令和の台所改善運動―キッチン立ち話

第10回「暮らしを中心に据えた
建築家 吉村順三」

暮らし|2024.6.7
文= 阿古真理 編集=宮崎謙士(みるきくよむ)

暮らしや生活への想像力に欠けるキッチンが多い日本にあって、良質で使い手のことを考えてキッチンをつくってきた建築家の系譜がある。それがアントニン・レーモンドを源流とする建築家たちだ。本連載では、吉村順三、宮脇檀(まゆみ)、林雅子の3人の有名建築家に注目し、彼らが設計で大切にしていたことやキッチンに関する試みについて紹介してみたい。

 私が日本のキッチンを取り巻く環境をよりよくするために「令和の台所改善運動」を始めたのは、まともなキッチンを求めて住まい探しをしたことがきっかけだった。東京都区内を中心に便利なエリアでリーズナブルな部屋を求めることが無理なのか、驚くほど困ったキッチンにたくさん遭遇した。十分な調理台スペースがないのはもちろんのこと、しばしば手が届かない吊戸棚、入り口が1カ所しかないのに冷蔵庫が一番奥のコンロ前、という設定のキッチンがある。
 最近は、古い賃貸住宅をリノベーションし、ファミリー物件なのに斜め2口の使いにくいコンロにしてしまったキッチンも目立つ。調べてみると、立ち流し式の現代的なキッチンが普及した戦後、調理台が狭過ぎ収納が少な過ぎるキッチンに悩む人が多かった歴史がわかってきた。広い持ち家に住む人たちについては解決しつつあるのだが、都会暮らし、賃貸暮らしの人たちの悩みは、変わらないままだ。総菜・加工食品を買ってきて温める、開封して器に盛る程度にしか使えなさそうなキッチンが山ほどあるのだ。それでも、料理する台所の担い手が多数派なのだから、「みんな偉い」と称えたくなる。
 しかし。生活への想像力に欠けるキッチンを大量供給してきた日本でも、良質で使い手を考えたキッチンを作ってきた建築家の系譜がある。系譜に属する3人の建築家をフィーチャーして、彼らの試みについて順に紹介し、台所改善運動が必要な理由について考えたい。
 まずは3人の建築家のルーツと言える存在からご紹介したい。それは、フランク・ロイド・ライトの部下として、帝国ホテル建築のために来日したチェコ生まれのアントニン・レーモンド。建築好きなら知っている有名人だ。レーモンドはまもなくライトのもとを離れたが日本にとどまり、東京を拠点にモダニズム建築をけん引した。『昭和住宅物語』(藤森照信、新建築社)によると、なんと1923(大正12)年に、コンクリート打ちっぱなしの住宅を建てている。日本人の建築家が、そうした住宅を建てるのは戦後になってから。
 レーモンドはおそらく、対面カウンター式のキッチンを初めて採用した建築家でもある。レーモンドの系譜につらなる建築家の1人、白井克典さんは「レーモンドは1940年頃に、バーに行っている感覚で対話できるキッチンをアメリカで作りました」と話す。レーモンドは1938年に一度アメリカに移り、太平洋戦争が勃発した年に東京事務所を畳んだが、1948年に再来日し、その後の建築家人生を日本でおくっている。

アントニン・レーモンドが建てた麻布笄(こうがい)町(現港区南青山、西麻布内)の自邸。

 レーモンドの弟子で有名な建築家が、前川國男と吉村順三だ。前川國男の弟子の1人が、この連載の初回で取り上げたDK開発に関わった浜口ミホである。こんな風に、日本のキッチンの歴史をたどると、必ずレーモンドに行きつく。レーモンドに続く人たちが、使いやすいキッチンを作ろうと試みてきたからである。
 ここから今回の主題、対面キッチンを推奨した吉村順三について紹介したい。『巨匠の残像 「建築」を拓いた17人の遺風』(日経アーキテクチュア編、日経BP社)によると、吉村は東京美術学校(現東京藝術大学)に在学中、「雑誌で見た住宅の模型写真を気に入り、東京中を歩き回って、霊南坂にあるレーモンドの自邸を探し当てた」。そして、レーモンド事務所で働き、アメリカにも呼ばれて1年間働いたのちに、日本で独立している。
 吉村設計事務所からキャリアをスタートした、日本デザイナー学院校長でもある建築家、野口朝夫さんは吉村が「調理しているお母さんのお尻ばかり見ているのが家庭ではない」と言っていたことを覚えていると証言する。
 野口さんが吉村設計事務所に在籍したのは、1975年から6年間。その時代に対面キッチンを作るのは大変なことだった。今、ダイニングを向いてコンロを使う対面キッチンは珍しくないが、当時の技術でその実現は難しかった。問題は、排気のため設置場所に制限がある換気扇。何しろ、松下電工(現パナソニック)の直接排気型のプロペラファンが公団団地でデフォルトになったのが1970年。ダクトを通して排気できるシロッコファンが、富士工業から発売されたのが1983年。換気扇はようやく当たり前につくようになったが、壁につけないと排気できない、という時代だった。
 「シロッコファンも一部にありましたが性能が十分になく、板金屋でフードを作ってもらい、モーターも選択して造作しました。フードに効果的に空気を吸い込ませることも難しく、キッチンを設計するうえで、対面カウンターの上に換気扇を設置することが、一番難しかったです」と野口さんは振り返る。
 野口さんはまた、吉村から教わったこととして、キッチンに2つ以上の出入り口を設けることで回遊動線になり2人以上でも使いやすい設計にすること、を挙げる。「家族が料理中に飲み物を取りに来られない」と嘆く人が多い、冷蔵庫が一番奥のコンロ前、というレイアウトへの疑念を話したところ、「買い物してきた食材を冷蔵庫に入れる。調理する際は冷蔵庫から食材を取り出し、洗う、切る、火を通して盛り付け食卓へ。この流れがきちんと確保されていることが一番大事。冷蔵庫とコンロが向かい側、という設計はこの流れに反する場合がある。キッチンは見せるモノではなくて使うモノです。その使い勝手は動線で決まります」と野口さんは、胸がすくような回答をしてくれた。

建築家、吉村順三の生前のポートレート(『現代日本建築家全集 8 吉村順三』栗田勇監修、三一書房、1972年)より。

 吉村はどんなキッチン思想を持っていたのか。白井さんは、吉村が駆け出しの頃に設計したキッチンの一つを管理しているので見てみよう。それは、軽井沢の明るい木立の斜面に建つ「旧村田別荘(鍵富邸)」の離れにある。
 『住宅建築』2023年4月号に白井さんが書いた記事によれば、白井さんの顧客がこの建物を2014年に取得した際、母屋は傷みが激しく解体せざるを得なかったが、離れを白井さんが復元した。元の建物の竣工は1952年。吉村に建築を依頼した施主は建築家の村田政真(まさちか)で、著名な園芸家だった妻の村田ユリの旧姓が鍵富だったことから、鍵冨邸とされていた。キッチンは1階北側の壁付だが、二列型で折り畳み式の対面カウンターがある。キッチンの横から対面側に向かって窓がつらなり、キッチンでカウンター前に立つと、奥にリビング、南側の窓が見える。朝は東側から木漏れ日が差し込む気持ちのよい空間だ。

吉村順三設計の「旧村田別荘(鍵富邸)」(1952年)のキッチン。折り畳み式のカウンターが付く。突き上げの雨戸は庇の代わりになり、穏やかな光が差し込む。写真=野秋達也

 キッチンの天板、シンクはステンレス製。公団がステンレスシンクを導入し大量生産時代が始まるのは1958年なので、このキッチンは板金工場が手作業で作ったと思われる。もちろん、キッチン全体が造作である。白井さんは「この頃の天板は奥行きが55センチしかない時代だったけれど、この小屋のモノは52センチ。ステンレスは木の板に貼っているから、シンクの縁は板1枚分の3センチしかないんですよ。今のキッチンは、キャビネット部分の骨があって8センチぐらい幅があるんですが。困るのは、水撥ねすると床が濡れ、スポンジや洗剤を置く場所もないことです」と指摘する。カウンター側の調理台にシンクやコンロがないのは、排気を含めた当時の配管の限界だろう。このように、時代の制約はありつつ、家族とコミュニケーションできるキッチンを吉村も作っていたことが、この作品から分かる。

「旧村田別荘(鍵富邸)」のキッチン内部。カウンターや流し台などの造作は、吉村が設計した当時のまま残している。写真=野秋達也

 吉村が暮らしを重視したキッチンを設計したのは、レーモンドの影響だけではない。生い立ちをひも解いてみよう。
 吉村は、1908(明治41)年、東京・本所の呉服商の家で生まれた。『昭和住宅物語』によると、住宅に関心を持ったのは、普請道楽の叔父の現場を、担当者の番頭に連れられてしょっちゅう観に行っていたことがきっかけ。そのときに教えてもらったのが、「どうすれば住みやすくて維持が楽な家をつくれるかといった実際的なこと」だった。
 中学校に進学すると、雑誌『住宅』の誌上コンペに応募し入選する。東京美術学校に入ると、休みのたびに京都へ出かけ、古建築を研究した。シンプルな日本の住宅建築の伝統は、モダニズムに通じる。師匠のレーモンドは、機能性を重んじるモダニズムを導入した。レーモンドに弟子入りしたのは、自然な流れだったのだろう。
 『巨匠の残像』によると、吉村は1946年に6畳2間、12・5坪の建売住宅を購入し、1957年に全面的な増改築を施し、合計6回も手を入れ、60・5坪に拡大させた。快適で合理的、気持ちの良さをめざした改築の魅力を実感しているのが、妻でバイオリニストの吉村多喜子。「だんだん良くなっていく。踊り場のある階段は上りやすく、二階に行くのもちっとも苦労しない。家に長くいるのがすごく楽しい」と話している。取材にあたり、吉村建築を9軒も訪ねた同書の著者は、入ってしばらくすると体がなじむ、という体験をしている。人が使いやすい寸法を割り出し設計することを心がけた、という吉村の思想が体感できたのだろう。
 使いやすさは本来、人が使う道具や衣類などすべてに通じ、住宅やキッチンもそうあるべきだ。吉村は生涯そこをめざして設計を続けたが、いかんせん建築家が建てる住宅はほんの一握り。それでも、そうした住宅を少しでも広めよう、と試みた吉村の一番弟子について、次回はご紹介したい。

書籍刊行案内

本連載「令和の台所改善運動―キッチン立ち話」が、2024年6月下旬に書籍として発売されます。
100年前の「台所改善運動」、戦後のシステムキッチンを経て、日本の台所はどこへ向かうのか? 理想のキッチンを追い求めた、台所と住まいの100年の変遷とその物語を辿ります。

『日本の台所とキッチン 一〇〇物語』(平凡社)
6月25日刊行予定。
3,520円(10%税込)
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