魔術師列伝

コラム|2021.7.27
文=澤井繫男(作家・イタリアルネサンス文学・文化研究家)

第1回 
ヨーロッパに対するアラビア人たちの影響(1)

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 610年にムハンマド(マホメット)によって築かれたイスラーム帝国は、軍事力に秀で、北アフリカからさらに北へと進軍してイベリア半島の都市を次々と攻略してサラセン領にしていく(712年トレド陥落、713年セビリア陥落など)。いつの間かイベリア半島を制覇し、ついにピレネー山脈を越えて、フランク王国領に侵攻してくる。そしてとうとう、732年には西フランスのトゥール・ポアティエで戦闘が起こる(ともに都市名。トゥールはアンドル・エ・ロワール県の県庁所在地。ルネサンス文化の中心地。作家バルザックの生地;ポアティエは隣接のヴィエンヌ県の県庁所在地。15世紀に創設された大学ではフランソア・ラブレーも学び、20世紀の代表的思想家ミシェル・フーコーの生地でもある)。

2つの都市や、あるいは都市間がおそらく戦場となったに違いない、大規模な戦闘だったと思われる。アラブ勢を破ったのは、フランク王国・メロヴィング朝の宮宰であったカール・マルテルだった。それはよかったが、イベリア半島がイスラームの下に置かれて、西欧のひとたちに、半島奪回(再征服・レコンキスタ)の意識が芽生える。それが完結するには、なんと1492年のグラナダ陥落まで、長い歳月を要した。しかし、キリスト教側もこの間、指をくわえていたのでなく、11世紀から13世紀(1085-1248年)にかけて、イスラームを主要都市(トレド、セビリア、コルドバなど)から放逐して、彼等を南方に追いやっている。ウマイア朝(661-750年)、アッバース朝(750-1258年)〔後ウマイア朝〈イベリア半島に興ったウマイア朝の後継、756-1031年〉〕とイスラーム文化の華を咲かせた王朝が続くが、後ウマイア朝が滅んで(1031年)からは、アフリカ系統のイスラーム(モーロ人=ベルベル人)に取って代わられる。ポルトガルは12世紀にスペインから独立している。イスラームのなかでキリスト教徒と共存したモリスコは、イスラームからキリスト教への改宗者たちである。スペインが純然たるキリスト教国になるのは15世紀末以降(カスティリア王女イサベル1世とアラゴン王家フェルナンド5世の成婚によって教皇から「カトリック両王」の称号を受けて)、グラナダを陥落させ、イスラームを半島から駆逐した後のことだった。
 さて、なぜイベリア半島にこだわって記してきたかというと、この政治的に複雑な時代のコルドバで、西欧・南欧にたいして思想的に大きな影響力を持った人物である、イブン・ルシュド(ラテン語名:アヴェロエス、1126-98年)が生まれているからである。この人物の本業は医師であった。そのおかげか、自然科学的視座を有していて、こうした目で人間の内面をみつめてもいる。

アヴェロエス

そのため、スーフィー(神秘主義者、後述)を拒絶し、その代表者である、後述の、ガザーリーの哲学批判書『哲学者の矛盾』にたいして、哲学的視座から『矛盾の矛盾』を著わして論難している。アリストテレス哲学の「註解者」としても著名で、その成果が、西欧・南欧に決定的な影響を与えることになる(ラテン・アヴェロエス派)。いまだ、スコラ神学を完成させるトマス・アクィナス(1225-74年)は生まれてさえいない。しがってアヴェロエスの哲学的所産は彼独自なものと言える。
 アヴェロエスは当代の知識人と同じく、「人間の霊魂」について思索をめぐらしている。その結果、人間の霊魂には2種類あるという。
1.肉体とともに死滅する霊魂:さすがに医者らしい発想だが、キリスト教ではこれを認めず、永遠なるものと解しているので異端である。
2.各個人を超えて永久に存在する普遍的霊魂(全世界に共通する唯一の霊魂):能動的理性で、「世界霊魂」と彼は名づけている。
さてこの「世界霊魂」、キリスト教では異端とされる。というのも、キリスト教にあっては死後の霊魂の立ち位置は、各々が救済されることになっており、各自個別のもの扱いだから、唯一霊魂(「世界霊魂」)説は異端視されるわけなのだ。こうした結果、アヴェロエスが行き着くのは、1,2でみてきたように、霊魂には2種類がある、という「霊魂二重説」である。そしてこの分野は、「神学」が言及する分野であろう。
ここでアヴェロエスは、現実の人間の領域に目を向け、「霊魂二重説」のアナロジーとして、理性によって見抜くべき「真理」と向き合うことになる。真理にも2つ(二重性)があるとみて、「信仰による真理」と「理性による真理」の2つを並べて、「霊魂二重説」と「理性二重説」を相似形と把握するにいたる。これは、信仰と理性の調和をのちに訴えるスコラ神学とは相反するものだった。

さらに、霊魂と真理を分けたことで、中世来ヨーロッパの学問体系であった「哲学が神学の下僕」でなくなって、分離することになる(そして哲学は道徳哲学と自然哲学に二分されるが、それはもっと後年のことである)。
アヴェロエスの「霊魂・真理(理性)の二重説」が、シチリア島の国際都市パレルモ、ナポリを中心とした南イタリア、さらにパリ、北イタリアのパドヴァ(ヴェネツイアの内陸都市〔大阪と京都の関係に類似〕)へと時を経て伝播してゆく。

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 西欧・南欧に学的・思想的感化を与えたアラビア人の最高峰は上述のアヴェロエスで、イベリア半島の生まれである。これから述べる4人はアヴェロエスと違って生地はさまざまである。
 まず、キンディー(ラテン語名:アルキンドゥス、801-866年)。現在のイラクで生まれた。多くの分野のギリシア語の学的文献をアラビア語に翻訳した。数学を基礎においたことで知られる。「アラブの哲学者」の異名を持ち、アッバース朝下で活躍。これ以後の哲学的な重要事項となる「信仰」と「理性」の溝を埋めようと尽力した。すでにこの時点、あるいはそれ以前から「心情」と「頭脳」の問題が生じていて、両者が付かず離れずの課題となっていることがわかる。
 次にファラビー(ラテン語名:アルファラビウス、870?-950年)で、トルコ系のアラブ人である。イスラームはプラトン哲学よりアリストテレス哲学を好み、このイスラーム哲学の樹立に大きな貢献をしたこの人物を「第二の師」と呼んだ。「第一の師」とはむろんアリストテレスである。功績としては、2つの哲学の融和を提唱した。これは15世紀のフィレンツェ・ルネサンスを先取りしている。
 3番目がイブン・シーナ(ラテン語名:アヴィケンナ、980-1037年)。ペルシア生まれの哲学者にして医家。アリストテレス哲学と新プラトン主義を融合させた、「第二のアリストテレス」とも称された当時の世界的大学者。中世を通じて東方と西欧に多大な影響を及ぼした『医学正典』を著わした。彼は、あらゆる思想がすべて存在の「第一原因」に帰属しており、神こそが第一原因(新プラトン主義での「一者」)であるとみなした。ここに新プラトン主義の流出の教説を用いて神(一者)の超越性を樹立し、汎神論者の立場に立った。この逸材のアリストテレス哲学や医学上の業績は主に西欧に伝播しているので、後年のアリストテレス哲学の「註解者」アヴェロエスへの影響は別途だと思われる。
 4番目がガザーリー(ラテン語名:アルガゼル、1058-1111年)。ペルシア生まれ。「ムハンマド以後に生まれた最大のイスラーム教徒」と言われる。つまりイスラーム最高の神学者の意味である。スンナ派(少数派であるシーア派にたいして存在したイスラームの多数派。「スンナ」は「慣れ」を表わし、ムハンマドの言行を指す。イスラームの正統派を自認している)を正統派とすることに賛同している。さらに彼は神秘主義者(スーフィー)の代表者でもある。スーフィズムとは、神への愛を、究極の目的である「神との合一」をその企図とする一種の神秘主義である。
 ここまででわかることは、たいていのアラビア人の学者がアリストテレスの哲学の研究を主にしている、ということである。
 

                    3

 ところで、アヴェロエスの思想を受け止める側の西欧・南欧の知的水準はいかがなものだっただろうか。結論を述べると「東方の知」の輸入に懸命になっていた。そのためには「翻訳」が必須だった。ギリシア語の文献―そのアラビア語訳/アラビア語の独自の研究文献―ラテン語訳(―各俗語訳)、という流れを取る。
 アラビア人たちにとってギリシア哲学で関心があったのは、ギリシアの詩人・雄弁家・歴史家などの著作を除いた、理系の文献が主であり、それはプラトンでなくアリストテレスの哲学を翻訳することに直結した。もともとアラビア人は実証的・経験主義的な民族で、アリストテレス哲学を学問の最高峰とみなしていた。そして、アリストテレス哲学の理系の著作に加え、それ以外の理系文献(数学・天文学・医学・錬金術・占星術)も翻訳している。一方、イタリアでは、ギリシア文化が生んだ秀逸な詩と散文にみられる文法的・修辞学的な知見をわがものにして、法律学の分野で独創的な功績が遺された。片や哲学は根づかず、発展しなかった。ローマ人は道路工事とか水道工事とかの、土木工事に長けていた民族で、理念的なギリシア文化に憧れを抱いていたがそれだけに留まった。それゆえ、「ローマは政治的にギリシアを征服したが文化的に征服された」という文言が遺っている。そのギリシア文化の一大特色は、多数の事実をひとつの理念までに止揚する抽象能力の高さにあった。多くの哲学者を輩出したのもこうした思弁的な知的風土があったからだろう。
〈第1回(2)へつづく。次回は、8/13掲載〉

澤井繁男
1954年、札幌市に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。
作家・イタリアルネサンス文学・文化研究家。東京外国語大学論文博士(学術)。
元関西大学文学部教授。著者に、『ルネサンス文化と科学』(山川出版社)、『魔術と錬金術』(ちくま学芸文庫)、『自然魔術師たちの饗宴』(春秋社)、『カンパネッラの企て』(新曜社)など多数。訳書にカンパネッラ『哲学詩集』(水声社、日本翻訳家協会・特別賞受賞)などがある。

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