その時代に合った新しいレシピを紹介するだけが、料理本の役割ではない。
日々の調理を助け、食卓を賄い、日本の家庭料理の
レパートリーを広げてきた、料理本の定番を紹介する。
日々の食卓を賄う 料理の基本を伝える定番
レシピ本にはさまざまなジャンルがあるが、その中で最も多いのは、日々の食卓を賄う料理を紹介するものである。『別冊太陽』本誌でご紹介した「当世料理本事情」では取り上げられなかったが、1998年に刊行された『【日本人の食卓】おかず2001』(浜田ひろみ、NHK出版)も人気の一冊。こちらは、写真もなく分量も基本的になしで、あいうえお順に2001点の料理の作り方を記している。巻末に材料別、味別、調理法別の3種類の索引があり、一通り料理できる人が、献立に困ったときに役に立てるタイプの本だ。
一方、経験ゼロの人がレシピ本を頼りに料理を覚える時代になったことを受け、近年初心者向けのレシピ本が進化している。2020年刊行の『これがほんとの料理のきほん』(しらいのりこ、成美堂出版)は基本に加え、現代にふさわしい調理のコツも分かりやすく解説している。例えば、「大鉢茶碗蒸し」は、フライパンにオーブンシートを敷き、器を入れて周りに熱湯を注ぎ、蒸せば完成する。昭和の家庭にはたいてい蒸し器があって、よく蒸し料理が作られたが、世代交代によって蒸し器がない家も多くなった。しかし、実は栄養を逃さず失敗が少ないことから、近年蒸し料理は見直されている。
右=『これがほんとの料理のきほん』(しらいのりこ、成美堂出版)
特別な位置付けにある フランスの家庭料理
家庭料理のなかで特別な位置にあるのがフランス料理で、昭和の時代からコンスタントにレシピ本が出続けている。江上トミや飯田深雪は、西洋料理の一部として伝えたが、1970年代末頃からフランス料理がブームになり、フランスの家庭料理の本も増えていく。上野万梨子、パトリス・ジュリアン、大森由紀子、上田淳子、タサン志麻がそうした本を出している。大森の『フランス地方のおそうざい』(柴田書店)は2001年の刊行。ブルターニュ地方の「ガレットと海の幸のカレークリーム」、バスク地方の「カスレ」などが紹介され、食文化の解説も読みごたえがある。上田は、『フランス人は、3つの調理法で野菜を食べる。』(誠文堂新光社)など、2010年代から続々と、フランス人シリーズを刊行。同書の「春キャベツとあさりのエチュベ」は、白ワインなどを入れて2つの食材を蒸し煮するだけでできる。
右=『フランス人は、3つの調理法で野菜を食べる。』(上田淳子、誠文堂新光社)
プロの料理人が牽引した 日本の家庭料理
日本で最初に新聞で紹介されたレシピは、料理人によるものだ。福沢諭吉が創刊した時事新報で、1893年9月から翌年2月まで新橋「花月楼」の主人による献立提案を含む連載がそれである。復刻レシピ本『福沢諭吉の「何にしようか」』(ワニマガジン社、2001年)に掲載された「カツオのつけ焼き」の献立は、タイトルの主菜と、鰹の悪い部分をすりおろしてさいの目に切った豆腐と共に入れた味噌汁、芝エビ入り煎り豆腐を副菜にする豪華な内容で、裕福な人が対象だったのだろうか。
NHKの『きょうの料理』でも、料理人が活躍している。昭和期の同番組でスターになった料理人の代表は、村上信夫と辻嘉一である。村上は1921年、東京で洋食屋を営む家で生まれた。小学校5年生で両親を結核で喪うも、帝国ホテルの料理人を志して修業を積み、1940年に正式採用となる。第二次世界大戦後のシベリア抑留で凍った食べものを解凍した経験が、1964年の東京オリンピックの選手村食堂で料理長を務めた際に生きる。帝国ホテルでは総料理長に上り詰めた。
1980年から出した人気シリーズ『おそうざいフランス料理』『卵料理』『挽き肉料理』をまとめたのが、1995年刊行の『帝国ホテル総料理長のおいしい家庭料理』上・下巻(中公文庫ビジュアル版)である。紹介される「ハンバーグステーキ家庭風」では、ジューシーに仕上げるコツとして、生パン粉を混ぜ込んで肉汁を吸わせる、十分に熱したフライパンにハンバーグのたねを入れて焼き、表面を固めることを教えている。
辻嘉一は、レシピ本はもちろん、含蓄のあるエッセイ集も多数出している。京都の高級懐石料理店「辻留」の2代目で、1907年生まれ。土地や季節によって食材の味は違う、と調味料の分量を銘記することを嫌った、と『きょうの料理』制作に関わった河村明子の『テレビ料理人列伝』(NHK出版)にある。『あなたの懐石』(『婦人画報』別冊、婦人画報社、1982年)には、分量が一切掲載されていない。
近年では、1989年のクリスマス、赤坂のイタリア料理店「グラナータ」の料理長として一晩500万円を売り上げた伝説の落合務による『「ラ・ベットラ」落合務のパーフェクトレシピ』(講談社、2014年)がロングセラーになっている。恵比寿の日本料理店「賛否両論」の笠原将弘も、レシピ本・エッセイ集が累計100万部を超える人気料理人だ。こうしたプロのレシピ本は、読んで料理のイメージを膨らませ、食べた気になれる魅力もある。
中=『「ラ・ベットラ」落合務のパーフェクトレシピ』(落合務、講談社)
右=『和食屋が教える、劇的に旨い家ごはん』(笠原将弘、主婦の友社)
『別冊太陽』スペシャル「日本の家庭料理とレシピの一〇〇年 料理研究家とその時代」では、戦後から現在にいたるまでの家庭料理とその食卓をリードしてきた人気料理研究家の料理本を紹介しています。そのレシピを読み解けば、その時代ごとに何が求められていたのか、日本人の家庭と暮らしが見えてくるはずです。
阿古真理 あこ・まり
作家・生活史研究家。食を中心にした暮らしの歴史やジェンダー関連の本を執筆。食への関心から台所の歴史についてもリサーチ中。主な著書に『昭和育ちのおいしい記憶』『うちのご飯の60年』(筑摩書房)、『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(幻冬舎)、『昭和の洋食 平成のカフェ飯』(ちくま文庫)、『小林カツ代と栗原はるみ』『料理は女の義務ですか』(共に新潮新書)、『日本外食全史』(亜紀書房)、『ラクしておいしい令和のごはん革命』(主婦の友社)、最新刊に『家事は大変って気づきましたか?』(亜紀書房)がある。
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