第13回 有職覚え書き

カルチャー|2022.1.18
八條忠基

季節の有職植物

●クチナシ

クチナシ(梔子、支子、学名:Gardenia jasminoides)の実は黄色の染料となり、「栗きんとん」を黄色く染めるのに用いられるので有名ですね。その色は完全なる黄色。ですから「クチナシ色」といえば、ピュアイエローと思う人も多いことでしょう。けれども、平安時代の「支子(くちなし)」色は、果実の色、オレンジ色だったのです。

『延喜式』(縫殿寮)
「深支子 綾一疋。紅花大十二両。支子一斗。酢五合。藁半囲。薪卅斤。(中略)浅支子 綾一疋。支子二升。紅花小三両。酢一合。藁半囲。薪卅斤。」

染色材料に「支子」だけではなく、「紅花」も使っていますね。ですからピュアイエローではなくオレンジ色になるのです。ここのところを誤解されている方が多い。平安時代の色彩表現は、染色の色ではなく自然界の色なのです。そして「深支子」は許可がなくては使えない「禁色(きんじき)」でした。

『延喜式』(弾正台)
「凡支子染深色。可濫黄丹者。不得服用。」

深支子色は、皇太子専用の色である「黄丹(おうに・おうたん)」に似た色なので「禁色」とされたのですね。支子色がイエローではなくオレンジ色だからこその規制。黄丹は濃いオレンジ色なのです。

『延喜式』(縫殿寮)
「黄丹綾一疋、紅花大十斤八両、支子一斗二升」

このように、「黄丹」も「支子」も、染料は同じ「紅花と支子」。黄丹のほうが染料をたくさん使うので濃く染まるわけですが、基本は同じオレンジ色なのです。……しかし、禁じられても着たいのが人情というもの。人々は、あの手この手で「抜け穴」を探しました。

『法曹至要抄』
「黄丹事。 弾正式云。支子染深色可濫黄丹者。不聴服用。元慶五年(881)十月十四日宣旨云。支子染深色可濫黄丹者。不得服用[者イ]。而年来以茜紅交染。尤濫其色。自今以後。茜若紅交染支子者。不論浅深宜加禁制者。」

元慶五年の宣旨では 「紅花+支子でなく、茜+支子で染めているからこれはOK」 というヤカラがいる! と怒っております。怒った挙げ句に…… 「こうなったら、濃い色だけでなく薄い色でもダメ!」 となったわけです。しかし人々は懲りません。『法曹至要抄』ではさらに続けます。

「案之。着件色之時。雖禁制重。近来之作法或称欸冬色着用之。或号黄朽葉色着用之。已下男女任意随望。亦無禁制之。」

支子色を「これは欸冬(やまぶき)色」だとか「黄朽葉(くちは)色」だとか称して、好き勝手に着ている、と。「これは欸冬色であって深支子じゃないんだからね~~♪」などと言うヤカラがいたわけです。いやはや。ともあれ、「支子色はクチナシの実で染めた黄色ではない」ということを強調しておきたいと思います。

画像はクチナシ(梔子、支子、学名:Gardenia jasminoides)の実。この色を染色で再現しようとして紅を加えたのですね。

クチナシ(梔子、支子、学名:Gardenia jasminoides)

●ロウバイ

ロウバイ(蝋梅、学名:Chimonanthus praecox)です。「梅」とありますが、バラ科サクラ属のウメとはまったく無縁の、クスノキ目ロウバイ科ロウバイ属の植物。香りが高く、その名の通り「ロウ細工」のような、半透明の黄色い美しい花弁を見ることができます。ただし12月を「臘月」と呼ぶことから、その時期に咲くので「臘梅」という説もあります。

『本草綱目啓蒙』(小野蘭山/1806年)
「蝋梅 ナンキンウメ、カラウメ、トウウメ、ランウメ。(中略)コノ木ハ、百九代後水尾帝ノ時、朝鮮ヨリ来ルト云伝。故ニ俗ニカラウメ等ノ名アレドモ、今ニ至テハ皆蝋梅ト称ス。」

諸説ありますが、いずれにせよ江戸時代初期に日本に渡来した植物ですので、それ以前の記録はありません。たいへん素敵なロウバイですが、有職話を語りたくとも語れないのです。

 次回の配信は、2月7日予定です。

ロウバイ(蝋梅、学名:Chimonanthus praecox)

八條忠基

綺陽装束研究所主宰。古典文献の読解研究に努めるとともに、敷居が高いと思われがちな「有職故実」の知識を広め、ひろく現代人の生活に活用するための研究・普及活動を続けている。全国の大学・図書館・神社等での講演多数。主な著書に『素晴らしい装束の世界』『有職装束大全』『有職文様図鑑』『宮廷のデザイン』、監修に『和装の描き方』など。日本風俗史学会会員。

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