魔術師列伝

カルチャー|2021.11.19
澤井繫男

第5回 ベルナルディーノ・テレジオ
(1509-88年)(2)――パドヴァ学派――

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 そもそもアヴェロエス主義の本意は、第1回の(1)でも言及したように、カトリック神学の形式にあったのではない。根本問題として、「理性と信仰」、「個別霊魂と世界霊魂」といった二重真理説にあり、この説を単に神学的側面からのみみて異端として片づけるべきではない。パドヴァ学派のひとたちは神学を中心とみる、パリに残ったアヴェロエス主義者とちがって、哲学と神学を区別し、各々、対称の位置に置いた。これは最終的に、「理性に基づく哲学的科学思想」と「信仰に基づく神学的思想」とに分岐した。即ち、神学から離れた自然探究を生んだことになる。

アヴェロエス主義は異端的迫害の下、盛期中世では翳りをみせがちだったが、片や、新時代の哲学に清新な息吹を与え、ルネサンス文化に広範にわたって貢献した。とりわけ、15世紀後半から16世紀のパドヴァ学派が逸材を輩出している。この時期の哲学者に第1回の(2)で取り上げたピエトロ・ポンポナッツィ(1462-1525年)がいるが、彼はアヴェロエス主義から脱しようとして、「原典第一主義」のアフロディシアスのアレクサンドロス(2世紀末から3世紀初頭にかけて活躍したローマ帝国の哲学者。古代で最も著名なアリストテレス註解者で「註解者」との異名を持つ。アリストテレスの教説を純粋な形で取りもどそうと尽力した。アテナイに赴き「逍遥学派」〈ペリパトス学派ともいい、アリストテレス学派の初期の段階〉の学頭ともなった。自著もたくさんある)の註解精神に影響を受けている。その他に、アゴスティーノ・ニーフォ(1469?-1539年)、ジャコモ・ザバレッラ(1533-89年)、チェーザレ・クレモニーニ(1550-1631年)がいた。

アフロディシアスのアレクサンドロス『運命について』
ジャコモ・ザバレッラ
ピエトロ・ポンポナッツィ

ポンポナッツィの動きでもよくわかるように、彼を中軸としてアヴェロエス主義者がアレクサンドロス主義者の発展に寄与することとなってゆく。ポンポナッツィは、それゆえ、過去の「太鼓叩き」ではなく、新思想の「水先案内人」とみなされよう。やがてアヴェロエス主義は、アリストテレスの自然学の崩壊とともに葬り去られることになる。

テレジオがパドヴァ大学で学んでいた時期はおそらく、アレクサンドロス主義へと移行する時期と重なっており、彼が従来のアヴェロエス主義下のアリストテレス哲学解釈に不快を覚えたのはしごく当然だったに違いない。

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 ここで、テレジオ解説は次回に譲り、蛇足になるかもしれないが、近代自然科学の成立に貢献した、相対立するプラトン哲学とアリストテレス哲学の攻防を記して第5回の終わりとしたい。
 まず、本流はプラトン哲学的伝統にある。それならば当然、ルネサンスのアリストテレス哲学は傍流で、近代科学成立にはほとんど役に立たなかったことになるが、ここは説明が要るだろう。観念的なプラトン哲学よりも、個物・具体性重視のアリストテレス哲学のほうが、近代自然科学の素になったのではないか、と。だが、何事も観念のほうが先んずるという規定的な考えがある。例えば、彫刻家は、彫りたいと思う像(形相)が脳裡にできてから、木材(質料)に鑿(のみ)を入れる。数学者も観念のほうが先だという。いくら紙上で計算をしても、「……法則」は生まれない、と。アリストテレスもプラトンの理念的な「四元素(火・空気・水・土)」の理論に補足する形として、「第五元素(第一質料:エーテル)」と「熱・冷・乾・湿」の「四特質」を設けて、具現化した。プラトン的観念が先行して存在しなければ不可能だった。

上述の2本の潮流が1つでは意味がなかったことを、そしてルネサンス期が「世界(自然)と人間の発見」という昂揚の精神に充ちた時代であったことも、銘記されたい。ルネサンス末期(いまの歴史学では中世末期=近世)に興隆した近代科学は双方の哲学がばらばらに孤立して発展したのではなく、新時代の社会生活と、このような時代に生きたひとたちの時代精神の所産なのである。カルダーノ、タルターリア、そしてガリレイ等の実験精神・経験主義の持ち主と、上記の時代の人間生活の必要性から生み出された精神的地盤を基礎に開花したわけだ。新しい時代の徴候(精神)は、旧なる時代にすでに芽を出しており、近代科学の精神は、もうルネサンス期に萌芽をみているのである。それに聖書の『創世記』第1章の26節の「人間が他の生物を支配下に置くことを認めている(大意)」という記述が、自然界を管理下に置いてよい、という即物的な思想を生み出すことになった。

これを人間性と社会制度という観点から、作家伊藤整(1905-69年)はこう述べている―「古い社会体制が崩れてゆく時には、それまで人間が、それに打ちあたって破ることができない壁と考えていたところの社会制度とか道徳などが、しだいに実力のない弱いものになっていって、制度よりも人間性が意味あるものに思われてくる」(『文学入門』)。
 引用文中の「人間性」こそが「近代科学」と等値である。
                                
第5回の(2)、〈了〉
次回は12月3日です。

参考文献
ブルーノ・ナルディ, La fine dell’averroismo, in”pens'ee humaniste et ’tradition chre’tienne aux XVeme et XVIeme sie’cle"
                   
清水純一「パドヴァ学派論攷―アヴェロイズムの発展とポムポナッツィ」イタリア学会誌6巻、1957年。後年、清水純一著 近藤恒一編『ルネサンス 人と思想』平凡社,1994年

澤井繁男
1954年、札幌市に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。
作家・イタリアルネサンス文学・文化研究家。東京外国語大学論文博士(学術)。
元関西大学文学部教授。著者に、『ルネサンス文化と科学』(山川出版社)、『魔術と錬金術』(ちくま学芸文庫)、『自然魔術師たちの饗宴』(春秋社)、『カンパネッラの企て』(新曜社)など多数。訳書にカンパネッラ『哲学詩集』(水声社、日本翻訳家協会・特別賞受賞)などがある。

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