シェアハウスでの暮らしが選択肢の一つとして定着した今、住居なしのシェアキッチンも巷に出現している。前回ご紹介した「okatteにしおぎ」のような、店を出したい人たちのスタートアップを意識したキッチンが一般的だが、今回ご紹介する「小杉湯となり」のシェアキッチンは、別の文脈で生まれた。その誕生の理由を探るべく高円寺を訪れた。
銭湯を中心にした 伸びやかな暮らしを目指して
JR中央線・高円寺駅から徒歩5分、にぎやかな商店街の裏路地にそのキッチンはある。場所は名前の通り、銭湯の小杉湯の隣にある鉄骨造でガラス張り、モダンな建物の1階だ。小杉湯は1933(昭和8)年創業の、登録有形文化財に指定された銭湯。1980年生まれの3代目オーナー、平松佑介さんは2017年に家業を株式会社し、2019年に社長に就任。「踊る銭湯プロジェクト」と題したダンスイベントなど、銭湯をフックにさまざまなイベントを仕掛けてきた。風呂なしアパートが今もたくさんあり、夢を抱く若者が多く住む高円寺という土地柄も加わって、小杉湯は若者の利用者も多い。一般的な銭湯は利用者が1日120人ほどと言われているのに対し、小杉湯の利用者は平日が600人、土日は1000人もいる。
そんな銭湯の隣に小杉湯は、12部屋ある風呂なしの木賃アパートを所有していた。老朽化に伴い建て替えようとしたところ、予想より1年も早く全員が退去。そんな折、平松さんはまちづくりに携わる建築家、加藤優一さんと出会う。平松さんが加藤さんに相談した結果、1年間限定で住人が生活しながら銭湯を盛り上げるプロジェクトを開始した。すると、クリエイターたちが集まり、外壁に絵を描くアーティスト、ライブを行うミュージシャンなどが大いにアパートを活用した。高円寺は、クリエイターが多く住む町でもある。
住人たちが、いつでも銭湯に入れる暮らしの伸びやかさを、もっと多くの人たちに知ってもらいたい、と2018年に作ったのが、「銭湯ぐらし」という株式会社だった。
コロナ禍で会員制になったことで 仲間意識が生まれるように
銭湯ぐらしが、小杉湯となりで構想したのは「銭湯のある暮らしを体験できる場所」で、1階は定食などの料理を出しカフェとしても利用できる食堂、2階は畳敷きのコワーキングスペース、3階は1カ月以上の滞在を前提にしたスペースとして計画した。アパートは2019年に取り壊し、新しく建てた鉄骨造の建物で開業したのは2020年3月半ばで、日本がコロナ禍に巻き込まれた時期に重なる。4月7日には1回目の緊急事態宣言が発令され、飲食店は休業を余儀なくされた。
当初、食堂は弁当販売でしのいでいたが、先が読めない状況になり、6月に会員制のシェアスペースに営業を切り替えた。2階はコワーキングスペースとして継続したが、1階はシェアキッチン、3階は予約制の個室となったのだ。入会金は1万1000円、月々の会費は2万2000円で、日曜定休。銭湯入浴券つきの体験セットは1日限定の2000円。目指しているのは、銭湯のような使い方だ。PR担当の樋口久菜さんは「銭湯は、桶を自分で持ってきて使う、混んでいる浴槽は人が出てから入る、といったちょっとした気遣いをしながら利用します。小杉湯となりも、混み具合を見ながら1階で仕事するか2階でするかを決める、などその場でお互いのことを思い合って使ってください、と会員さんにお願いをしています」と話す。
会員制にしたことで、そうした気遣いだけでなく仲間意識も育ち、会員限定のイベントが自然発生。「得意な人がいるので、みんなで魚をさばく会をやりましょう、キムチ作りをしましょう、バーを開きましょう、近くの公園で縄跳びをやりましょう、などさまざまなイベントが生まれました」と樋口さん。さらに、誰でも参加できる蚤の市などのイベントも行う。
調理家電やドリンクも充実。 会話が生まれるオープンキッチン
このように自然な交流が生まれるのは、利用者と運営者の境界線を作らないというコンセプトがキッチンの設計にも込められているからだ。
木材の温かみが感じられるL字型のオープンキッチンでは、ガラスの引き戸の入り口から入ってすぐ、カウンター下に玄関側から開けられる冷蔵庫があり、ドリンク類を取り出せる。カウンターの上にはビールサーバーがあり、どちら側からも操作できる。カウンターの高さ自体、通常より低めに設定。腰かけられるダイニング側の幅は、85センチもある。両側から目線が合うので、会話が生まれやすくなっている。
キッチンはIHの3口コンロで、中で2~3人が動けるスペースもある。低温調理器やプロ向けのミキサーなど、料理好きにとって垂涎の、しかし家庭ではなかなか購入しづらい家電も揃え、いろいろな料理に挑戦できるようになっている。
高円寺は1人暮らしが多い町である。学生などの若者から、中高年まで幅広い年代の人たちが1人で暮らす。私が取材をした際も、最近転居してきたというシニアの女性が来ていた。1人だと食べきれない量の食材がある、1人だと作る気が起きない、そんなときでも小杉湯となりに来れば仲間に会え、一緒に料理したり一緒に食べるチャンスがある。樋口さんは「私も1人暮らしです。料理を一気にたくさん作っちゃうときがあって、ここに持ってきたこともあります。自分が作ったものを『おいしい』と言ってもらえると、すごくうれしいんですよ」と話す。
特別ではない、日々のごはんをシェアすることで 人が集まり、商店街に活気が生まれる
今まで取材したすべてのシェアキッチンに通じるが、会員同士で食材を持ち寄ったり、料理のお裾分けすることも多いそうだ。シェアキッチンは、少し前までは珍しくなかった食事を気軽にシェアする習慣も再生させている。
小杉湯となりでは、土日の午前中に一般の人が入れるカフェの営業を2022年3月から開始した。土曜日の午前中は、小杉湯となりの店長でもある白井杏実さんが店主を務める「となり喫茶」。モーニングセットで使うコーヒー豆やパンは、商店街の中で人気の店のモノを使用。銭湯にちなんで、コーヒー牛乳やフルーツ牛乳も出す。
日曜日は不定期で午前中に1階だけが営業し、「おいしい朝ごはん cometo.」という店を開く。店主は、元飲食店店長でデザイナー、小杉湯スタッフでもある松田大成さん。出身地の三重県熊野市の生節をのせたご飯などの和定食が人気である。松田さんを中心にしたメンバーが、ご飯と味噌汁の昼食や夕食を出すときもある。
高円寺は大都会にある町としては駅前商店街の規模が大きいこともあり、比較的コミュニティがあると言われている。1957年に始まった、100万人規模の集客力がある夏の阿波おどりは昨年、コロナ禍を経て4年ぶりに制限なしの完全開催になったこともあり、一体感にあふれ、大盛況だった。それでもやはり、高円寺にはただ客として店を利用するだけ、通り過ぎるだけ、住んでいるだけという人もたくさんいるはずだ。そうした人たちが町とつながるフックとして、シェアキッチンを持つ小杉湯となりのポテンシャルは高い。