以下、ラズ):うん。そんな気はさらさらなくて、日々、雑誌や単行本のイラストを描きながら、バブリーな時代で景気も良かったから、それで暮らしていけていた。
パリッコ(以下、パリ):じゃあもう、ずっとイラストでやっていこうと。
ラズ:まあ、少なくとも今からどこかに就職しようなんてことは一切考えず、漠然と、このまま暮らしていくんだろうなとは思ってたかな。
ナオ:大学を卒業してすぐにイラストレーター時代が始まったわけですよね。順風満帆というか。
ラズ:そうです。最初は、先に卒業した先輩や、留年してまだ在学してるような漫研の仲間たち10人ぐらいで共同の仕事場を構えて、そこで仕事をしていました。個人で仕事を受ける場合もあれば、大勢で手分けして請け負うこともあったり。あとはたまに、前にお話ししたような似顔絵のバイトなんかもやりつつ。とにかく絵に関する仕事だけで暮らしていけたんですよね。
ナオ:学生時代と、お酒の飲みかたは変わりましたか?
ラズ:まあ、多少は飲み代が増えたかなっていう感じなんですけど、どこでどう飲んでたとかはあんまり思い出せない。というのも、仕事場が高田馬場にあって、それから規模を縮小して、早稲田に事務所を移したんですが、要するに高田馬場から早稲田と、学生の時とあまり変わらない環境だったんですよね。だから、おそらく学生時代に行っていたような店に相変わらず通ってたんだろうなっていう。ただ、少しずつは飲むエリアも広がっていって、新宿とかで飲むことも増えてたと記憶してます。
ナオ:事務所の仕事仲間たちと飲みに行くことが多かったですか?
ラズ:そうですね。あとは大学時代の友達とか、漫研の友達とか。まぁ、慣れ親しんだ人たちと、慣れ親しんだ酒場で飲むようなことが、相変わらず多かった。新宿ではゴールデン街に行く機会もありまして。
パリ:そのころのラズ先生はまだ20代ですよね。ゴールデン街デビューが早いですね。
ラズ:先輩に連れてってもらったんです。そうでないと、どの店に入ったらいいのかもわからないからね。
パリ:今でこそ観光地っぽくもなってますけど。今とは様子も違ったんですか? 時代的には80年代初頭くらいですよね。
ラズ:演劇関係の人とかアートな人たちが出入りして、ギンギンに飲んでるみたいな時代の終わりのほうかなって感じ。なんかね、僕の最初の印象で言うと……やっぱりちょっとこう……なじめないというか、まぁいまだになじめないんですけど(笑)。
パリ:ゴールデン街は、なじめる人となじめない人がいますよね。どっぷり、あそこでしか飲まない人もいれば。
ナオ:言われてみるとラズ先生って、あまりゴールデン街のイメージはないですね。
ラズ:そうなんですよ! 文化人、有名人みたいな人が出入りしてるっていうので憧れはあったんですけど、実際に行ってみると、狭~い、台所くさいところで、「あんまり楽しくないんじゃないか、ここは……」とか思ってしまって。あくまで個人的な意見ですよ(笑)。
ナオ:ははは。台所くさい!
パリ:確かに、カウンターで飲んでる人のうしろを通り抜けるのにも苦労するような店が多いですよね。で、目の前は本当に、小さな台所というか。
ナオ:僕やパリッコさんもそうだと思うんですけど、お店の人と自分との関係が近くて「最近どう?」「いや、こんなことがあってさ~」とか、そういう感じが苦手な人っていますよね。もちろんそういうのが好きだっていうのもわかるんですけど。
ラズ:そう。ママの代わりに常連さんがカウンターのなかに入ったりして(笑)。『酒ほそ』でも描いたことがあるけど、居心地のいい店って人によってまったくいろいろなんで、「いい店あるんだよ」って人を連れていって、その人も同じように気に入ってくれるかってわからないんですよね。そういうことを、ゴールデン街に行くたびに思うというか。連れてってくれた先輩はその店が大好きなんだろうなぁと。まあそんな感じですかね。
パリ:だけど、自分が好きなお店にもいろんなパターンがあるし、それこそたまに他のお客さんの生ビールを注ぐのを手伝わされたりする店もあるけど、それはそれで嬉しかったり(笑)。でも、我々は基本的にはやっぱり、ひとつの店にどっぷり浸かるっていうことがないんでしょうね。
ナオ:ほっておかれて、ぼーっとしているほうが私は好きだったりします。
ラズ:常連がたまっている店と大衆酒場って、対極にあるような気がしますよね。
ナオ:そう考えると、ラズ先生はそのころから大衆酒場のほうが居心地がよかったと。
ラズ:どちらかと言えばそうですねぇ。後に僕にも行きつけの店ができたりもするんですけど、でも当時は、気心の知れた人たちと大衆酒場的なところで飲むっていうスタイルがいちばんしっくりきた。あ、そうそう、ゴールデン街で、思い出に残る大二日酔いをしたことがある。
パリ・ナオ:どんなでしょう!?
酒盗とウイスキーの夜
ラズ:同級生の友達と高田馬場のさかえ通りで飲んでたら、漫研の先輩たちとばったり会って、「これから新宿に飲みに行くから一緒に来い!」って、ゴールデン街にある一軒の店に行ったんですね。そしたら、お通し……でもないんだよなぁ。かつおの酒盗が、ものすごく大きな鉢に入って出てきたんですよ。これをみんなでつつけということなのか? と。
パリ:そんなシチュエーション、聞いたことないです(笑)。
ラズ:ね! 酒盗って、ちょびっと出てくるものじゃないですか。それが鉢にどかっと出てきて。で、僕以外誰も食べないんですよ(笑)。その酒盗の鉢を抱えたまま飲みはじめたんですけど、それが妙に美味しくて、やたらと酒がすすんじゃったんですよね。気がつくと泥酔状態になっていて、一緒に飲んでいた同級生の友達の家に泊めてもらうことになった。で、タクシーをつかまえて乗って、エンジンがかかって、ちょっとタイヤが2、3回転したなぁと思ったら、もう止まるんですよ。「あれ? 動きはじめたばっかりなのに、なんで止まってんの?」って聞いたら、「もう着いたから」と。
ナオ:記憶が飛んでるんですね(笑)。
ラズ:本当に、2、3回転くらいにしか感じなかったんだよねぇ。
パリ:わはは!
ラズ:まぁそれくらい酔っぱらってたというわけなんですけど。で、友達の家に泊めてもらって、起きたらもうめっちゃくちゃな二日酔いで!
パリ:……想像しただけでも辛そうです。酒盗だけをつまみに酒を飲みまくったと……。
ラズ:何を飲んでたのかあんまり思い出せないんですけど、ゴールデン街で漫研の先輩たちが好きな店だから、きっとウイスキーかなんかだと思うんです。ウイスキーと酒盗ってのも、また嫌な組み合わせなんだよ(笑)。
パリ:ははは……。
ラズ:それで、ずっと胃がムカムカ気持ち悪くて、数秒おきくらいに酒盗の味のゲップが出るんですよ。しかもその日、渋谷で似顔絵のバイトがあった。デパートの屋上だったと思うんだけど、ずっと酒盗のゲップをしながら似顔絵を描いていたという、そういう辛い思い出があります(笑)。ところが、そんな経験をしたら酒盗を嫌いになりそうなんだけど、それが、別にならなかった。
ナオ:ははは。幸い酒盗もお酒も嫌いにならなかったと。
パリ:それこそがラズ先生の才能って気もしますよね。
大衆酒場ブームの到来
ラズ:それ以外はどのあたりで飲んでたかな。そのころはあんまり、知らない街には行かなかったですねぇ。
パリ:いろんな街や店で飲んでみようと思いはじめたのはいつごろからだったんですか?
ラズ:新規開拓とか、気になるお店にふらっと入りたくなるっていうのは、30歳を過ぎてからぐらいじゃないかな。
ナオ:今でこそ、老舗の酒場情報とか食べログみたいなサイトもあるけど、「酒場をめぐってます」みたいな人はそもそもあまりいなかったんですかね。
パリ:『古典酒場』(三栄書房)みたいな雑誌が出てきたのもだいぶあとのことだし。
ラズ:そうでしたねぇ。先輩に連れていってもらうとか、そういうふうにお店を知っていくしかなかった。
パリ:太田和彦先生がよくおっしゃられてますけど、バブルのころはそもそも誰も大衆酒場を取り上げようともしてなくて、日常的に飲んでるおじさんたちはいたけど、世間的にはもっとグルメなお店に注目がいってた。だからこそ大衆酒場に価値があるんじゃないかと気づいたと。大衆酒場が注目されだしたのって、ここ20~30年のことなんですよね、きっと。
ラズ:うん。酒場じゃなくて、老舗の鰻屋、寿司屋、蕎麦屋とか、それこそ月刊『太陽』(平凡社)の池波正太郎先生の連載を見て、そこに載ったお店をめぐるみたいなことを僕もやってたんですね。
パリ;それはおひとりで?
ラズ:そうですね。「ここが池波先生が訪れた店か」とかって。もう、追っかけみたいな感じ(笑)。その楽しさは、いま考えると早いうちから味わっていたような気がする。
ナオ:つまり、ジャンルごとのグルメであれば情報があったのに、酒場に関してはみんなそんなに気にしてなかった時代だったと。
ラズ:ところが今はものすごいでしょ。太田さんが紹介したお店なんか、もう聖地と化してますからね。ちょうどうちに太田さんの「この店のこの一品」というのだけを集めた本があって、今日もそれを見返してた。こういう本、昔はなかったよなぁって。だから、大衆酒場文化が盛んになったってのは、やっぱり太田さんの功績、そしてSNSの力が大きいですよね。
パリ:吉田類さんがその敷居をさらに低くし、垣根を取り払って(笑)。もちろん『酒ほそ』に登場した店をめぐるファンの方もたくさんいると聞きますし。
ナオ:そう考えると、2000年くらいからということですかね。自分も後追いで、そういった人たちから学んで知っていったから、それ以前の80~90年代の酒場シーンがどうなっていたかってわからない。
ラズ:むしろここ最近、脚光が当たりすぎなんじゃないかと思うほどですよ。「コの字カウンター」なんて、昔は知る人ぞ知る世界だったけど、今は「コの字ブーム」みたいな感じでしょ。酒場文化的にはおもしろい時代を生きてきてますよね。神楽坂の「伊勢藤」みたいなお店が注目を集めたりね。ちょっとでも大きい声で話すと怒られるという。
パリ:まだこわくて勇気がなくて行けてないです……。
ラズ:僕もなかなか入れなかった。しかも、まんまと「お静かに!」って注意されちゃったりして(笑)。
パリ:(笑)。
ラズ:またその一方で、少しずつチェーン系の居酒屋が増えて、最初はそんなに良い印象はなかったんだけど、それにも慣れてきたって時代でもありました。
パリ:前に「つぼ八」の創業者の石井誠二さんの自伝を読んだことがあって、最初は名前のとおり、たった8坪の個人店だったそうですね。それが怒濤の勢いでチェーン店化していった。そういう時代だったというか。
ラズ:うん。チェーン店がどんどん勢いを増していった。で、最初にチェーン居酒屋に対して特に感じたのは、人がいっぱい入るとうるさいんですよね。声がわんわん響いて。
ナオ:若い学生たちも飲みにきますからね。
パリ:確か『酒ほそ』に、人がいっぱいいてもうるさくない店もあれば、話し声が反響する店もある、みたいな考察をしている回がありましたよね。
ラズ:壁の構造とかね、響く店と響かない店とがあって。初期のチェーン居酒屋は、まだそういう概念もないから、とにかく響いてうるさかったんです(笑)。
パリ:そんな流れと時を同じくして『酒ほそ』が始まったような感じもありますね。
ラズ:そうですね。だから『酒ほそ』に関しては、学生時代に安酒を飲んでた記憶から、だんだんと個性的な店におっかなびっくり入るみたいなところも、ずっと描いてるわけです。
(次回更新は、12月10日です)
ラズウェル細木
1956年、山形県米沢市生まれ。食とジャズをこよなく愛する漫画家。代表作『酒のほそ道』は四半世紀以上続く超長寿作となっている。その他の著書に『パパのココロ』『美味い話にゃ肴あり』『魚心あれば食べ心』『う』など多数。2012年、『酒のほそ道』などにより第16回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。米沢市観光大使。
パリッコ
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より、酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『天国酒場』『つつまし酒』『酒場っ子』『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』など多数。
スズキナオ
1979年、東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『メシ通』などを中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』『関西酒場のろのろ日記』『酒ともやしと横になる私』など、パリッコとの共著に『酒の穴』『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』『“よむ"お酒』がある