第8回 トンマーゾ・カンパネッラ(1568―1639年)(2)
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カンパネッラの時代(17世紀初頭)では、『太陽の都市』執筆の具体的理由(後述)からもわかるが、ダ・ヴィンチの時代の「人間の尺度」という理想は、宗教的憧憬に変容していた。また前回のブルーノでも取り挙げたように「汎知学(主義)」の時代でもあった。カンパネッラの場合は、師と仰いだテレジオの影響が強く、 pansensism (汎化主義)者で、この師弟に特有な、森羅万象に感覚が宿る、という思想を抱くにいたる。これは目下訳出中の『事物の感覚と魔術について』(1604年執筆、1620年に刊行)に色濃く反映されている。
さてカンパネッラの略歴だが、ドミニコ会に入る前後から詩作で頭角を現わしている。実家は靴修繕業の父と早世する母の下、九人兄弟で生活は困窮を極め、長男のカンパネッラは学校にも通えず、文法(ラテン語)の授業など窓から聞いていたらしいが、周囲から神童と呼ばれるほどの優秀な少年だった。読書欲も旺盛で修道院の蔵書を読み漁り、ブルーノと同じく反スコラ・反アリストテレスの傾向を打ち出すようになり、修道院では厄介な存在となる。カンパネッラはそこで、自作の朗詠をして縁を得たデル・トゥーフォ家のナポリの家を訪ね(1589―90年)、歓待されている。ナポリ滞在中には、ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタとも知り合い師事している。1592年ドミニコ会の認可も受けないままに、処女作で、師テレジオの哲学を擁護した『感覚で確証された哲学』を刊行し、危険人物とみなされてナポリのドミニコ会の修道院から、カラブリアへの帰還を命じられる(この「解放」にはデル・トゥーフォの働きがあり、トスカナ大公との謁見も同様である)。しかし彼は、進路を北に取ってローマ、フィレンツェ、ボローニャ(ここで持参していた手稿を何者かに盗まれる)を経て、パドヴァにたどり着く。フィレンツェ滞在時にトスカナ大公・フェルディナンド1世・デ・メディチ(1549-1609年)にシエナ大学での講師のクチの斡旋を依頼するが、大公にはカンパネッラがどことなく胡散臭く映ったらしく、パドヴァ大学数学科教授のガリレオ・ガリレイ宛の紹介状を認める(もちろんガリレイ宛にも書き送った)。ガリレイがカンパネッラの到着を待つ格好になる。
2人はパドヴァで大公の思惑どおり出逢うが、ある意味で、これがカンパネッラのそれ以降の運命を狂わせてゆく要因にもなる。パドヴァ大学医学部(解剖学)でスペイン人を装って受講し、近代医学(科学)の一端に触れた。白内障の手術の助手まで務め、ガリレイなどから観察・実験重視の「客観知(伊語でシェンツァ、英語でサイエンス)」の合理性を学ぶことになる。彼は師テレジオから感覚重視の思想を受容していたので、「感覚」という点では容易に受け入れたが、ガリレイのいう「客観知」という意味での感覚とカンパネッラの想う汎化主義的感覚はべつものであった。このことが後年、二人の親交を引き裂くことになる。
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それでは『太陽の都市』の内容に入ってゆこう。
まず都市の統治形態にすでにカンパネッラ独自の思想が顕われている。
「太陽」(聖職者:精神面と世俗面での全住民の指導者=形而上学者)を頂点に、その補佐役(副統治者)として3者:Potesta(、)(力;ポン〈ポンとなるためには、potenzaがより良い〉)、Sapienza(知:シン〈シンとなるためには、scienzaでなくてはならない。カンパネッラの他の作品でも、sapienza〔智〕とscienza〔知〕を区別なくまちまちに用いている〉)、そしてAmore(愛:モル)といった、「三つの基本原理(プリマリタ primalita(、))」を置いた。
「ポン」は戦争関係の軍事面、「シン」は根本的に学問を統括したが、自由学芸に加えて技術学芸にも位置を与えていることにカンパネッラらしさがある。さらに挙げると、占星術・宇宙学・修辞学・自然学等。「モル」は生殖・性生活・教育・衣食等を司った。
この小品の大部分を占めるのが占星術の記述である。占星術を基軸としていろいろな事例を検討しているが、なぜ天文学でないかのか? 両者ともに天体の位置や移動の数量的計算を緻密に行なうものであるが、その差異は、占星術でしか人間や国家の「運命」を計ることが出来ない点にある。「運命学」など存在しないのだ。一寸先は闇のこの世・人生に明かりを灯してくれるのは「(占星)術」の領域に限られた。
以下、「三つの基本原理」と「性生活」の叙述を挙げておこう。
「三つの基本原理」はカンパネッラの他の作品、例えば拙訳『哲学詩集』(水声社,2020年)にもいたるところで見受けられる。彼は、「三位一体」の神を崇拝している。
「神」は最高の「力」で、最高の「知」が「愛」を生むが、啓示を受けていないので、3つの位格(ペルソナ)は持たず、「力」vs「無力」、「知」vs「無知」、「愛」vs「無愛」と解釈している。
「性生活」について。
女:19歳まで純潔保持。
男:21歳まで子づくり禁止、虚弱体質はもっとあと。
性交時はよくからだを洗ってから三晩ごとに交わる。
大きくて精力的な男―大きく美しい女と。
痩せた男―太った女と。
太った男―痩せた女と。
知的な男―活発で丈夫な女と。
空想的で気まぐれな男―太っていて温厚でおおらかな女と。
不妊の身であることが判明した女―男たちみなの共有の女に。
子づくりの営み:私的でなく公共の善を目的とする宗教的行為。
生殖の目的:個体の維持でなくて種族の維持。即ち、生殖は公務であって、私事ではな
い。個人よりも共同社会のほうが安全という前提があった。市民たちは友情による愛
だけしか知らず、激しい情欲による愛を知らない。
「性生活」まで国家に規定されると、禁欲的というか、むしろ規則ずくめの全体主義的印象を免れないが、「ユートピア」という名の由来となった『ユートピア』という作品を書いたトマス・モア(1478-1535年)も、原始共産主義的傾向を帯びている面では共通している。平等・禁欲・無産等々。これが理想だとすれば、本来的な自由が失せ、たいそう窮屈であろう。こうした理想都市は願い下げである。
〈第8回(2)了〉次回は、4月8日です。
参考文献
カンパネッラ著 近藤恒一訳『太陽の都』岩波文庫,1992年
澤井繁男著『評伝 カンパネッラ』人文書院,2015年
LA CITTA DEL SOLE ,in BRUNO e CAMPANELLA,a cura di LUIGI FIRPO , CLASSICI U.T.E.T ,1949
澤井繁男
1954年、札幌市に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。
作家・イタリアルネサンス文学・文化研究家。東京外国語大学論文博士(学術)。
元関西大学文学部教授。著者に、『ルネサンス文化と科学』(山川出版社)、『魔術と錬金術』(ちくま学芸文庫)、『自然魔術師たちの饗宴』(春秋社)、『カンパネッラの企て』(新曜社)など多数。訳書にカンパネッラ『哲学詩集』(水声社、日本翻訳家協会・特別賞受賞)などがある。