前回に引き続き、琵琶湖疏水(そすい)探訪の後編をお届け。
後編では、第1トンネルが貫通する長等山(ながらやま)の峠道にある第1竪坑(たてこう)を訪ねるところから始めたいと思う。
本日の旅程(後編)
10:58 電車に乗って、追分駅へショートカット
第1トンネル入口から三井寺(みいでら)駅に引き返し、京阪電鉄の追分駅まで電車で行く。目的地の第1竪坑へは、第1トンネル入口から長等山の峠を越えて行くこともできるけれど、体力温存で電車を使って最寄り駅までショートカットすることにした。
11:29 トンネル掘削の奥の手「第1竪坑」
第1竪坑は、琵琶湖側に通じる細い峠道のかたわら、フェンスで囲まれた場所にあった(map⑥)。事前に写真で見てはいたものの、想像以上に大きく、そしてがっしりとした造りだった。
竪坑の直径は約5.5m、深さはおよそ47mで、第1トンネルに通じている。ちなみに、竪坑の下部約40mは断面が楕円形になっているという話だ。
そもそも、なんのためにこんな竪穴があるのだろうか。
第1疏水で最も難工事だったのは、第1トンネルの掘削だった。長等山を貫くトンネルの工事は、疏水の着工と同時期に始まり、4年7か月を経た1890(明治23)年2月にようやく完成する。疏水全体の完成が同年の3月なので、どれだけ大変な工事だったことだろう。
少しでも工期を短くするために採用されたのが、「竪坑方式」だった。当時の日本で初採用だったこの方式は、トンネルの両端から掘り進めるだけでなく、山の上から垂直に穴を掘り、そこからもトンネルを掘り進めたのだ。事前の下調べで知ってはいたが、実際に明治時代の遺構を目の前にすると、プロジェクトXのテーマソングが流れてくるような威厳があった。ちなみに、もう1つ第2竪坑も存在するのだが(map⑦)、こちらは住宅街の敷地内にあるため訪問は遠慮した。
12:15 レンガの橋台が残る「藤尾橋」
第1竪坑を見た後は、京都方向へ引き返し疏水散策を再開する。前編でも紹介した第1トンネル出口(map⑧)から200mほど歩くと見えてくるのが藤尾橋(map⑨)である。見た目はなんの特徴もない普通の橋。でも、この橋の醍醐味は橋の下にある。土木用語で、岸側で橋を支える部分を橋台(きょうだい)と呼ぶのだけれど、レンガ造りの古い橋台が今も残っているのだ。
第1疏水には何本もの橋が架けられていて、散策をしながら橋がつなぐ人の流れを想像するのもまた楽しい。
12:26 疏水の流れを変えた「諸羽トンネル」
藤尾橋をすぎると、すぐに散策路は京都市山科区に入る。これまで幅の狭かった第1疏水がいっきに開けて、水深の浅いプールのような場所になる。ここが四ノ宮船溜(しのみやふなだまり)で、明治から大正にかけて船の荷下ろしに使われた場所だという(map⑩⑪)。現在もびわ湖疏水船が運行しているときは発着場として利用されているが、訪問時はそうした船もなく小雨そぼ降る船溜は凛とした雰囲気を漂わせていた。
第1疏水には4つのトンネルがある。諸羽トンネルは見ての通りシンプルな造りで、扁額もついていない(map⑫)。実は、諸羽トンネルが完成したのは1970(昭和45)年と後世になってから。もともとの疏水は四ノ宮船溜から諸羽山を避けるように南に迂回していたのだけれど、当時の国鉄の湖西線開業などの影響で諸羽山にトンネルを掘り、疏水の流れを変更した経緯がある。
12:52 東山自然緑地を堪能できる「山科疏水」
かつての疏水跡は埋め立てられてしまったけれど、東山自然緑地ジョギングコースの一画として跡地を散策することができる。最も南端には疏水公園があり(map⑬)、高い場所から間近に走る鉄道路線を見下ろせるビュースポットになっている。
道なりにのんびりと歩き、やがて諸羽トンネルを抜けた疏水と合流する場所に出た。
この山科区を流れる第1疏水は山科疏水とも呼ばれていて、土木探訪とはまた別次元の、四季折々の自然を感じられる癒しの空間が続く。
13:38 日本初の鉄筋コンクリート橋「第11号橋」
第2トンネルは約124mと短いが、坑門の意匠は変わらず立派で、特に出口側は最も印象的なデザインのように思う(map⑮⑯)。
そして見た目は大変地味であるけれど、土木的に大変意義のある橋が次の第11号橋(日ノ岡第11号橋)(map⑰)で、1903年(明治36年)、日本で初めて架けられた鉄筋コンクリート橋なのだ。
安全対策で手すりが付いてしまっているが、当時はもちろん手すりなどない。古い写真を見ると第3トンネル入口前に、ゆるやかなアーチを描いたコンクリート橋が架かっていて、その華奢な雰囲気が印象的だし、今もこうして残っていることになんだかほっとする。
ゴールの蹴上まで、あと一息のところまでやってきた。目の前にある第3トンネルは約850mでこれを抜けたところに蹴上インクラインがある。個人的に、第3トンネル入口は一番好きなデザインで、雨と鮮やかな緑が扁額の揮ごうとともに、心に訴えかけてくる。(map⑱)
第3トンネルは少し距離があるので、出口まで迂回するにもそれなりに時間がかかる。お昼も食べていないし、少し疲れてきたけれどあと一息だ。
14:38 いよいよゴールの「蹴上インクライン」へ
くねくねした住宅街の道を通り抜け、さっきまでの趣はいずこへの県道143号線を歩いてなんとか第3トンネルの出口近くまでたどりつく。近寄れなかったので大きなサイズの写真が撮れていないのだけれど、第3トンネルの出口は、第1トンネル入口と呼応するように同じ三角屋根のデザインだ(map⑲)。
振り返れば、もうそこは今回の散策の終点、目指していた蹴上インクラインの上流部である(map⑳)。琵琶湖疏水は水の確保だけでなく船の運航路としての役目を担っていたことは大津閘門のときにもお話ししたけれど、この蹴上インクラインも船の運航のために造られた設備だ。
蹴上船溜と下流にある南禅寺船溜(map㉑)は高低差が約36mもあり、そのままでは船の運航ができない。そこで「インクライン」と呼ばれる傾斜鉄道を作った。レールを敷き、そのレール上を走る台車の上に船を乗せてケーブルカーのように上り下りをしたのだ。
インクラインのレールは今も残されていて、自由に散策することができる。下の写真では中央にある2本のレールが目立っているが、実際には4本のレールがあり、それぞれ2本ずつで上り下りの台車が動いていた。
14:53 蹴上駅でお弁当をいただき、帰路につく
これで今回の琵琶湖疏水の流れを追う旅はおしまいだ。時刻は14時53分、蹴上駅のすぐ東にある公園で、「京都のきつね丼」弁当をいただく。
公園には、田邉朔郎博士の像がある(map㉒)。最初、自身が作り上げた疏水の方向を見ているかと思ったのだが、さにあらず。田邉博士の視線は蹴上浄水場の方向を向いていた。過去よりも未来、常に前を向いて進み続けた偉人の偉人たる所以を見た気がした。
お昼を食べ終わり、時刻はまだ15時半前。これからインクラインを散歩しつつ、帰途につくことにしよう。
*掲載情報は探訪時のものです。列車の時刻などはダイヤ改正などにより変更されている場合があります。
牧村あきこ
高度経済成長期のさなか、東京都大田区に生まれる。フォトライター。千葉大学薬学部卒。ソフト開発を経てIT系ライターとして活動し、日経BP社IT系雑誌の連載ほか書籍執筆多数。2008年より新たなステージへ舵を切り、現在は古いインフラ系の土木撮影を中心に情報発信をしている。ビジネス系webメディアのJBpressに不定期で寄稿するほか、webサイト「Discover Doboku日本の土木再発見」に土木ウォッチャーとして第2・4土曜日に記事を配信。ひとり旅にフォーカスしたサイト「探検ウォークしてみない?」を運営中。https://soloppo.com/