千四百年御聖忌記念特別展
『聖徳太子 日出づる処の天子』
サントリー美術館

ピックアップ|2021.12.8
坂本裕子(アートライター)

「日出づる処の天子」が遺し、未来へつなぐもの

2021年は、聖徳太子(574~622)の1400年遠忌にあたる。
 太子ゆかりの寺院では周年となる来年にかけて盛大な法会や記念事業が営まれるなか、美術館・博物館でも大きな展覧会が開催されている。春から秋にかけて、奈良国立博物館と東京国立博物館では、奈良・法隆寺の寺宝で追う聖徳太子の姿と日本仏教のはじまりが紹介された。
 そして今、大阪・四天王寺の至宝たちで聖徳太子とその信仰の拡がりをたどる展覧会が、大阪市立美術館からサントリー美術館に巡回している。

用明天皇の皇子として生まれた聖徳太子(厩戸皇子・うまやどのおうじ)は、推古天皇の摂政を務め、「冠位十二階」や「十七条憲法」を制定、遣隋使を派遣して日本に仏教をもたらし、国家としての体制を整えた人物として知られる。
 長らく旧札に使用されていた《聖徳太子像・二王子像》(唐本御影)の姿で、もっとも我々になじみのある聖人ともいえる。そして遣隋使派遣にともない、「日出づる処の天子」と記した国書を遣わしたことでも有名だ。

その傑出した人物は生前から超人的な存在であり、没後には国家創設の立役者としてのみならず、日本仏教の祖として、俗人でありながら信仰の対象となった。その崇敬は現代にいたるまで継承される、日本の歴史上でも稀有な存在といえる。

その聖徳太子が創建したと伝えられるのが、日本最古の木造建築といわれる法隆寺とならぶ日本最古の官寺・四天王寺である。
 仏教国家を推進する太子と蘇我馬子に対し、排斥派だった物部氏との戦いが起こったのが用明天皇2年(587)のこと。物部守屋軍に押される状況に、太子自ら白膠木(ぬるで)で四天王の像をつくり、「勝利に導いてくれたら必ず寺塔を建てる」と請願して勝利したことから四天王寺が建立されたという説話を『日本書記』に持つ。建立は推古天皇元年(593)のことで、まさに仏教信仰のもとで新しい国家が整えられていく歴史とともに、太子信仰を守り、伝えてきた寺院なのだ。

本展は、この四天王寺に伝承する寺宝を中心に、信仰の高まりと拡がりのなかでつくられてきた太子像やゆかりの品々で、聖徳太子の生涯とその信仰の伝承を追う。
 展示替えを含めた総展示数140件のうち、国宝9件、重要文化財33件という豪華な内容は、時代を通じて描かれ、彫られてきた肖像を多く含み、聖性のきらびやかさと併せて、太子その人に近づけるような、親しみも感じさせる空間になっている。

展覧会会場入り口
まずは、中国・明時代の文書『隋書 巻第八十一』(東京大学総合図書館蔵)で「日出づる処の天子……」の記載を確認してスタート!

聖徳太子の生涯を伝えることに大きく貢献したのが、「聖徳太子絵伝」である。奈良時代(8世紀)に初めてつくられたのが四天王寺とされ、以後、信仰の拡まりとともにバリエーションを持ちながら、各時代、各地域でさまざまな太子絵伝が生み出された。
 太子所持として伝わる品々やその事績を語る作品も、太子の聖性を示す重要な宝として信仰の対象になる。

重要文化財《聖徳太子絵伝》 第2幅 遠江法橋筆 鎌倉時代 元亨3年(1323) 大阪・四天王寺
画像提供:奈良国立博物館 【展示期間:11/17〜12/13】
聖徳太子の生涯とその事績を大画面に描く絵伝は、参詣した貴族などに対し、僧侶が絵解きをした。四天王寺において創始されたとされ、時代や宗派、寺院の事情に即して図が改変されながら太子信仰の伝播とともに全国に広まっていく。こちらは鎌倉時代のもの。太子の前世として中国高僧の南岳慧思のエピソードから太子の血筋である上宮王家の滅亡までの66場面が描かれる。全6幅のうち、この第2幅の下部には物部氏との戦いと警願のシーンも描かれている。 会場では各図の解説も丁寧についているので、物語として追うことができる。
国宝《七星剣》 飛鳥時代 7世紀 大阪・四天王寺
画像提供:東京国立博物館 (Image : TNM Image Archives) 【全期間展示】
太子が身につけていたという伝承を持ち、四天王寺「太子伝来七種の宝物」のひとつとされる日本屈指の古刀。1952年に研磨されて、かつての輝きを取り戻した。刀身には、雲気を吐く獣頭、雲、北斗七星、三星が金象嵌されている。

そして「日本仏教の祖」である聖徳太子は、宗派を超えて多くの歴代祖師からの崇敬を集め、中国天台の高僧とも、観音の化身とも、ひいては日本の釈迦ともたとえられて、広く民衆にも信仰された。この信仰を背景に、さまざまな太子像が絵画や彫刻でつくられていく。
 わずか2歳で東方を向いて合掌して南無仏と唱えた(!)という姿を表した「南無仏太子像」、病床の父・用明天皇の平癒を祈る童子姿の「孝養像」、成人後の政治・仏教の隆興に尽力する姿「摂政像・講讃像」などがずらりと並んでいるのは圧巻。いかに各地で、各宗派で、そして多層な人々の尊崇を集め、また親しまれてきたのかを感じられる。

《聖徳太子二歳像(南無仏太子像)》 鎌倉時代 13〜14世紀 京都・白毫寺
画像提供:神奈川県立金沢文庫 撮影:野久保昌良 【全期間展示】
東方に向かい、合掌して南無仏と唱えたという聖徳太子2歳の像は、上半身を裸形に、下半身に緋の袴をまとわせた姿で表される。とても2歳とは思えないしっかりした肢体と利発そうな表情が印象的で、愛らしくも神々しい作品。
重要文化財《聖徳太子童形立像(孝養像) 》 鎌倉時代 14世紀 茨城・善重寺
画像提供 : 神奈川県立金沢文庫 撮影:井上久美子 【全期間展示】
左手に柄香炉、右手に笏を持つことから、父・用明天皇の病気平癒を祈る「孝養像」(香炉)に、政務につく「摂政像」(笏)が重ねられている。端正な顔立ちと豪華な衣装の彩色文様が美しい、太子像の中でも優品のひとつ。
左:《聖徳太子童形像・六臣像》桃山時代 16世紀 大阪・四天王寺 【全期間展示】
右:展示風景
鮮やかな色彩に金泥を多用した、ひときわきらびやかな太子像は、右手に笏、左手に柄香炉を持つ。キリリとした眉と目に、ほのかな笑みを持つ口とふっくらとした丸顔が、厳しさとやさしさの二面をみごとに表している。足下に小さく描かれる6臣は、蘇我馬子、新羅の聖人・日羅(にちら)、高句麗の法師慧慈(えじ)、百済の博士・学哿(がっか)、小野妹子、聖明王太子・阿佐と記載から読みとれる。 会場展示のいちばん奥に見えるのは、兵庫・斑鳩寺の重要文化財《聖徳太子勝鬘経講讃図》。鎌倉時代の作品で、現存最大の講讃図とのこと。
左:宮城の天王寺に伝わる《如意輪観音半迦像》と《四天王立像》
右:京都の華道家元池坊総務所が所蔵する《聖徳太子絵伝》【展示期間11/17~12/13】(ともに展示から)
左の平安~桃山時代の作とされる5躯の仏像は、大阪・四天王寺の本尊と四天王像を模したもの。聖徳太子が摂津、伊勢、出羽、奥州にそれぞれ建立した四天王寺のうち、奥州四天王寺に当たるとされる寺に安置される。平安後期には聖徳太子は如意輪観音が本地垂迹により顕現したものとし、太子と観音を同体とみなす信仰が成立していた。
右の太子絵伝は、縦長の画面に描かれることが多い絵伝の中で、横長の画面6幅で構成されためずらしいもの。各場面には鮮やかな色紙形の中に説明書きがほどこされている。絵巻や説話が隆盛する室町時代らしい特徴をもつ作品といえよう。

こうした太子信仰の中核を担ってきた四天王寺は、寛弘4年(1007)に、太子真筆と伝えられる「四天王寺縁起(根本本・こんぽんぼん)」が寺内で発見されたことを機に、観音信仰や浄土信仰などさまざまな信仰を包摂して繁栄する。
 その歴史の中では、戦禍や災害により何度も伽藍を失う憂き目に遭いながらも、篤い信仰に支えられた同寺はその都度再興を果たし、1400年間の時をその名宝とともに今に伝えているのだ。

国宝《四天王寺縁起(後醍醐天皇宸翰本)》 南北朝時代 建武2年(1335) 大阪・四天王寺 【展示期間:12/15〜1/10】
太子直筆の四天王寺縁起を閲覧した後醍醐天皇が、太子の本願に感銘を受けて、正しい教えが広く伝わることを祈願して書写したもの。赤い手形は天皇自らが捺したとされる。奥書には「聖跡(太子直筆)は人の目に触れるべきものではなく、写本を作り、以後は堂内より出してはならない」と記してあるそうだ。実際にこれ以降、書写の際にはこの宸翰本が参照されてきたという。12/13までは、その「聖跡」である「根本本」が展示されている。
国宝《扇面法華経冊子》 巻第1 平安時代 12世紀 大阪・四天王寺 【展示期間:12/1〜12/13】
四天王寺の至宝の代表的なひとつ。本来は『法華経』(8巻)、『無量義教』(1巻)、『観普賢経』(1巻)の10巻を各1帖ずつに仕立てた10帖の写経だったが、現在は断簡となり、うち5帖を本寺が所蔵する。扇面の雲母(きら)引きの料紙には、金銀砂子や切箔、野毛などの装飾とともに、鮮やかな下絵が描かれ、その上に経が書かれた、限りなく豪華で美しい写経冊子の一葉である。まさに平安貴族の雅と信仰心が結びついた一作といえよう。
会期中、2週ごとに展示替えがなされる。これだけでも通う価値ありの逸品。
《馬上太子像》 桃山時代 16〜17世紀 大阪・叡福寺 【展示期間:12/15〜1/10】
弓矢を携えて黒駒にまたがる太子は16歳、物部守屋との戦いの折の姿と考えられている。室町時代に成立した太子伝などでは、兵法を伝授された武人の子としての太子イメージが成立しており、こちらも戦勝祈願のための武神として描かれたものではないか、とのこと。
仏教の祖、国家の建設者としてのみならず、武人としてまで崇められる……。変幻自在な聖徳太子の超人ぶりが感じられる。
左:《阿弥陀三尊立像(閻浮檀金弥陀)》と重要文化財《銀鍍金光背》(いずれも大阪・四天王寺蔵)
右:各地の寺に安置された「如意輪観音坐像」(ともに展示から)
10~15㎝の小さな阿弥陀三尊像は、阿弥陀立像が真鍮製(室町時代)で、観音・勢至菩薩が木製(鎌倉時代)。現在阿弥陀立像に合わせられている光背(鎌倉時代)と脇侍のみごとなつくりに注目! 細やかできらびやかな装飾や精緻な衣紋、光背の透彫の技は鎌倉時代の技術の高さを教えてくれる。
聖徳太子の本地として信仰されたと考えられる如意輪観音は、六臂で右ひざを立てて座す、たいへん優雅な姿。そのたたずまいだけでも魅力たっぷりだが、着衣などには豪華な截金がほどこされていたこともわかる。ぜひ360度から衣の襞などを確認して!

信仰の対象として崇められてきた聖徳太子だが、近代に入ると、国家の礎を築いた人物として、政治的な側面がクローズアップされてくる。
 昭和時代にお札の肖像として採用されたのもその一環ととらえることができるだろう。なんと全部で7回もお札に印刷されたという最多採用であり、同展ではその7種類のお札も紹介される。

さらに現代には、太子を主人公にしたマンガも現れる。山岸凉子が『日出処の天子』で描きだした太子は、中性的な華奢で美しい容姿に、異能を持った妖しい魅力を持ち、その存在をより若い世代にも身近なものにした。

左:『日出処の天子〈完全版〉』 第2巻 PP.192-193 ©山岸凉子/KADOKAWA 【展示期間:11/17〜12/13】
右:展示風景 ※展示替えあり
山岸凉子のマンガ原画も会場でみられる! 1980~84年に少女漫画誌『LaLa』で連載された同作は、輝くばかりの美しい容姿と異能を持ち、蘇我毛人(蝦夷)への同性愛に悩む妖しくも魅力的なキャラクターとして厩戸皇子を描き出し、偉人・聖徳太子に新たなイメージを付与した。会場では四天王を呼び出すシーンの原画が展示され、その変容を楽しめる。 カラー原画も美しい。
左:《旧最高裁判所大法廷壁画 小下絵のうち 聖徳太子憲法宣布》 堂本印象筆 昭和26年(1951) 京都府立堂本印象美術館 【全期間展示】
右:展示風景
近代日本画家の堂本印象は、昭和15年(1940)に再建された四天王寺の五重塔堂内壁画を描いた(戦時中空襲で焼失)。そうした壁画でも知られた彼が手がけた、戦後日本国憲法の施行にともなって設置された最高裁判所の大法廷のための壁画の下絵のひとつ(全部で3図)。いずれも十七条憲法を制定した聖徳太子にちなんで描かれた。 会場では堂本による《聖徳太子像・二王子像》(唐本御影)の模写とともにみられる。

一方、四天王寺ではこの100年に一度の御聖忌*に向けて、新しい「聖徳太子童形半跏像」を造立した。
 同寺の聖霊会で今も演じられる舞楽に関わる伝来の衣装とともに、その信仰はいまも、有形・無形を問わず、聖俗を問わず、新たに生み出され続けていることを感じられるだろう。
 それこそが聖徳太子が持つ魅力なのかもしれない。

*御聖忌:四天王寺では「遠忌」を「聖忌」という

「四天王寺舞楽所用具 胡蝶のうち羽根・袍」(羽根・重要文化財) 桃山〜江戸時代 16〜17世紀/(袍)平成13年(2001) 大阪・四天王寺 【展示期間:12/15〜1/10】
舞楽で使用される装束のひとつ。胡蝶は、平安時代末期にはすでに左方の迦陵頻と対になる舞として日本で作られていたとされる。当時相撲では左右に分かれて競い、左方には唐から伝来した音楽を中心とする唐楽、右方には朝鮮半島から伝来した音楽を中心とする高麗楽(こまがく)が割り当てられ、勝利した側の楽人がそれを祝って舞った。胡蝶は日本作であるが、高麗楽に属し、文字通り蝶を連想させる姿で舞う。
左: 《聖徳太子童形半跏像》 令和3年(2021) 大阪・四天王寺 【全期間展示】
右:同背後(展示から)
1400年御聖忌の記念として復興された聖霊会行像。四天王寺聖霊院の「童像」の姿である童形半跏像を基本に、彩色や持物(じぶつ)も四天王寺が所蔵する像を踏襲して制作された。本展終了後は、2022年の御聖忌の聖霊会において鳳輦(ほうれん)に乗って聖霊院から六時堂へ行道して納められる。以後基本は秘仏とされ、公開は制限されるので、本展が360度からじっくりみられる貴重な機会。

1400年という長い長い歴史は、過去だけではなく、現在、そして未来へと連なっている。
 これだけの至宝を一挙にみることができる機会は、今後、少なくとも100年を待たないとないという、貴重な空間。
 これからも流れ続けるであろう信仰と親しみの歴史の中にぜひ身を置いてみてほしい。

展覧会概要

サントリー美術館 開館60周年記念展
千四百年御聖忌記念特別展『聖徳太子 日出づる処の天子』 

新型コロナウイルス感染症の状況により会期、開館時間等が
変更になる場合がありますので、必ず事前に展覧会ホームページでご確認ください。

会  期:2021年11月17日(水)~2022年1月10日(月・祝)
    *会期中一部展示替えがあります
開館時間:10:00-18:00 金・土曜日および1/9は20:00まで
     (入館は閉館の30分前まで)
休 館 日:火曜日(1/4は開館)、年末年始(12/28~1/1)
入 館 料:一般1,500円、大学・高校生1,000円
     中学生以下無料
問 合 せ:03-3479-8600(代表)

展覧会サイト taishi1400.exhn.jp/

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