第3回 有職覚え書き

カルチャー|2021.8.24
八條忠基

季節の有職植物

●タチアオイ

いつから梅雨入りで、いつから梅雨明けか。いまは気圧配置をもとにした気象庁の発表が基準でしょうが、昔は暦に「入梅」があり、実際のお天気にかかわらず、その日から梅雨とされたわけです。しかし毎年毎年、お天気は変わります。一定の日付で「今日から入梅」と言われても、「そうかなぁ」と思ってしまいますね。昔の人もそう思いました。

『日本歳時記』(貝原好古・江戸前期)
「凡梅雨出入の期は、和漢ともにさまざまの説侍るなり。されどもその説合がたし。損軒(貝原益軒)嘗著黴雨説いはく。陰陽之往来、固有定期、然而天地之流行、変化無窮、故寒暑風雨之時候、必有遅速、不可拘以日数。然則梅雨出入之期、雖出乎華夏之書、恐不可拠信。孟子曰、尽信書不如無書、誠哉此言乎。只以芒種之後霪雨初降之日為入梅、以霪雨収断之日為出梅。」

入梅の時期は「芒種の前の壬の日」など、古来諸説ありますが、自然現象なので年によって差があるとしています。貝原益軒が言うように「芒種の後に長雨が降った日を入梅とする」が妥当ではないでしょうかね。しかし、もっと納得できる説があります。

『世事百談』(山崎美成・江戸後期)
「梅雨 梅雨の節に入るを入梅といひ、あくるを出梅といふ。芒種<五月中>の前の壬を入梅とし、小暑<六月節>の後の癸を出梅とするよし、本草綱目に見えたり。しかれども時として、陰晴定まらず、時節のわかちがたきことあり。其時には花葵の花咲きそむるを入梅とし、だんだん標のかたに花の咲き終るを梅雨のあくるとしるべし。暦は算法に拘泥することなきにあらねば、天時の花草にて、節気を知ること正しとかや、ためし試むるにたがふことなしとある人いへり。」

「花葵の花咲きそむるを入梅」「花の咲き終るを梅雨のあくる」とあります。“暦は数学ではないので、天然の草花で節気を知るべきである。試してごらん、間違いないから”なのだそうです。まさにそのとおり。入梅の頃に美しく咲いたタチアオイ(立葵、学名:Althaea rosea)が、梅雨の明けた8月初めには花を終えて枯れようとしております。「ためし試むるにたがふことなし」、自然は正直です。

入梅の頃に美しく咲いたタチアオイ
梅雨明けに枯れたタチアオイ

●カシワ

8月になると、ドングリの仲間が実り始めます。カシワ(柏、槲、学名:Quercus dentata)も同様で、カシワはクヌギのようなイガイガのあるドングリです。ただクヌギよりも繊細なイガイガです。

「かしわ」という単語は「炊葉(かしいば)」のことで、古代から日本人は食物を盛る器として用いていました。

『隋書』(東夷伝倭国条)
「俗無盤俎板、藉以槲葉、食用手餔之。」

『日本書紀』(神武天皇)
「即作葉盤八枚、盛食饗之〈葉盤、此云毘羅耐〉。」

こうしたことから、食膳を整える担当者「膳部」は「かしわべ」と呼ばれました。平安時代の宮中ともなれば、様々な漆器や陶磁器、ちゃんとした食器はありました。しかし、先祖の暮らし方と精神を継承することが、自分たちの大切な任務であると考えていた宮中や公家たちは、後々まで柏の葉を食器として用いる伝統を守りました。

『延喜式』(大炊寮)
「宴会雑給 (中略)其飯器参議已上並朱漆椀。五位以上葉椀。命婦三位以上藺笥<加筥>。五位以上命婦並陶椀<加盤>。大歌。立歌。国栖。笛工並葉椀<五月五日青柏。七月廿五日荷葉。余節干柏>。」

「柏」という字は中国ではヒノキの仲間を指す漢字でしたが、日本では誤用されてカシワにこの字を当ててしまっています。文献では「槲」と標記されることが多いです。

『和名類聚抄』(源順・平安中期)
「槲 本草云槲〈音斗斛之、和名加之波〉。唐韻云柏〈音帛、和名上同〉木名也。」

さて。
平安時代の人々は、柏には「葉を守る神様」がおいでになると考えました。

『大和物語』(平安中期)
「柏木に 葉守の神のましけるを
  知らでぞ折りし 祟りなさるな」

素敵な女性を既婚者とはつゆ知らず、つい口説いちゃいましたが、旦那さん恨まないでね、というような意味ですかね。

『枕草子』
「柏木、いとをかし。葉守の神のいますらむもかしこし。兵衛の督、佐、尉など言ふもをかし。」

平安時代、兵衛府の武官の別名が「柏木」だったのですね。柏が「守る神様」だからでしょう。これは衛門府とも解釈され、『源氏物語』の「柏木」の帖は、この巻の中心人物の官職が衛門督であることから来ています。そのため、江戸時代の御所ことばでは、「柏餅」のことを「えもん」と呼びました。 古代から一貫して、大和民族に愛され尊ばれてきたのですね。

●ミル

6月から8月にかけて、海岸に打ち上げられている姿を見かけることが多い海藻がミル(海松、学名:Codium fragile)です。このミルは古代から食用海藻として日本人に愛され、身近なものでした。

『万葉集』
「神風の 伊勢の海の 朝なぎに 来寄る深海松 夕なぎに 来寄る俣海松 深海松の 深めし我を 俣海松の また行き帰り 妻と言はじとかも 思ほせる君」

そして青々とし、フサフサとした姿は「髪」に関係があるとされ、理髪のときのおまじないに使われたりしました。

『源氏物語』(葵)
「御髪の常よりもきよらに見ゆるを、かきなでたまひて、『久しう削ぎたまはざめるを、今日は、吉き日ならむかし』とて、暦の博士召して、時問はせなどしたまふほどに(中略)削ぎ果てて、『千尋』と祝ひきこえたまふを、少納言、『あはれにかたじけなし』と見たてまつる。
 はかりなき 千尋の底の海松ぶさの
  生ひゆくすゑは 我のみぞ見む
と聞こえたまへば、
 千尋とも いかでか知らむ定めなく
  満ち干る潮の のどけからぬに
と、ものに書きつけておはするさま、らうらうじきものから、若うをかしきを、めでたしと思す。」

『湖月抄』(北村季吟・1673年)
「髪そぎの調度の中に海松を一ふさくはふることあり。碁盤、山橘、海松、青松、青目の石二置之也。是等を御髪にはさみそふる也云々。」

「山橘、海松、青松、青目の石」と、青い物尽くし。まさにこれから成長する「青春の色」ということです。フサフサのミルは、まさに髪の豊かな成長を祈るには最適ですね。

海松

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