令和の台所改善運動―キッチン立ち話

第7回 「ボーダレスハウス」

カルチャー|2024.1.12
文・撮影= 阿古真理 編集=宮崎謙士(みるきくよむ) 

都心のワンルームマンションのキッチンの多くは、一口コンロに小さなシンクがつくだけで、調理台がついていない。こんなキッチンでは毎日の料理もままならないと、ワンルームマンションではなく、シェアハウスを選ぶシングルたちが増えているという。そんな最近のシェアハウスの住人たちのキッチン事情を探るべく、ボーダレスハウスが運営する東京・田端のシェアハウスを訪れた。

ワンルームマンションのキッチンでは、 料理をする気が起きない問題

 ワンルームマンションが誕生したのは、1977年。一人暮らし向けの部屋はすっかり当たり前になったが、キッチンが形ばかりしかない部屋が非常に多い。コンロは一口の場合が多いし、縦置きの二口コンロもあるが、二口同時に使うと、奥のコンロは炒めたりかき回したりする動作が難しい。調理台がゼロでコンロとシンクのみ、というイチから調理することをまったく想定していなさそうなキッチンすら珍しくない。さらに、キッチンが入り口近くの水回りと向かい合わせに置かれ、収納スペースを拡充しづらい間取りも多い。作業中は待ったなしで、たくさんのモノを出し入れするのに、調理に不可欠なキッチンツールや鍋、ザル類、調味料は、どこへ置けばいいのか。冷蔵庫も、ホテルに設置されているようなごく小さなサイズしか入らない場合がある。
 「そんなキッチンではとても料理する気が起きない」と、シェアハウスを選んで住むシングルが最近は増えている。その一人、世界の台所探検家の岡根谷実里さんが、昨年の春まで住んでいたのが、田端にあるボーダレスハウスのシェアハウスだった。岡根谷さんの主な仕事は、世界各地の個人宅を訪ねて滞在し、一緒に料理をさせてもらうことを通してその地域の社会を知り、伝えることで、『世界の食卓から社会が見える』(大和書房、2023年)などの著書がある。

ボーダレスハウスの細木拓哉さん(左)。島根県のご出身。カナダへの留学を機に、さまざまな国の人が自由に暮らせる社会に関心を持つように。世界各地の台所を訪れて一緒に料理し、料理から見えてくる社会や文化的背景を探究する岡根谷実里さん(右)。

日本人と外国人が共に暮らす ボーダレスハウスのシェアハウス

 ボーダレスハウスは、2008年に設立された多文化共生社会を目指す会社で、マネージャーの細木拓哉さんは、「設立のきっかけは、海外の方が日本で暮らすうえで“外国人“という理由で部屋が借りられない問題を解決するため」と説明する。「日本に住んでいる海外の方は、日本人とつながるきっかけが少ない。一方、日本人にも留学するのは難しいけれど、外国人と知り合って海外の文化を知りたいと思っている人たちがいる。その両者をマッチングし、お互いの文化や価値観を深く理解し合える人間関係を作る場所としてシェアハウス事業が始まりました」。
 現在、ボーダレスハウスが運営するシェアハウスは、東京・京都・大阪・神戸とソウル・台北で合計77軒、1099部屋ある。当初は空き家をリノベーションしてきたが、2018年頃からシェアハウスとして新築することも始め、すでに8軒ほど建てている。
 より充実した交流を持てるよう、入居者は18~39歳に限定し、各ハウスに男女、日本人と外国人がそれぞれ半数ずつになるよう調整している。申し込む際には面接を行い、その人の目的に合ったハウスをすすめる。契約金は礼金が3万円、保証金が2万円で、別のハウスに住みたい場合は、条件が合えば手数料1万5000円で移動できる。賃料はハウスによって違うが、決して安いわけではない。

ボーダレスハウスが運営する田端のシェアハウスの居室。10平方メートル強の広さのシンプルなつくりだが、共用部が充実しているため不便さを感じさせない。

食事を通した住人同士のつながりが 都市生活者のセーフティネットに

 『シェアハウス図鑑』(篠原聡子+日本女子大学篠原聡子研究室編著、彰国社、2017年)によれば、日本でシェアハウスが増えてきたのは2000年代に入ってから。旧来の寮や下宿の人間関係のわずらわしさを避け、昭和後半の一人暮らしはワンルームが人気になったが、平成に入って大震災やテロなどの社会を揺るがす事件・災害が頻発し、セーフティネットとして人とのつながりを求める人が増え始めた。加えて、最初に書いたような設備の貧弱さを避けたい人も多くなった。
 ワンルームで形ばかりのキッチンが多いのは、一人暮らしをするのは若い頃の数年間で、彼らは料理などしないという考えが提供側にあったからだ。しかし、実際には料理したい人もいるし、一人暮らしの年代や性別も多様になり、ライフスタイルとしてシングルを選ぶ人も珍しくなくなった。そこで浮上したのが、LDKや水回りを共有し、住人同士が交流できるシェアハウスである。
 注目されたきっかけは、シェアハウス専門の不動産サービス「ひつじ不動産」が監修した『東京シェア生活』(アスペクト)が2010年に刊行されたことだ。同書で紹介される事例でも、シェアハウスで広いキッチンが使えることから、料理をするようになった人たちが出てくる。この本によると、シェアハウスがすっかり定着した近年は、ボーダレスハウスのように管理会社が運営するシェアハウスが一般的になった。
 日本には社会問題になるほど空き家が多く、リノベーション事業が発達してきたこともあり、2017年には国土交通省がウェブサイトで『シェアハウスガイドブック』を発行するほどになった。ボーダレスハウスでも、初期は割安の住まいを求める人が問い合わせてくることがあったが、その頃になるとシェアハウスも増えて多様化し、目的を理解した人が応募するように落ち着いてきたという。

世界の台所探検家、岡根谷さんが住んでいた シェアハウスとキッチン事情

 岡根谷さんが住んでいた田端のボーダレスハウスは、もともと企業の社員寮だった建物を、現在のオーナーが買い取りシェアハウスにした。しかし、空室が残りがちだったことから、ボーダレスハウスに運営を委託した。オーナーがリノベした際につけたリビングのスクリーンは残して映画などを楽しめるようにするなど手を入れ、開業したのが2020年3月末。コロナ禍の発生で全16室のうち14室がキャンセルされる事態になったが、しばらくすると新しい人が入居し始め、その後は満室になった。留学生が多い語学学校へのアクセスがよいことも人気の理由だ。リビングダイニングの窓側にはリモートワークに対応し、長いデスクをつけた。

約35畳の広々とした共用ラウンジ。リビング側からダイニングを眺める。フリーデスクで勉強や読書などの個人利用はもちろん、食事会やプロジェクターで映画鑑賞をするなど、住人同士の交流スペースとしても活用されている。

 キッチンはシステムキッチンが二つつながった壁付きで、奥行き600ミリ、幅4060ミリ、高さ850ミリで、シンクと三口コンロが二つずつある。向かい側にIKEAで購入した高さ900ミリのアイランドの調理台兼カウンターを設置。ここで作業をする人や、立って飲食する人が2人以上いると、自然に会話が生じる。「身長が低い私には高めですが、パンをこねるのにちょうどいいんですよ。台所探検をした先で教わった料理を試作し置いておくと、誰かが食べてくれるので助かっています」と岡根谷さん。

壁付けしたI型のシステムキッチンの向かい側にIKEAのカウンターを置き、作業台として活用。調理中に、住人同士の思わぬ交流が生まれることもあるそう。

 岡根谷さんは、ここでもイタリア人からパスタ料理を教わったり、ベジタリアンのドイツ人に動物性食品を使わない味噌汁を教えたり、といった交流を楽しんだ。「特にトピックがなくても会話が生まれるのは便利」と話す。岡根谷さんがシェアハウス暮らしを選んだのは、実家から独立したいがキッチンが狭いと困る、という事情に加え、コロナ禍に入って在宅時間が長くなり、家族としか接しない生活が窮屈なってきたこともある。同じようにコロナ禍で、他人とのちょっとしたつながりを切実に求めるようになった人は多い。
 16人も住んでいたらキッチンが足りなくならないのか、と思ったが、生活時間にズレがあることや、お互いに行動パターンを察知し自然に調整し合うので、キッチンが混み過ぎて料理しづらいことはないそうだ。また、管理側からは、キッチンが生活ぶりを知るバロメーターにもなっている。

キッチンとダイニングの間に並ぶボックスには、個人用の調味料などが収納されている。

キッチンを見れば、暮らしぶりがわかる ボーダレスハウスのシェアハウス管理

システムキッチンを二つつなげているのでシンクも2箇所。上部の吊戸棚には、共用の食器やグラスなどを収納している。

 田端のシェアハウスでは、個人の調味料はダイニングに置いた棚で管理し、冷蔵庫内の食品は各自のトレイで区別する。共用の調理道具・家電はキッチンの中に収納している。
 細木さんは、月に1回ぐらいの頻度で都内の各ハウスを回る。「キッチンが使っていないキレイさだと、あまり料理していないことがわかるので、入居者に連絡して様子を聞いたりします。冷蔵庫の中も見ます。賞味期限切れのモノが多いとキッチンをあまり使っていないわけですが、それは逆にチャンスで、『冷蔵庫の大掃除大会をします』と皆を集めれば、そこでコミュニケーションが生まれますから」と話す。個別の面接も年1回は行い、入居者たちが楽しく暮らせているかどうか常に気を配っている。
 岡根谷さんはシェアハウスの入居者たちと、自国の料理を持ち寄る、餃子をみんなで作る、タコ焼きパーティをするなど、料理のシェアを楽しんだこともあるそうで、「食はみんながつながるきっかけになる。食べられる、となるとみんな来てくれるんです」と楽しそうに話してくれた。
 シェアハウスが広がってきた近年は、住人以外も使えるキッチンが登場している。次はそんな街の中にあるシェアキッチンをご紹介する。

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