第5回 ラズウェル細木の酔いどれ自伝
    ──夕暮れて酒とマンガと人生と

カルチャー|2021.10.10
ラズウェル細木×パリッコ×スズキナオ

『酒のほそ道』をはじめとして、四半世紀以上にわたり、酒やつまみ、酒場にまつわる森羅万象を漫画に描き続けてきたラズウェル細木。 そのラズウェル細木に公私ともに親炙し、「酒の穴」という飲酒ユニットとしても活動するパリッコとスズキナオの二人が、ラズウェル細木の人生に分け入る──。 第5回は、漫研の夏合宿、そして学生街(高田馬場)での酒の思い出など。

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夏合宿の思い出

ラズウェル細木(以下、ラズ):あと、もうひとつ大きいのが『週刊漫画サンデー』(実業之日本社)という雑誌がありましてね、数年前に休刊しちゃったけど、漫画雑誌の草分け的存在でした。僕らの漫研時代、実業之日本社にOBの先輩がいた関係で、その編集部にバイトに行くっていうのが伝統的にあったんですよね。

スズキナオ(以下、ナオ):プロの世界とつながってるんだ。

ラズ:そこで実際に何をするかというと、だいたいは原稿取りと写植貼りですね。僕も行っていました。いろんな先生のところに原稿取りに行かされて、「何時に誰それ先生のところに行ってね」と言われて行くと、たいていはまだ作業中だったりする。そうすると、仕事場の片隅の椅子に座って待つわけです。

パリッコ(以下、パリ):『まんが道』なんかでよく見たシーン!

ラズ:けっこう有名な人のところにも行きました。先日、富永一朗さんがお亡くなりになったけど、一緒に「お笑い漫画道場」に出ていた鈴木義司さんとかね。鈴木義司さんのところに行くと、すごく優しくて、原稿ができるのを待ってる間、作業しながら「あなたはどこの出身なの?」とか話しかけてくれて。あとは、原作者の牛次郎さんのところにも行きましたね。小島功先生のところにも1回行ったことがあって、その時、小島先生とは会ってないんですけど、原稿を取りにいったら、女性が出てきて原稿を渡してくれたんです。でね、その女性が小島先生が描く美人と瓜ふたつなんですよ! いまだに信じられないっていうか、小島先生が描く人と同じ人が存在してるんだという……。

パリ:一体誰だったんだろう……。

ラズ:編集部で、「女性が出てきましたけど、あれ、娘さんですか?」って聞いたら、ニヤニヤって笑うだけで、教えてくれなかった(笑)。そうやって有名な先生の仕事場に行くのも刺激になりましたね。あと、写植貼りでは、生原稿に写植を貼りこむので、先生の描いた生原稿に触れられるっていう。非常に漫画と結びついたバイトで、「やっぱり東京に来て、早稲田の漫研に入って大正解だったなあ」って思いましたね。

ナオ:そうですよね。まったく関係ないバイトをしているより吸収できるものが多そうです。ちなみに、早稲田の漫研って、どれくらいの歴史があるんですか?

ラズ:ええとねえ、園山俊二さんとか、東海林さだおさんが草分けですから、1954年くらいに始まってるんじゃないかな?

ナオ:じゃあ、ラズ先生のころですでに数十年の歴史があったんですね。

ラズ:20年くらいですかねぇ。

ナオ:だからこそ、OBの方とかいろいろなつながりもあったと。

ラズ:あと、活動としては夏合宿というのがありまして。

パリ:夏合宿! 楽しそう。

ナオ:お聞きしていると全部楽しそうですね!(笑)いいなあ、漫研。

ラズ:合宿の主目的は、秋に出す同人誌のためにみんなが描いた漫画を批評しあうっていうものなんだけど、独特のスタイルがありまして、大広間みたいなところに布団を敷きつめて、そこに寝そべりながら合評会をするという。

パリ:めちゃくちゃ楽しそう!!!(笑)

ラズ:でも、ちゃんと読んで、ちゃんと批評しあう真剣な会なんですよ。

ナオ:だけどみんな寝そべってるんですよね。

パリ:椅子に座ってやればいいのに(笑)。

ラズ:だから、宿の親父さんから見ると非常に不真面目なことをやってるように見えたらしくてね。毎年場所を替えてやってたんだけど、ある時、宿の人に「こんなだらしない格好で、本当にクラブの成果は上がるの、君たち!」みたいに説教されて。「いや、毎年これで成果上がってるんだけど……」と思ったんだけど。

ナオ:パッと見ると「なんともけしからん!」みたいな。

ラズ:それ以外の時間は、ハイキングとか、ソフトボールとかしてるんですよね。それで、夜は宴会。長い大学の夏休みのいちばん最後に合宿があって、たいてい長野県とかそのへんでやるんです。長野県の9月って、ちょ―どいい季節なんですよね。

ナオ:天国じゃないですか、もう。

パリ:それは説教のひとつもしたくなりますよ(笑)。

ラズ:確かになあ(笑)。こいつら一体なんなんだと。

パリ:僕も大学時代、音楽サークルに入ってて、合宿に行ったんですけど、合宿大歓迎みたいな宿ってけっこうあるんですよね。

ラズ:あるんですよ。勧誘にもくるし。

パリ:僕が思い出深いのは、夜はもちろん連日飲み会なんですけど、毎日めちゃめちゃみんな飲みまくって、3日目の朝になぜか僕だけは元気で、朝から近くの河原に行って遊んでたら、かわいいアマガエルをつかまえて、ひとまず大五郎のでっかい空きのペットボトルに入れて、先輩たちに見せてあげようと部屋に持っていったんです。

ナオ:やってることが小学生だ。

パリ:で、「先輩、アマガエルつかまえましたよ!」って見せたら、みんな屍のようになっていて、「おい、今気持ち悪いのに酒の容器なんか見せんなよ!」って言われた。なんかその瞬間、それまで超かっこいいと思って尊敬してた先輩たちが、少しだけダサく見えて(笑)。

ナオ:パリッコさんが酒で勝った瞬間なんだ。

ラズ:酒のボトルを見たくないぐらいの二日酔いだったんでしょうね。

ナオ:さらにそこにカエルが入ってるんですもん。

パリ:今ならその気持ちがわかる。

高田馬場で初めて触れた「酒場」の世界

ナオ:それだけたくさんのメンバーがいて、同級生はどのくらいいたんですか?

ラズ:20人くらいかな。

ナオ:みんな仲良しでしたか?

ラズ:来なくなる人もいるんだけど、たいがい打ち解けて、一緒に飲みに行ったりしてた。ただ僕の代は、酒をそんなに飲まない人もけっこういて、わりかし先輩と一緒に飲みに行くことのほうが多かったですね。一緒に行きたそうな顔をしていると、酒飲みの先輩が誘ってくれるみたいな。高田馬場で飲むことが多かったですねぇ。

ナオ:そのころは、どんなお店で飲んでいたんですか?

ラズ:当時はね、チェーン店みたいなものはまだなくて、高田馬場の「さかえ通り」っていう飲み屋街に個人経営の居酒屋が軒を連ねていたんです。今はチェーン店ばかりになったけどね。先輩によってそのなかに得意な店があって「じゃあ、今日はここだ」みたいな感じで。今考えると、チェーン店よりは値段も高かったと思うんですよね。でも漫研は上級生になるとお金があるので、大体下級生はおごってもらえる。

パリ:以前、「大学時代は毎晩のように飲んでたけど、誰がお金を出してたんだろう?」ってことも言われてましたよね。

ラズ:そう。漫研の先輩はリッチだったんですけど、学部のほうの同級生と飲みに行くと、みんな貧乏なんですよ。それでも、ちゃんとした店に入って飲んでいたから、なんであんなに金がないのに毎晩酒を飲めていたのかと……。

パリ:そこは謎のままなんですね(笑)。

ラズ:高田馬場はサラリーマンの街でもあるので、サラリーマンと学生が渾然一体となって飲んでるんだけど、お互い仲が悪いんですよね。サラリーマンからすると「まったくこの貧乏学生たちは」という感じで。僕も卒業して高田馬場に行ったら「学生ケシカラン!」と思ったもん。

ナオ:(笑) 駅前でワーッと騒いだりしてますもんね。

ラズ:そうそう。だから、学生とサラリーマンのケンカとか、しょっちゅうやってましたね。でも、あのころの個人経営の店が並んでいた風情はやっぱり良かったなぁ。どのお店にも個性があって。

ナオ:大学生になるまでは、居酒屋に入ってお酒を飲むというようなことはなかったんですよね。

ラズ:そうそう。酒場で飲むっていうのは高田馬場が初めてくらいで。

ナオ:そういう経験も新鮮で楽しかったですか?

ラズ:むちゃくちゃ楽しいですよ。当時の高田馬場の個人経営の店っていうのは、どこも独特の客層とスタイルがあって、酒の飲みかたみたいなものが自然と身についてくるわけですよね。「この店の名物はこれ」とか「ここに来たらこれを頼む」とか、先輩を見ながら覚えていって。

パリ:そのころはどんなお店があったんですか?

ラズ:「ここは焼鳥が得意なお店」とか、けっこういっちょまえに使い分けてたんですよ。アジ刺しなんかでも、おろしたての身に串を刺して生き造りにしてるような店にも行ってたり。学生が食うもんじゃないだろ、これって(笑)。あとは「朝鮮鍋」というメニューが名物の店とか。要するにキムチ鍋ですよね。そんな店が点在していて、いろいろ行きましたねぇ。

パリ:「鳥やす」でしたっけ、今もある、さかえ通りの有名な店。

ラズ:鳥やすがねえ、我々のころは一軒しかなくて、しかもせま~い店でね。最初は先輩に連れてってもらって、みんな大好きになって、しょっちゅう行ってたら、鳥やすがだんだん拡張しだした。隣の店を買ってそこにも出店して、みたいに。今では何店舗もありますよね。当時から焼き鳥は別格に美味しかった。お通しが大根おろしにうずらの卵を落としたもので、あれをちびちびつまんだり、焼鳥にのっけながら飲むみたいなことをして。鳥やすはいまだに人気ですよね。

パリ:めちゃくちゃ安いですしね。だからこそ残ってるんですね。

ラズ:鳥やすが成長していく様もつぶさに見ていた。手羽先とか、ものすごくジューシーに焼けててねぇ。最初はメニューになかったんだけど、途中から「ぼんちり」とかが出てきて、脂がのってるから、学生は大好きで。

パリ:あ~、ぼんちり、今食べたい!

ナオ:頭のなかに美味しそうなぼんちりが浮かんでしまいました。

ラズ:あとは「ほうでん」ですよね。いわゆる精巣。それも途中から登場して、喜んで食ってましたねぇ。鳥やすもいい店だし、やっぱり高田馬場は僕の原点の街。

ナオ:漫画のほうもお酒のほうも、漫研のおかげで一気にパーッと扉が開いていったという。

ラズ:そうそう。だから『酒のほそ道』の初期なんて、学生時代に飲んだ記憶で描いてる部分が多かったですよ。

ナオ:学生時代の酒の記憶で、特に印象的なお話ってありますか?

ラズ:エッセイなんかにもちょろっと書いてたりもするんだけど、なんだか怪しい飲み屋がありましてね。表向きは一応、料亭なんですよ。だけど2階に小さな部屋がいっぱいあって、たま~に見ると男女が向かい合ってたりして(笑)。

ナオ:ちょっとそういう、色っぽいお店なのかな。

ラズ:終電を逃した時、そこに行くと大広間に泊めてくれるんですよね。布団はないんだけど、雑魚寝ができる。「ちょっと終電なくなったんで泊めてもらえますか?」と言うと、「はいはい」って仲居さんが通してくれて、朝までいていいよって。畳敷きの部屋なんで、座布団をかけて寝たり。だいたい2000円くらいで、おつまみまで用意してくれて。

ナオ:すごいですね。それはもう、店なのか宿なのか。

ラズ:それで始発が動きだしたら勝手に帰る。最初は「いいとこだな~」と思ってたんだけど、だんだん少しずつ内情が見えてくると、「怪しいとこだよな……ここ」って。「なんでこんな扉がいっぱいあるんだろう?」と(笑)。だけど、やっぱり高田馬場は学生に優しい街でしたね。学生とサラリーマンは仲が悪いんだけど、お店の人たちはみんな優しかった。

ナオ:帰れなくなった学生を面倒とも思わずに泊めてくれるんですもんね。

ラズ:そうです。いい街なんですよ、本当に。


(次回掲載は、10月25日です)

ラズウェル細木
1956年、山形県米沢市生まれ。食とジャズをこよなく愛する漫画家。代表作『酒のほそ道』は四半世紀以上続く超長寿作となっている。その他の著書に『パパのココロ』『美味い話にゃ肴あり』『魚心あれば食べ心』『う』など多数。2012年、『酒のほそ道』などにより第16回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。米沢市観光大使。


パリッコ
1978年、東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より、酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『天国酒場』『つつまし酒』『酒場っ子』『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』など多数。


スズキナオ
1979年、東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『メシ通』などを中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』『関西酒場のろのろ日記』『酒ともやしと横になる私』など、パリッコとの共著に『酒の穴』『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』『“よむ"お酒』がある

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