魔術師列伝

コラム|2021.12.3
文=澤井繫男

第5回 ベルナルディーノ・テレジオ
(1509-88年)(3)――パドヴァ学派――

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テレジオの思想を解説するまえに、おおまかな結論を述べておこう。テレジオは自然界が、「熱」と「冷」の反発的躍動で成立している、とみなしている。ここでどうして「熱」と「冷」が取り挙げられているのか、を考えてみたい。

話はプラトン(前427-前347年)から始まる。彼は自然界が(軽い順から)火・空気・水・土の四元素(四大)で成り立っていると定義した。この場合の四大とは、実際の火や水を示すのではなく、火は熱量(エネルギー)、空気は気体(気態)、水は液体(液態)、土は個体(個態)を意味した。(ここで「火」だけが人為的なものであることを知ってほしい。山火事などの自然発生的なものを除いて、「火」を熾せるのは人間だけで、「文化」なのである)。弟子のアリストテレス(前384-前322年)はどうやらこれに「不足」を感じ取ったようで、四大を形成する「四つの特質」を考案するとともに、その四つの元となる、第五番目の、もっとも根源的な第五元素である第一質料(プリマ・マテリア)を設け、これに「エーテル」と名づけた。そして、「四つの特質(熱・冷・乾・湿)」のうちの二つが組となって、第五元素と結合することで、四元素が誕生する、という説を打ち立てた。アリストテレスらしい、具体性を帯びた説で師の四大説を補完したのである。

例えば、第五元素+熱・乾=火、第五元素+熱・湿=空気、第五元素+冷・湿=水、第五元素+冷・乾=土、という具合だ。テレジオはこの四特質から、相対立する「熱と冷」を抽出して、その思想の中核とした。アリストテレス研究家らしい哲学の樹立である。

ここで、誰しもが疑問に思う「エーテル」について簡潔に述べておこう。定義とともにその存在の有無に関する内容となる。即ち、「エーテル」とは実体を特定できない光のようなもので、天界の物質であり、存在の有無も証明できない。確かなのは、上述の四つの特質のうち二つと結合して四元素を生むこと。こうした存在の有無の問うものとして、錬金術成立の主要素となった、アラブの「哲学の硫黄」「哲学の水銀」を挙げられよう。

スイスの医師で錬金術師、医化学派の鼻祖(びそ)となったパラケルスス(1493-1541年)は、エーテルを「塩」として、硫黄・水銀とともに「三原質説」を唱え、精神・霊魂に加えて「肉体」という概念を表明した。

パラケルスス

17世紀になると、デカルト(1596-1650年)、オランダのホイヘンス(1629-95年)によって、エーテルは光の波動として宇宙に充ちていて、光が伝播するために必要な「媒質」、と考えられた。

ホイヘンス

19世紀、イギリス・スコットランドの理論物理学者マックスウェル(1831-79年)が、光を電磁波として、波の性質を持つとみなし、エーテルの存在を認知したとされる。海の波の動きがもたらすのが波動であり、音波も空気を媒質としている。

ドイツ人ヘルツ(1857-94年)が、マックスウェルの電磁波の研究をさらに発展させて、電磁波の放射の存在を確認し、エーテルは認知されるが、20世紀になってアメリカのアルバート・マイケルソン(1852-1933年)が「光速度測定」からエーテルの存在を否定し、そのおかげでアインシュタイン(1879-1955年)の「特殊相対性理論」が実証された。アインシュタインによると、真空中の光速はどの慣性系にあっても、光源の運動状態とは無関係にあらゆる向きに一定の値cを持つ。これを「光速度不変の原理」といって「特殊相対性理論」はここから導き出されるという。それまでの「ニュートン力学」では、時間はすべての慣性系で同じように進むので、時空の変換法則を変更できなかった。
閑話休題。

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テレジオに関しては、その弟子筋でテレジオの思想の継承者でもあった、私の専門とする、トンマーゾ・カンパネッラ(1568-1639年)に言及するたびに取り挙げて来たので、もう代表作を翻訳するだけだという気分になりつつある。

トンマーゾ・カンパネッラ

テレジオはカラブリア地方の北部に位置するコゼンツァの名門の生まれで、この街では15世紀半ばに、フィレンツェ・ルネサンスの代表的詩人ポリツィアーノ(1454-94年)の友人でもあった人物を招いて学校を開いている。そのなかからアントニオ・テレジオ(1482-1542年)という、秀才を出している。彼はテレジオ姓であることからわかるように、ベルナルディーノの親戚筋(叔父)にあたり、ラテン語で詩作をするほどの秀才だった。

ポリツィアーノ

ベルナルディーノは幼少期、この叔父に教育され、やがて叔父と一緒にローマにおもむき、14歳(1523年)くらいまでローマで過ごしている。1526年には、メディチ家出身の教皇クレメンス7世(在位1523-34年)から、「コゼンツァの聖職者」と称えられている。

クレメンス7世

テレジオ誕生の1500年代は、前半は盛期ルネサンスと重なるが(ダ・ヴィンチは1519年、ラファエロは1520年、マキァヴェッリは1527年、アリオストは1533年に逝去)、1564年に89歳で他界するミケランジェロを最後に、後期ルネサンスに入ってゆく。テレジオは後期から末期にかけて活躍する自然哲学者である。

アリオスト

テレジオはパドヴァ大学に学び、26歳のときに学位を取得した。彼はラテン語にもギリシア語にも長けていたので、アラブ人の註釈がなくても、アリストテレスの原典を読めたはずだ。というより、アヴェロエスなどのアリストテレス註釈をきらっただろうし、中世以来のスコラ的解釈も退けたに違いない。テレジオは刷新的な自然の観方を模索していたのである。

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テレジオはアリストテレスについてさらに教えを乞うために、ブレシア(北伊ロンバルディア地方の都市)出身のパドヴァ大学哲学科教授であるヴィンチェンツォ・マッジィ(1498-1564年)を訪ね、議論をかわして自分の見解に自信を抱くにいたる。テレジオは、アリストテレスの原典の研究家であるマッジィに、自分のアリストテレスの「読み」の正統性を問うたに違いない。

1565年、『その固有の原理による事物の本性について(以後、『事物の本性』と略記)』(初版)をローマにて刊行した。その序文にマッジィへの賛辞が書かれている。マッジィ訪問後2年経ってのことである。

実際、かくも優れたひとたち、多くのひとびと、人類の全人種が、なぜ何世紀もの間、これまでおびただしくかつ重要な問題にたいして誤りを犯して来たアリストテレスを褒め称えて来たのであろうか、と思われる。しかし私はアリストテレスについて議論をかわすためにブレシアのマッジィ氏を訪ねる好機に恵まれた。氏こそ、周知のように、卓越した哲学者で、その高邁な精神に関して長い間、私の知るところであった。(『事物の本性』第一巻、序文)

テレジオが正当性を主張するのは、自ら考案した二項対立形式の「熱と冷との反発」の雛型が、アリストテレスの『生成と腐敗について』にあったからである。それを再確認するとともに、質料と形相に関するアリストテレスの見解に異論を唱えている。つまり、自然とは、質料と形相で把握することはできず、「感覚(知覚)」で受容可能なるもの、という説を立て、その起動因となるのが「熱と冷」と定義づけている。「感覚」を第一義とする思想を生み、これは後年、カンパネッラに『事物の感覚と魔術について』(1620年刊行)という著書の執筆を促すことになる。

「熱」と「冷」とが、事物の主たる起動因の原理であり、この二つによって揚棄がなされ、宇宙が両極端の関係にある物質で占められ、またその占める物質がつくられるのである(『事物の本性』第一巻第四章)。

ここで一息つこう。第一の原理「熱」と第二の原理「冷」の存在それはそれでいいとして、その活動の場はどこにあるのか。テレジオは第三の原理として、二つの原理が動ける「場」を考案する。「場」とは不活性な物質的塊で、不動で自らは作動する力を持たない。「熱」と「冷」は、この「場」(の上)で起動するわけだ。すると、場の上には「空間」が生じるのがおのずとみえてくるし、「時間」の概念もやがて視野に入ってくるだろう。都合五つの原理が出現する(このことがニュートンの「万有引力の法則」の発見の一助となった、というひともいれば、それこそが最後の錬金術師と呼ばれたニュートンがエーテルの存在を証明したものだ、というひともいる)。

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霊魂に関しては実体があるとみなして、事物のなかに包まれている「種子」から派生するとしていて、きわめて唯物論的な霊魂説と映るが、やはり、霊魂を持ち出してこなくては立論できないのか、ともどかしい。これらは前述のように「感覚」による経験で感知するものであって、感覚知こそ第一義とする理念を生んだ。霊魂種子説と感覚知による自然認識は、見方によっては近代的な経験重視の唯物論ともうかがえる。しかし、自然のなかに「霊魂(生命)」を探ろうとする姿勢はアニミズム的な自然魔術の域を出ていない。即ち、有機的一元論である。テレジオは実験も観察も行なわず、机上でこれらの思量に終始した。

テレジオは1570年に改訂版『事物の本性』の(初版とほぼ同じだが、「海について」「空に生じるものと大地の運動について」「色彩の生成について」の、自然学の三本の論攷が付加された)、1586年に三訂版(決定版)を刊行している。

1566年、テレジオは故郷コゼンツァに「コゼンティーナ学院 Accademia
Cosenzina」を設立して、自然学の研究を続けた。ジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600年)やカンパネッラなど、南伊の知識人にとって勉学の大きな支えとなった。

ジョルダーノ・ブルーノ

イングランドのフランシス・ベーコン(1561-1626年)がテレジオの唯物論的経験主義を評価して、「最初の近代人」「真理を愛する者であり、……新しい者たちのなかで首位に立つ者」と称揚しているが、「霊魂種子説」は評価の外に置いている。カンパネッラこそがテレジオの思想の後継者で、師の思想の確立、普及に貢献した(カンパネッラの思念など、テレジオの理念の枠を所詮越えられなかった、と酷評する者もいるが)。カンパネッラはフィチーノが翻訳した、プロティノスの『エネアデス』(新プラトン主義)の水脈の裡にあって、新プラトン主義の形而上学に近いところにいた。つまり、若きカンパネッラはテレジオの著書を精読しているうちに、師の自然学の対象を素直に受容した。感覚知に加えて、テレジオの唯物論的な形而上学をも引き継いだことを意味する。

テレジオ出現の意義は、ルネサンスの思想傾向が、もはや初期の倫理問題から離れて、人間ではなく自然や宇宙へと関心が移動したことを示している。むろん宗教改革の影響もある。南伊では、12世紀にスペインのコルドバから、アヴェロエスの「世界霊魂」の思想が入ってきており、テレジオよりもむしろカンパネッラの方がこれを受け継ぎ、個人霊魂を超えた自然界の万物にも、霊魂が宿ると「感覚」した。いわゆる「共通感覚」である。
 テレジオ没後、その影響は南伊全域に拡がって多くの研究者を輩出した。わけても最高の研究者は、南伊ではないが、フランシス・ベーコンであるのは言うまでもない。

〈第5回(3)・了〉
次回は、12月17日です。

参考文献
澤井繁男著『カンパネッラの企て―神が孵化するとき』新曜社,2021年

Luigi De Franco, Introduzione a Bernardino Telesio,Rubbettino Editore,1995

澤井繁男
1954年、札幌市に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。
作家・イタリアルネサンス文学・文化研究家。東京外国語大学論文博士(学術)。
元関西大学文学部教授。著者に、『ルネサンス文化と科学』(山川出版社)、『魔術と錬金術』(ちくま学芸文庫)、『自然魔術師たちの饗宴』(春秋社)、『カンパネッラの企て』(新曜社)など多数。訳書にカンパネッラ『哲学詩集』(水声社、日本翻訳家協会・特別賞受賞)などがある。

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