「酒は知己に逢って呑む」仙厓│ゆかし日本、猫めぐり#4

連載|2022.7.1
堀内みさ

猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。第4回は、ほっと一息つきたい週末にぴったりな、仙厓の言葉と猫の姿をお届け。

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「酒は知己と」

「好き」という気持ちに嘘がつけない。

好きになったら、とことん信じる。

勝手で気ままな
 猫という生き物の、もう一つの顔。

今夜は猫と、一杯いかが?

詩は会(え)する人に向かって訡じ
酒は知己に逢って呑む

――詩は理解する人のために吟ずるもの
 酒は知己に逢って飲むもの


 (互いに理解し合い、価値観が同じであればこそ、
 味わうことのできる境地がある。
 仏教の教えも同じであると説いている)
              別冊太陽 日本のこころ243 『仙厓』より

心に沁みいる、禅の精神

伸びやかな線、豊かな表情。禅の教えを説きながら、見る者をほのぼのとした温かい世界へ連れていく仙厓(せんがい)の絵。
 臨済宗の僧侶、仙厓義梵(ぎぼん)が本格的に絵を描き始めたのは、福岡・博多の聖福寺(しょうふくじ)の住職となった40代から。栄西を開山とするこの日本最初の禅寺で、伽藍の整備や弟子の育成に奔走しながら、手本となるさまざまな絵を写し、研鑽を積んだという。

 仙厓の絵を見ていると、「守破離(しゅはり)」という言葉が思い浮かぶ。厳しい師のもと命がけの修行をしていた青年時代、師亡き後の広範囲にわたる行脚の時代、さらに、現存する蔵書目録からうかがえる幅広い学問的素養。若い頃から修練を積んだ禅僧としての底力が、絵を描き始めた40代、50代の「守」の時代を経て、住職を退任した60代から徐々に即興的な画風の中にあふれ出す。
 70代に至っては、「厓画無法」、つまり世の中の絵には法があるが、自分の絵には法がないと宣言。まさに「離」の境地で、禅画という枠にとらわれない、ユーモアあふれる作品を次々と生み出した。

享年88。残した作品は2000点近くにのぼり、中には《◯△□》という3つの図形が並ぶだけの、さまざまな解釈が可能な作品も。
 お釈迦さまから市井の人々、小さなネズミに至るまで、さまざまな対象に目を向けた画題の多彩さは、人間としての大きさの現れ。思わずクスッと笑わせて、ほどけた心に本質を突いた言葉を投げかける。そんな仙厓のスタイルは、名人芸ともいえるだろう。

 今回ご紹介する言葉は、《寒山拾得(かんざんじっとく)画賛》という作品に添えられたもの。寒山と拾得は、中国・唐時代の伝説的な禅僧で、一日中経典を読んだり掃き掃除に専念したりと、世俗を超越した存在として知られている。
 仙厓は、そんな二人が寄り添って酒を飲む姿を通し、互いに理解し合える関係だからこそ味わえる至福の時を描き出す。やわらかな筆致からにじみ出る、穏やかで円い空気。おそらく悟りの境地にも通じるのであろうその空気感こそ、仙厓が伝えたかったものなのかもしれない。

今週もおつかれさまでした。
 おまけの一枚。

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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