政治的とは、人間がいかに動かされるか、動かされたか、を考えることであろう。戦前の昭和史はまさしく政治、いや軍事が人間をいかに強引に動かしたかの物語であった。戦後の昭和はそれから脱却し、いかに私たちが自主的に動こうとしてきたかの物語である。しかし、これからの日本にまた、むりに人間を動かさねば……という時代がくるやもしれない。そんな予感がする。
半藤一利『昭和史戦後篇1945-1989』単行本のあとがきより
戦前篇『昭和史1926‒1945』に続き、半藤一利さん語りおろしの書をビジュアルに裏付けした副読本的地図帳の第2弾。半藤さんは上記の通り、日本人が「自主的に動こうとしてきたか」を問うことが戦後日本の物語であると述べた。敗戦直後から、いかにして占領期を生き、主権を回復し、生活を立て直し、国際社会に再デビューするまでに至ったか。44年の物語を地図と写真で仔細に「実証」した。
たとえばロシアのウクライナ侵攻を日中戦争の始まりになぞらえる。あるいは白昼堂々と元首相が殺害された時、昭和初期に頻発した政治家へのテロ事件を思い出す。戦争がエネルギーや食糧の需給バランスに及ぼす影響を、70年代のオイルショックよりも直接的に実感する。よしんば、防衛費予算がGDP比2%をサクッと超えても驚かない――。昨今の問題状況は驚くほど昭和と酷似するが、とりわけ戦争が「自分ごと」として真に迫るのは、日本人に昭和史の経験があるからだろう。
戦後77年、日本人はいったいどの瞬間から「自主的」な民に変わったのか。あるいは令和に至るまで「自主的」だったことはなく、むしろまさに今、「動かされ」ようとしているのではないか。半藤さんの「昭和史」に何度でも触れ、何度でも問い続けなければならない。
『地図と写真でみる 半藤一利「昭和史 戦後篇 1945‒1989」』編集部
別冊太陽
地図と写真でみる 半藤一利「昭和史 戦後篇 1945‒1989」
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