「時々は、でえじにしてくんな」太宰治│ゆかし日本、猫めぐり#8

カルチャー|2022.8.26
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。第8回は、甘えん坊のハチワレちゃんを太宰治の小説に登場する印象的な台詞とともにお届け。よりいっそう、猫がいとおしくなるはず。

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「時々は…」

どんなにお利口に過ごせても、
ときどき無性に甘えたくなる。

猫にはそんな瞬間があるらしい。

この日出会った猫も、
撮影中、痺れを切らし寄ってきた。

気分はさながら「べらんめえ口調」。
思わずたじろいだ夏の午後。

「時々は、でえじにしてくんな」

――『おさん』太宰治

 享年39。第一創作集の『晩年』から遺作となった『グッド・バイ』まで、さまざまな手法と語り口によって独自の文学世界を作り上げた太宰治。

 なかでも「一人称告白体」とも言われる一連の小説は、いわゆる私小説の枠組みを超え、主人公の設定や物語の構造が多種多様。自伝的要素の多い作品はもちろん、古典や既存の物語を一人称にした作品あり、「私」を通してある人物を描いた作品あり、また女性が一人称で語る作品ありと、誰もが普段漠然と感じ、それでいて目を逸らしてしまいがちな人間の弱さや生きることへの根源的な問い、現実との違和感といった真理を、さまざまな立場、視点から、自らの痛みを伴う体験を通し追求し続けた。特に『斜陽』をはじめとする女性一人語りによる作品は、あまりに女性的な文体ゆえに、当時大きな反響を呼んだという。

 今回ご紹介する言葉も、女性一人語りによる『おさん』という短編小説に登場する。近松門左衛門の『心中天網島』に登場する女性の名をタイトルに持つこの小説は、1947(昭和22)年、太宰38歳のときの作品で、家庭という日常を共有する男女それぞれの淋しさや行き場のない心情が、妻の一人語りによって描かれる。
 夕食後、「たましいの、抜けたひとのように」、足音もなく玄関から出て行く夫。その夫が今夜も帰らないであろうとわかっていながら、淋しいと言えない妻。互いに過度に気遣い合う暮らしの中、妻は、かつて祖母が夫婦喧嘩のたび祖父に言っていた口癖を真似て夫に言う。

「時々は、でえじにしてくんな」と。

 その言葉は、節度あるたおやかな語り口が終始続く中で不意に放たれ、鮮やかな印象を残す。

 津軽屈指の大地主の家に六男(太宰は自重気味に自身を津軽の方言「オズカス(長男と比べ家督に関わらない三男坊や四男坊を貶める言葉)」と呼んでいた)として生まれ、革命が起こればギロチンにかかる階級に属するという実人生での出自を根っこに持つ自己破壊への志向と、手のひらを返したように戦後のアメリカ主導の民主主義を信奉するジャーナリズムへの批判。物語はそれらを盛り込んで、実人生の終焉を予感させる結末へと向かう。家庭の幸せを拒否しながらも、それを否定しきれなかった太宰の心の揺らぎが生んだ作品と言えるだろう。

今週もおつかれさまでした。
おまけの1匹。
(こちらは「べらんめえ口調」の後にぐにゃり)

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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