「街と山の境で出会った猫」五宮神社│ゆかし日本、猫めぐり#44

連載|2024.6.7
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

 JR元町駅から六甲山系の山並みへ向かってぶらぶらとあてもなく歩いていると、入り組んだ細い路地に迷い込んだ。「五宮町(ごのみやちょう)」。町名表示板にはそう書かれている。近くにお宮さんがあるのだろうか。なおも周辺をうろついていると、立派なご神木が現れた。

 五宮(ごのみや)神社は、神戸の中心地、三宮に鎮座する生田神社の御祭神、稚日女尊(わかひるめのみこと)をお守りする生田裔神(えいしん)八社の1つ。創祀された年代は不明だが、神功皇后が朝鮮半島に出征した際に、畿内に戻る途中で巡拝した社の1つとされる古社で、かつて奥平野と呼ばれたこの一帯の古くからの氏神さんでもあるという。

 山が迫る閑静な住宅街の一角で、大きな存在感を示すご神木に見惚れていると、猫が現れた。

 目が合うと動きを止め、こちらの様子をうかがっている。神社にも猫がいるだろうか。期待を胸に鳥居をくぐった。

 五宮神社の御祭神は、出雲国から勧請されたという天穂日命(あめのほひのみこと)。

『古事記』や『日本書紀』によれば、この神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)が誓約(うけい=古代日本で行われていた占いの一種で、ある事柄の真偽などについて神意をうかがうこと)を行った際に、素戔嗚尊が、天照大御神の身につけていた勾玉を噛み砕いて産んだ5柱の男神の、2番目に産まれた神とされている。国譲りの際は、出雲国で大国主命(おおくにぬしのみこと)を説得するべく、高天原から派遣されたものの、逆に大国主命に心服して家来となり、他の使者が国譲りを完了してからも、国津神として大国主命に仕えたという。

 ちなみに、生田裔神八社の一宮から八宮の御祭神は、この誓約のときに、天照大御神が素戔嗚尊の剣を噛み砕いて産んだ3柱の女神と、素戔嗚尊が産んだ5柱の男神が中心になっているが、七宮(しちのみや)神社の御祭神だけは、誓約のときに産まれた神々以外の大巳貴命(おおなむちのみこと)で、代わりに5柱の男神の4番目に産まれた活津日子根命(いくつひこねのみこと)が八社から外れている。

「生田神社のご祭神である稚日女尊様は、天照大御神様が完全に成熟されていないお若い頃の神様とされています。ですからしっかりお支えしなければならないということで、お守りする神社が一宮から八宮まであるのです」

 五宮神社の宮司で、同じ氏子区域に鎮座する祇園神社の宮司でもある中島憲司さんは言う。

 お参りを済ませ、境内を見回したが猫はいない。だが、いる気配は感じられる。社務所の看板や網戸、さらに大国主命を祀る出雲社の柱には、猫が引っ掻いたと思われる爪跡も。

 改めて、境内をゆっくり巡ると……、

いた!
 こちらにも!

 なかなか手強そうな猫たちだ。

 やがて、社務所の扉が開いて女性が現れた。どうやらご飯の時間のよう。

 猫たちのご飯は、基本的に朝と夕方の2回。朝は五宮神社の宮守(みやもり)を務める、画家の髙濱浩子さんが担当し、夕方は近隣の住民が神社までご飯をあげに来るという。地域で猫たちを見守っているのだ。

 2匹の猫はご飯を食べ終えると、それぞれにくつろぎタイムへ。1匹は本殿横にある岩松稲荷社でのんびり過ごし、

もう1匹は、手水舎で喉を潤した後、

毛づくろい。

 近寄ると、こちらの視線を気にしつつも、

怖がってはいないよう。

 だが撫でようとすると、

睨まれた。

 その後は草を相手に、遊びモード全開に。

 遊び飽きると……、

猫パンチ!
 
 もっとも、髙濱さんの前ではご覧の通り。

 猫は本当に正直だ。

 日中は周囲の縄張りをパトロールするという猫たちに倣い、こちらも散策がてら、中島宮司のいらっしゃる祇園神社へ。

 境内を出ると、早速最初に出会った猫を見つけた。

 神戸市には、「人と猫との共生推進協議会」なるものが設置され、たとえばふるさと納税の寄付金を利用して、自治体に避妊矯正の無料チケットを配るなど、地域のボランティアと一緒になってさまざまな取り組みが行われている。

 この猫も、五宮神社の猫と同様、地域の猫として、近隣の住民が毎日この場所でご飯をあげているという。

 他にも、境内にちょくちょく顔を出すという猫たちに会いに行ってみたが、やはり食事中だった。

 五宮神社と祇園神社が鎮座する一帯は、土地の奥深さを感じさせる場所。

 元町界隈から歩いて30分ほどの距離にありながら、六甲山系が隆起を続ける前から流れている川があったり、隆起の際に川底が削られてできたV字形の渓谷があったり。街中とは思えない豊かな自然が残っている。
 その一方、古くから湯が湧き出ていたという温泉があったり、かつて西国街道の裏道と呼ばれた東西に延びる古道が残っていたりと、人々の暮らしとともに積み重ねられてきた長い歴史を感じさせる。

 さらに、平安時代の末期には、当時隆盛を極めていた平清盛がこの地に別邸を建て、のちに太政大臣を辞してからの本拠地となっていたという。清盛はこの地に移り住んで、現在の神戸港の西側に位置する大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれる港を南宋貿易の拠点とするべく拡張整備を行ない、ときに近くの祇園山から眼下の街並みを眺めながら、港を組み込んだ新都、福原京をこの地に築く構想を練ったとも伝えられている。

「この地には、昔から神様、仏様の力を借りながら人々が暮らしていたということでしょう」と中島宮司。そもそも神戸という地名も、生田神社に奉仕する44 戸の家、つまり神戸(かんべ)が造られたことに由来するという。のちにそれが地名に転じたのだ。「ですから神戸という街は、神社とともに発展してきたのです」。

 ちなみに、祇園神社の御祭神は、素戔嗚尊とその妻、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。江戸時代までは当屋制で、8軒の家が持ち回りで1年間神主を務めていたという。社名も明治時代に祇園神社に変わったが、もとは素戔嗚尊と同一神と考えられている牛頭天王(ごずてんのう)にちなんで天王社と呼ばれていた。その名残は、たとえば境内の横を流れる川を天王谷川、前述のV字谷を天王谷と呼ぶなど、現在も地名として残っている。

「牛頭天王はもともとインドの神様で、お釈迦様が悟りを拓かれた祇園精舎の守り神であることから、通称祇園さんと呼ばれています。その牛頭天王さんのご利益が、疫病除けや厄除け、水難除けなど、素戔嗚尊さんとほぼ一致していたことから、同一神として考えられるようになったのです」

 御祭神が違えばご利益が違ってくる。氏子区域がまったく同じという祇園神社と五宮神社が、同じように地域の守り神として親しまれてきたのは、ご利益の違いで棲み分けが自ずとできたからなのかもしれない。

 さて、そろそろ猫たちが戻る時間だろうか。再び五宮神社へ向かうと、1匹がパトロールを終えたところだった。

 この猫は、朝は近づくと逃げてしまったが、夕方は一度見た顔だと気を許してくれたのか、距離感が縮まった気がした。

 新たな猫も発見。朝からずっと社務所の庭で過ごしていたよう。

 視線の先は、夕ご飯をくれる人の家。

 待ってなんかいないよ。そういうそぶりをしながらも、さりげなく人の出入りを気にしている。

 朝に猫パンチでもてなしてくれた(?)猫も、毛づくろいをしながら夕飯を待っていた。

 どこからか、キツツキが木をつつくドラミングの音が聞こえてくる。

「夜になると、フクロウの声も聞こえるんですよ」と髙濱さん。やはりここは、街でありながら、山の入り口でもあるのだ。

 気がつけば、すぐ後ろに猫がいて、

歩き始めると、同じように動き出した。

 まさか、付いてきている? 
 振り返ったが、澄ましている。

 猫をかわいいと思うのはこういう瞬間。だから猫めぐりはやめられない。

 バイバイ。またね。

初夏の1日がゆっくりと暮れていく。


五宮神社
〒652‐0007
兵庫県神戸市兵庫区五宮町22-10

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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