近代の幕開けとともに芽生えた、家庭料理へのまなざし。
別冊太陽スペシャル「日本の家庭料理とレシピの一〇〇年」特集では、明治から昭和初期までの家庭料理の姿を、当時の料理書から読み解いています。梅花女子大学食文化学部食文化学科の東四柳祥子先生にご寄稿いただいた文章から、その一部をご紹介します。
美味しい食事が豊かな家庭を作る
家庭料理という言葉が生まれたのは、明治期のこと。その裏側には、富国強兵の理念があったのだといいます。
「特に明治期に成立した資本主義経済による新たな市場の展開は、男女の性別による役割や分業の浸透を促し、『男は仕事、女は家事』といった枠組みを形成する骨子ともなる。これを受けて、家内の指揮者となった主婦たちは、使用人のお手本となる立ち居振る舞いが求められ、家庭の「和楽」醸成に貢献することこそが急務とされた。なおこの『和楽』の背景にあったスローガンこそ、明治新政府が打ち出した富国強兵の理念である。新たに構想された『国家は家庭の集合体』という思想の下、経済面、情緒面ともに充足した家庭の創出が、報国を実現すると標榜されたのである。(中略)さて、衣食住の中でも殊更に主張されたのが、家族の食事管理の重要性である。食に関する教育がさほど重視されなかった近世までの社会とは打って変わり、明治期には家庭料理という新語が生まれ、家族の健康や嗜好にも配慮した食事作りに目が向けられるようになった。」
と東四柳先生は本書の中で語っています。
さらに、これに呼応して女子教育の整備が進み、男性の助けとなる「淑女良妻賢母」育成の議論が加速。子供のころから家事を習練する必要性が強調されていったといいます。そして明治13(1880)年には、料理を教える教科用図書のさきがけとなった『くりやのこころえ 全』(石川県第一師範学校纂輯)が出版されるのでした。
その後、家庭料理書には時代とともにさまざまな料理が提案され、日本の食卓を支えていきます。
明治20年代に「素人」を冠した家庭向け料理書が次々と登場すると、明治30年代以降、急速に部数を伸ばしました。また、明治初期までは江戸期の料理書の焼き直しが主でしたが、20世紀にさしかかるころより、伝統的な調理法に新旧の食材でアレンジをする動きが盛んになり、バラエティ豊かな折衷料理が提案されていきます。
やがて、度重なる世界との戦争に見舞われた日本は、長期的な物価高に直面します。この難局を乗り切るため、家計の節約に重きを置いた経済料理書(いまでいう節約レシピ集)が数多く出版されます。国産米の代用食として豆かすや根菜類などを加えた「かて飯」の炊き方や、パンやジャガイモなどに着眼した料理書も刊行されました。
家族の毎日の食事作りのため、家事を担っていた当時の主婦たちは、常に試行錯誤を続けていました。料理書の変遷をたどれば、料理書には、レシピだけでなく、その時代の食文化も映し出されていると感じることができるでしょう。
『別冊太陽』スペシャル
料理研究家とその時代 日本の家庭料理とレシピの100年
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