『大奥』で描かれた、三代将軍・徳川家光の愛妾「お万の方」の数奇な人生

カルチャー|2023.2.7
文=太陽の地図帖編集部

――『大奥』は有功に始まって有功に終わります。有功は『大奥』の象徴なんです。(P99・よしながふみ特別ロングインタビューより)
と、作者のよしながふみが語る、『大奥』の主人公!?「有功」こと「万里小路有功」にはモデルがいる。三代将軍・家光の愛妾「お万の方」(永光院)だ。

『大奥』では、万里小路有功という名で、苗字から「万」の名を賜ったことになっているが、史実では、五摂家の一つ二条家の支流の冷泉家の一族である六条有純の娘である。

『大奥』第2巻P26より
トップの画像/奥奉公出世双六
万亭応賀/作・国貞改三代豊国/画(国立国会図書館蔵)
大奥に勤める女性の出世を題材とした双六。各マスにさまざまな役職が描かれている。お万の方は、最高位の「大上臈」(老女)であった。

 『柳営婦女伝系』(*1)などの史料では、伊勢神宮の内宮に属する尼寺の慶光院に入り、寛永16(1639)年、将軍家に挨拶を行なう継目御礼のため江戸へ下ったが、登城した際に家光の命令で還俗させられ、大奥勤めとなるとある。同書には、「此人世に勝れたる容色たるに依て、大猷公(家光)江戸に留置れて還俗させられ」とあり、寺を相続したばかりの尼であったが、その美貌のため家光に気に入られて大奥に入ったとされている。しかし、慶光院の文書等を使用した最新の研究によると(*2)、お万が院主になった記録はなく、慶光院とお万の関係や還俗させられたということの再検証が求められている。(P29・竹村誠「尼から将軍の側室へ。「お万」の数奇な人生」より)
(*1) 『徳川諸家系譜』所収。将軍の側室の女性を知る史料の一つだが、信憑性には疑問も残る。
*2 福田千鶴『春日局』(ミネルヴァ書房)

『大奥』では春日局の後を引き継ぎ「大奥総取締」に就任する。大奥総取締は時代小説や時代劇などでもお馴染みだが、架空の役職。実際には「大上臈」と称され、毎月100両以上の給金をもらっていたとされており、その地位の高さがうかがえよう。

『大奥』第4巻P33より

お万の方は、家光に寵愛されたと伝えられるが、子どもはなかった。これについて『柳営婦女伝系』などの史料では、「老中の内意によって懐胎を禁じられていた」とするが、歴史学者の山本博文は「将軍の意思から独立して、老中がそうしたことを大奥に行わせるだけの力があるはずがない」として、その当時の状況から類推し、その記述を批判している*3。
*3 山本博文『徳川将軍家の結婚』(文春新書)

お万の方は、『大奥』にも描かれたように、家光の死後もその遺言で落飾せず、家綱の代も大奥に留まった。そして、「明暦の大火」のあと、家光の正室・孝子(本理院)と共に小石川無量院に立ち退き、正徳元(1711)年、88歳の天寿を全うしたという。

太陽の地図帖『よしながふみ 『大奥』を旅する』
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