岬や高台にすっくと立って、航海する船舶へ道しるべの光を放つ「灯台」。このような、分類上は沿岸灯台と呼ばれる灯台は、一般的に白色が多い。黒や赤の縞模様もたまにみかけるけれど、赤一色というのはとても珍しい。
岩手県の大槌(おおつち)町の蓬莱(ほうらい)島にある大槌港灯台は、少し小ぶりの赤い灯台だ。ユニークなデザインに興味を惹かれ調べてみると、昔懐かしい人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルとなった場所であることを知る(モデルと言われる場所は複数あり、蓬莱島はその一つ)。
ちょうど1年前の2022年1月、赤い灯台の最寄り駅、三陸鉄道「大槌駅」まで行き灯台をこの目で見てきた。この地域とひょっこりひょうたん島の浅からぬ縁を感じる、旅の様子をお伝えしたい。
旅のポイント
💡目的地が遠方の場合は、訪問場所をコンパクトにまとめる
💡途中の移動に車が必要な場合は、事前にタクシー会社をチェック
💡真冬の旅は、目的地の気象状況に応じて適切な装備(服装・靴)を
💡初点の銘板は、灯台訪問に欠かせないチェックポイント
本日の旅程
6:29 大宮駅から「やまびこ51号」に乗る
今回乗車するのは東北新幹線。大槌まですべて列車で行く最短ルートは、新花巻で下車しJR釜石線で太平洋側の釜石まで行く。ここまで約4時間半。釜石から三陸鉄道リアス線に乗り換え、北上すること約20分で大槌駅に到着する(map①)。
※mapは記事の一番下にあります
11:30 ひょっこりひょうたん島な大槌駅
三陸沿岸は2011年に発生した東日本大震災で大きな被害をうけた地域だが、大槌駅も津波被害により営業休止となった(当時はJR東日本山田線の駅)。駅が再建されたのは8年経過した2019年。「大槌駅デザイン総選挙」として3つの候補から投票で選ばれた駅舎のデザインは、「ひょうたん島」をモチーフにしたものだった。
大槌駅の周辺を散策すると、駅の西側には「ドン・ガバチョ」の像が建っていた。
駅舎の西側にある線路沿いの道から大槌駅ホームを眺めると、左手(東側)方向奥に真新しい壁のようなものが見える。新設された津波防潮堤(map②)と14.5mほどかさ上げされた小鎚川水門だ(map③)。
再び、大槌駅に戻る。大槌駅の2階は展望テラスになっていて、駅舎東側にある外階段で上がることができる。
テラスに上がると、ひょうたん屋根がすぐ間近にあり、一瞬ひょうたん島の中に潜入したような気分になるから不思議だ。
12:15 蓬莱島の入口に到着
大槌駅をあとにして、次に目指すのは赤い灯台のある蓬莱島だ。
蓬莱島はぎざぎざとしたリアス海岸の一画、大槌湾の中にある。陸地から島へまっすぐ延びる防波堤を歩き島へ渡ることができる。
大槌駅から灯台までは約3km。歩いても行ける距離だが、時間短縮のため今回は車を使った。訪問時、駅前にタクシーはいなかったので、必要なら事前に近隣タクシー会社に予約をしておくと安心だと思う。車移動なら10分もかからず、蓬莱島の入口に到着する(map④)。
上の写真、目の前にある防潮堤は震災後に造られた。門のような防潮堤の切れ目は陸閘(りくこう)と呼ばれる設備で、堤防の役割も果たす開閉可能な門扉のことだ。正式名称「大槌漁港2号陸閘」は、2021年1月に完成したもので、震災後10年以上たちやっといろいろなものが形になってきた感がある。
陸閘をくぐり抜け、左手方向に進むと湾の中心に向かって延びる細い防波堤が見えてきた。長さは約340m、防波堤の先に蓬莱島がある。
もともと蓬莱島に続く防波堤は1947(昭和22)年に造られたが、大震災の津波により赤い灯台もろとも大破してしまった。現在の防波堤は再建された2代目である。
防波堤の幅は3~4mほどあり、無風時なら問題なく歩行できる。
防波堤の終端右側に、蓬莱島へ続く道がある。赤い灯台は目の前だ(map⑤)。
12:26 何かに似ている赤い灯台
1953(昭和28)年に建てられた初代も赤い灯台だったが、津波により根元から折れてしまった。灯台が再建されたのは震災の翌年。釜石海上保安部と大槌町が協力し、復興の象徴として灯台のデザインを大槌町在住の住民から公募した。選ばれたのは、ろうそくのようなフォルムを持つデザイン。大槌町の未来を明るく照らすというイメージだ。
確かにこの灯台、和ろうそくのようにも見えるが、本体のデザインにはもう一つ意味がある。中央がくびれた形は、「砂時計」に見立てたものだった。応募者は大槌町の住人。砂時計の砂が落ちきるように時が経てば必ず復興できる! という強い願いが込められている。
岩伝いに進めば、灯台のすぐ間近まで行けそうだったが、足元がふらつけば危険と判断し、少し離れた場所から撮影することとした。このため肉眼では小さくて見えないのだが、あとから写真を拡大すると灯台出入口のドア上部にある銘板(文字を刻んだ金属板)が確認できる。
こうした銘板は、初点プレートとも呼ばれていて、灯台がいつ誕生したのか(最初に点灯した年月)を示すものだ。灯台を訪問したときは、初点プレートをチェックするのも土木を味わう楽しみ方の一つである。
島には大槌湾の安全航行を担う守り神として、弁財天が祭られたお堂がある。先の津波で鳥居は流されてしまったが、社殿は流されずに残っていたと聞く。
蓬莱島は、もともとは大槌町漁協の所有だったが、震災後に破産。管財人の管理下に置かれた後、大槌町が購入し町の所有となった。
外周200mほどのひょうたんのような形をした蓬莱島。小さな丘の上に建つ灯台を舳先(へさき)として、今にも海にくりだしそうな様子は人形劇の「ひょっこりひょうたん島」のイメージそのままだ。
13:00 鳴き砂の音が由来の吉里吉里駅
おだやかな大槌湾の風景をいつまでも見ていたいが、そろそろ帰り支度の時間である。今回は大槌駅に戻るのではなく、ひとつ隣の吉里吉里(きりきり)駅から列車に乗ることにした(map⑥)。
人形劇「ひょっこりひょうたん島」の原作者の一人、井上ひさし氏の著作に『吉里吉里人』という小説があり、吉里吉里というネーミングはこの地に由来している。
吉里吉里という珍しい地名は、近隣の砂浜を歩くとキリキリと音がするから・・とも言われている。
吉里吉里駅も無人駅なのだが、実は駅員がいる。「三陸鉄道を勝手に応援する会」という市民団体が、震災前の2010年から駅に木彫りの動物たちを寄贈する活動をしていて、吉里吉里駅にもご覧のような木彫りの動物たちがいる。
しかも彼らはただの木彫り人形ではない。動物駅員として働いているのだ。
帰りの列車が到着するまでの30分ほど、雪の積もる1月のホームがどこか暖かく感じたのは、彼ら動物駅員がいたからだろう。
往復10時間以上かけて、現地での滞在はわずか2時間。もったいないなと感じる方もいるだろう。それでも「来てよかった」と感じる貴重な体験がたまらず、私は旅をしている。そして今回も、ほっこりと暖かな気持ちを抱えて、帰途につく私だった。
*掲載情報は探訪時のものです。列車の時刻などはダイヤ改正などにより変更されている場合があります。
牧村あきこ
高度経済成長期のさなか、東京都大田区に生まれる。フォトライター。千葉大学薬学部卒。ソフト開発を経てIT系ライターとして活動し、日経BP社IT系雑誌の連載ほか書籍執筆多数。2008年より新たなステージへ舵を切り、現在は古いインフラ系の土木撮影を中心に情報発信をしている。ビジネス系webメディアのJBpressに不定期で寄稿するほか、webサイト「Discover Doboku日本の土木再発見」に土木ウォッチャーとして第2・4土曜日に記事を配信。ひとり旅にフォーカスしたサイト「探検ウォークしてみない?」を運営中。https://soloppo.com/